第10話 シャウユイの森





 スゥトゥを中央に座した森、シャウユイ。その周りには広大な土地が広がる。夏雲シアユン他多くの鳥人族が住まう都は南に位置していた。

 色々あったものの、都への道のりは順調に進み、日暮れ前に今日の寝床を確保しようという話になった。

 しかし、ここはまだシャウユイの森の中。つまりは野宿である。

 川原で馬を降りた一行は、それぞれの仕事をテキパキとこなしていく。

 鈴音は川から水を調達。夏雲は天幕を組み合わせ、鈴音の世界で言う所のテントを設営。ユェは夜の灯りに必要な薪を拾いに行き、周囲の状況を探る事も忘れない。

 食事は現地調達はせず携帯食料をかじる程度だ。異世界に来てからというもの粗食からの小食になった鈴音には十分なご馳走だった。

 十二分な量を碌影ろくえいは持たせてくれたらしく、荷物袋には様々な携帯食料が入っていた。


「完全に日が落ちるまで、もう間が無い。そろそろ結界を張ろうと思う」


 焚火を囲んでの細やかな食事を済ませた。

 川の側は木々に遮られる事無く空が広がっている。薄っすらと色を変え、そこには小さな星粒が見えた。暫くせずとも、もうあっという間に藍が広がり、辺りを覆いつくすだろう。

 夜の森は灰獣かしが活発化し危険が多い。手練れも出来るだけ動かずに朝を待つというのだから、その脅威は計り知れない。ゆえに旅人の多くは拠点の周辺に結界を張って万全を期す。


 という事で、ここは鈴音が手を上げた。

 夏雲は若干困った顔をしたものの、結界に使う守り砂を鈴音に手渡した。

 主が何も言わない。場を心得ている玥は、焚火の番をしながら鼻息荒く守り砂を握り締める鈴音を見守っていた。


「出来るのか?」

「オッケー任せて! 伊達にスゥトゥ暮らしをして来たわけじゃないわ」

「では、お手並み拝見といくか」

 

 地守りの結界。これは霊具さえあれば特別な力が無い者でも使える術だ。スゥトゥで獣神子として働いていた鈴音は、碌影から簡単な術式を一通り学んでいた。

 テント周辺の四隅に革袋からサラサラ守り砂を注ぐ。ちんまりした円錐型の盛り塩ならぬ盛り砂だ。これで準備は出来た。

 四隅の中央に立ち、祝詞を唱える。


「温かな光 灯し給え 輝き給え 旅人を守りし地の守りよ」


 盛り砂がオレンジ色に、ぽわぽわと輝き出す。四カ所の起点から光の線は一定の速度で進み、繋がった。フラッシュかに思える強烈な光が瞬き、消える。

 すると独特な心地だが、さっきまでとは違った感覚が肌を覆っているのが判った。例えるなら温度差のある建物内に入った時の様な、この肌を撫でる空気の流れはとても不思議で実にリラックス出来る。

 見事、結界の完成だ。

 

「やった! 成功よね? 玥」


 四か所の盛り砂からは小さな揺らめきが伸び上がっている。祝詞が解けない限り、術式の炎は風が吹こうと水を掛けようとも消える事は無い。 


「問題ない」

「わーい。えへへ、嬉しいなー。ねっ夏雲、大丈夫だったでしょう?」

「ああ。大したものだ」


 鈴音が嬉し気に身を揺らしていると、夏雲は優しく頭を撫でてくれた。


「では、わたしが焚火を、見ています。もう、お休み下さい」


 玥は追加の薪を足元に置くと一礼をする。


「そうだな。明日は夜明けと共にここを立とうと思う。シャウユイの森はなるべく早く抜けたい。灰獣かしもだが他種族に出くわすと面倒だ」

「シャウユイの森に住んでいる人がいるの?」


 鈴音の問いに夏雲が頷く。

 スゥトゥで読んだ書物には、シャウユイに群生する植物の種類や精製方法が主で、そのような記述は無かったように思う。

 この国に住まう種族に関しても、それぞれに都を持っていて、付近に村も点在している筈だ。危険な灰獣の多くが生息しているシャウユイに、どうして足を踏み入れるのだろう。


「はみ出し者の多くがねぐらにしているんだ。広大な森は身を隠すには十分だし、灰獣かしという危険な存在を盾として利用も出来る。それに人の手が入らないだけあって、希少な素材も潤沢だからな」


 夏雲が肩を竦める。


「まあ、色々と都合が良いという事だな。危険ではあるが」

「そ、そんな所に一泊して大丈夫なの?」

「案ずるな。二人も武人がいるのだぞ」


 夏雲は玥に向けて顎をしゃくった。

 

「獣神子は戦神子とも呼ばれている。玥も手練れだろう」


 獣神子という傀儡。碌影から何でも出来るとは聞いていたが、そのような通り名があるのは初耳だった。

 実際に玥が戦う所も見た事が無い。身のこなしが軽やかなのは知っているものの、華奢で可憐な印象のある玥の戦いぶりは想像がつかないかもしれない。


「まぁ、そのような機会は無い方が良い。では玥の言葉に甘えるとしよう」


 夏雲に促され、鈴音は折り重なる天幕の中に入った。

 数個のランプで照らされた内部はあらゆるものがオレンジに色付き、目に柔らかい。外からはこじんまりと感じていたが、中は思った以上に広く快適に過ごせそうだ。

 そして何よりも鈴音の目を惹き付けたのが天蓋だった。部屋の上部から透ける布が取り付けられていて、中央に敷かれた絨毯の上に掛かる様になっている。


 歩みを進めた夏雲は、ごろんとそこに横になった。


「ほら」


 夏雲は両手を広げ鈴音を待っている。


「えっ! なに!」

「眠るんだろう。俺とではとこを共に出来ないか?」


 テントの中に入ってからというもの、早い鼓動を刻んでいた鈴音の心臓がここへ来て一気に跳ね上がった。

 夏雲の表情からはこれといって読み取れるものは無く、それが余計に鈴音の中を搔き乱していたのかもしれなかった。思わずとも頬が熱くなる。


 夏雲からのプロポーズに鈴音は応えた。つまり夏雲はその認識をしている。だから彼の中では、この流れも極々自然なものなのだ。

 夏雲の事は好きだ。だから求婚を受け入れた。 しかし、頭では判っていても感情が付いてこない。それが人の心と言うものでは無いだろうか。


「鈴音?」

「い、一緒に寝るっ」


 離れていた間、彼はきっと数え切れない女性と機会があった筈だ。それでいて自分は元の世界でもここでも、未だ誰とも付き合った事も無い。

 自分ばかりが高揚しているのではないか、こんなにも焦って、恥ずかしく感じているのではないか。

 様々な感情が入り混じりつつも、意を決して鈴音は夏雲の手前に横になった。置いてあった長布をぎゅっと握り締める。

 腕の中に飛び込むなどという玄人の動きは出来ない。精一杯の鈴音の頑張りだ。

 背中を向けたまま身体を固くしていると、後ろの夏雲は少し笑ったようだった。


「な、なによ。ちゃんと――」

「俺はここだぞ」


 声と共に抱き寄せられる。出ると思っていた声は、何故か出なかった。きっとそれはうるさい位に鳴っている心臓が喉まで出掛かっているせいだ。


「まだ夜は冷える。こうしているから、お前は安心して眠るといい」

「ね、寝るっだけ?」


 鈴音の声がひっくり返る。一瞬間を開けて夏雲は大笑いした。

 これには鈴音も驚き、夏雲の方へ身体を向けてしまう。緊張の解けた鈴音は怒りのまま夏雲の顎を手で押し上げた。


「悪かった。その、悪気はなかったんだ。許してくれ」

「むーーー、どーせ私は何も経験無いですよーだ」

「…………誠か?」

「……うん」

「では、口付けをしたのも、俺が初めてなのか?」



 失態の恥ずかしさと怒りのあまり余計な事を口走ってしまった気がする。夏雲の方を見ることが出来ず、もうこのまま寝てしまおうと鈴音は夏雲の胸に顔を埋めたままとりあえず頷いた。

 すると今度は何故か夏雲が震えている気がする。


「夏雲?」

「俺は今、感動に打ち震えている!」

「えっ! えええっ! あ、うんっ…………なになにっ! なんか恥ずかしい! もう寝る! 私は寝てるから!」

「ああ、勿論だ!」


 長布にくるまれ、夏雲に包まれる。

 頭の中は相当に騒がしくもあった。けれど自分は眠りに落ちたのだ。

 寄せ合う肌の、骨を伝って聞こえる彼の心音がそうさせたのだろうと、薄れゆく意識の中で鈴音は思っていた。



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