第26話 互いの未来の為に
その夜、自室へ戻った鈴音は広い部屋で一人荷物整理に明け暮れていた。
「結局今日は使用人の方達と顔合わせしてたら時間が過ぎちゃった」
それにしても、改めて考えると、よく
麗孝は鈴音の素性を知る数少ない一人。異世界人の鈴音ならばと考えたのだろうとは夏雲談だが、初対面での値踏みの件といい、恐らくそれだけではない気もしていた。何となく彼は、鈴音が動く事で物事がどう転がるのかを面白がっているフシがある。
「それでも、いいよって言ってくれたのは嬉しかったけどさ。よっし! 明日からも頑張るぞ!」
風呂と歯磨きも済ませると、ポツンと居るのがどうにも手持無沙汰になる。まだ眠るには早く、それならとスゥトゥから持たされた包みを開ける事にした。
「えーっと確か持って来た荷物はっと。あった!
何の変哲もない風呂敷を開けると、中にはこの世界のお金と大小様々な石。鈴音の手の平に納まる丸い平鏡。小さな本。他にも細々としたものが入っていた。
「お金と、これは宝石かしら? それは判るんだけど他のものはどういう物か判らないかも……碌影様ったら。今度
中でも鈴音の目を惹いたのは丸い鏡だった。蓋は付いていないものの、裏には綺麗な石が嵌め込まれており、見た目からして女子の心をくすぐる。
幼い頃に見た変身コンパクトの様に感じたのだ。専用の革袋も付けてくれている。これは碌影からの身だしなみに気を付けるようにというお達しだろうと鈴音は解釈した。
コツン……
鈴音の心臓がはねる。
独りの筈の部屋で物音がした。
この部屋の窓は一か所で、庭園側の壁一面が大窓になっている。そこに風か何かで小枝でも飛んできたのかと最初は思った。
窓の外はきっと漆黒の闇だ。ちょっぴり怖くもあったものの、遮光幕の端をめくって鈴音は外に目を凝らした。
「俺だ」
今度こそ心臓が飛び出てしまうかと思った。
叫び声を上げなかった自分を褒めたい。そういえば、隣は夏雲の部屋で、二つの部屋はベランダで行き来が出来てしまうと言われていた。
「どうしたの?」
「良かった、まだ起きていたか。一緒に、少し涼まないか?」
夏雲はノースリーブのシャツと短パン、その上に黒の羽織を着ていた。
いつもは後ろで一纏めにしている赤髪も下ろしていて、何だか違う人みたいに見える。
夏雲に教えてもらって大窓を開けると、すぐに手を引かれた。そのままベランダの端まで案内される。
「わぁ。すごい! 綺麗だね」
てっきり真っ暗と思いきや、要所に設置された灯で庭園は見事にライトアップされている。縁に掴まり眺めていると、肩を力強く寄せられた。
「ん?」
「また落ちるなよ?」
「そこまでドンくさくないもん」
頬を膨らませる鈴音を優しい目で見守っていた夏雲が、ふいに真面目な顔になった。
「こんな時になんだが……。ずっと気に掛かっていた事を聞いていいか?」
「えっ、うん」
「他でもない。十年前のあの日の事だ。俺が矢で狙われた時、お前がかばってくれたお陰で俺は助かった。その時の事を覚えているか?」
夏雲の目は探るように鈴音を見ていた。真意をはかりかねたものの、鈴音は頷いた。
「不思議だった。あれからずっと頭の片隅にあったんだ。あのような偶然が起こりえるのかと。……正直に言うと、鳥人族内では鈴音も賊の仲間なのではないかという動きもあったんだ」
「そんなっ! 違うよ! 私は――」
とんでもない誤解だ。しかし彼の立場を考えれば、けして有り得ない話ではない。
鈴音はこの時初めて、夏雲ときちんと話していない事を後悔した。再会してから怒涛の日々だった。とはいえそれを言い訳にして、自分は真実を探る事を先延ばしにしていたのではないか。
己に起きる不思議な出来事。先見や過去視という現象はいつ発現するか未知数である。しかし二度も現れたこの覚りの力を、あの日に自分の身に起きた事を夏雲だけには話しておくべきだった。
彼のことだ。きっとこれまで、見えない所で鈴音を庇いだてしてくれていたに違いない。
鈴音は自分の失態を激しく後悔した。
「判っている。だから今お前に直接聞いている」
「夏雲……」
「これまではただの偶然で片付ける事も出来た。しかし
夏雲は真剣な眼差しで鈴音を見つめている。
鈴音は何故か潤みはじめた目元に押さえながらコクコク頷いた。
「ごめっ……わた、わたしもよく判らないの。でもあの時は夏雲に矢が刺さって倒れるのが見えて、それで駆け出しただけ。
鈴音の肩を支えていた彼の手が背中に回される。そのまま夏雲は鈴音を抱き寄せた。
「ごめんなさいっ……自分でもよくわからないの。いつ、何を見るのか、こわくて。ほんとは、もっとちゃんと、夏雲に話さなきゃだったのに。黙ってて、ごめんなさい……」
「謝らなくていい。よく話してくれた。この世界へ降りて来た影響なのか、まるで神官の様な力だ。先を見通し、過去をも覚る。他言はしない方が良いだろう。お前を捕らえて悪用しようとする者が現れないとも限らない」
鈴音は頷いた。
背を支える腕が外れる事は無く、自然と鈴音は彼の胸に身体を預けた。
夏雲の腕の中にいる自分を想像すると頬が熱くなる。けれどそれ以上に、とても安心したのだ。それに夏雲の鼓動が少し早いような気もして嬉しくもあった。
感情が忙しい。恋とはこんなにも自分の中が右往左往する。中々に大変なものだと思った鈴音は、胸の内に生まれていた感情に気付き、ハタッとした。
夏雲の事は出会った当初から好いていた様に思う。何度も思い出したし、再会した時も「あの夏雲だ」と判り、とても嬉しかった。告白をされ、好きだったのでそれを受け入れた。
好きは好きだった。でも今の好きとは何やら違う気がしてならなかった。
夏雲と過ごす内に、鈴音のあずかり知らぬ所できっとそれは育まれていた。
小さく灯っていただけの光が今やとても大きく、所謂ハート型に変化していたのではないだろうか。
「夏雲」
「ん? どうした」
腕の中から夏雲を見上げると、彼はとても穏やかな表情をしていた。
「夏雲、好き」
夏雲は一瞬動きを止めた。数瞬のあと頷いて「俺も、鈴音が好きだ」と言った。だがその口元はおぼつかず、上半身はいかり肩になりガチガチだった。
「も、もうそろそろ眠った方が良いんじゃないか。長旅で疲れたろうっ」
「え、どうしたの急に?」
「いや、別になんともないが」
「夏雲~?」
明らかにおかしい。さっきまでの頼り甲斐のある男はもう地平線の彼方だった。
しつこく食い下がっていると、彼は仕方がなさそうに、やっとで口を開いた。
「愛おしく、なってしまったんだ」
「……えっ。…………えっ!」
部屋から漏れる薄明かりだけだ。でもきっと夏雲は真っ赤な顔をしている。掴まれたままの両肩から、夏雲の体温を感じ、つられて恥ずかしくなってしまった鈴音はドギマギとした。
「このまま抱き上げて俺の部屋に連れ帰ればいいと、もう一人の俺が顔を覗かせている」
「……」
「だがそれでは鈴音の信頼を失いかねない。床を共にするのは婚儀を終え、晴れて夫婦となってからだ! つまり俺達はもうそろそろ明日に備えて各々の場所で眠らねばならない!」
「ちょっ、一人で解決しないで! 明日からの事とかまだ話したい事があったんだよ? まだいいでしょう?」
「後生だ……鈴音!」
「わ、私何かしたっけ?」
「俺の下半身が暴発する!」
「はっ!?」
伸ばした手も空しく。
ツカツカと自分の部屋に夏雲は帰って行った。
直後。呆気に取られる鈴音の前で、彼の部屋の灯りが一斉に立ち消えた。
鈴音はというと、恋に
「取り付く島もない所、まだ直ってなかったのかな」などと呑気な事を思っていた。
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