第27話 導き手
鈴音は夢を見ていた。
夢だと判ったのは、とある庭を歩いている時に「これは夏雲の屋敷の庭だ」と気付いた時だった。不思議なもので現実では無いと自覚しても身体は目覚めず、思うまま自由に行動出来た。
鈴音は思い切って、まだ訪れた事の無い一画に足を踏み入れて見る事にした。
あてがわれた部屋のベランダから見た庭園の左端には白い花の咲く池があった筈だ。
「わぁ、素敵」
軽やかに弾む足で鈴音は微細に靄掛かった花園へと辿り着いた。
見た以上の光景に自然と頬が緩む。何の花なのだろう。丈は鈴音の膝ほど、ふっくらとした花形を付けている。甘い香りを漂わせる純白はとても可愛らしい。
鈴音は屈み、鼻先を花弁に寄せた。
瞬間ぐらりと身が前屈みになった。無防備な背が何かに押されてしまい、鈴音はバランスを失う。
「えっ?」
花の上に突っ伏す前に見た、視界を掠めた赤い――
「!」
あれは、何だったのだろう?
唐突の目覚めは勘弁して欲しい。
しかしそれこそが夢の、ある意味での醍醐味なのかもしれない。
逆さになった視界ですべてを理解した鈴音は、そのままゆっくりと身体を反転させた。
肩が床に付いていた割には大して痛くはないので、自分は随分とお行儀よく寝台からずり落ちたらしい。
「それにしても面白い夢だったな。後で確かめに行ってみたいかも」
いやしかし、今日も
その言葉の意味する所を、鈴音は承知していた。
隣国から賜ったものというのはそれほどに大きな事なのだ。そして彼らの命を以てしても償い切れないものなのかもしれない。
鈴音としては、夏雲の元に仕えている使用人達を信じたい。自鳴琴の部品はどこかに落ちているだけで、誰かが盗んだのではないと。
でも、たとえそうであってもそうでなくとも自分が探し出したいと鈴音は思う。
それは自分が行動を起こす事で、何かが変わりはしないかと思っているからだ。
甘いと言われても良い。願いを諦めたくない。
僅かな灯りで照らせるのは手元だけかもしれない。でもだからこそ人は大事なものに気付くことが出来るのだから。
朝食の後の自由時間から、さっそくと鈴音は行動を開始した。
博識の
鈴音は夏雲の婚約者として屋敷の中を案内されている体で動き回り、玥と虎礼は新しい仕事を教えてもらいつつ情報収集に励んだ。夜には鈴音の部屋に集合して報告と方針を話し合う。
そうして、作戦決行から三日。慣れない場所、慣れない姿で精一杯行動をした三人は、いや鈴音と虎礼は満身創痍だった。
「屋敷と後宮を行き来する女官連中からは収穫無しや。逆にこっちに質問ばっかりしてくるし嫉妬の目がキツイ。同じくどっちにも出入りする庭師は自鳴琴を贈った国の事を教えてくれたけど、戦を仕掛けることの多い国やってよ」
やはり
同盟国とは言え、隣国の危険性を理解していた。
「あ~~~、女の恰好ツラすぎるわ。なんなん、あの締め付ける紐は。化粧も合わん。俺の珠の肌が荒れるんやけど? ここもヒリヒリする!」
「私の方は祝儀品の事を炊事場や、そこに出入りしている人に聞いてみたけど、無くなった部品の事はおろか、音が鳴る事も知らない人がほとんどだったよ。後はずっと鳥人族のしきたりとか結婚式の作法とか覚える事をしてて、中々動き回れなかった」
鈴音と虎礼はそのままだらりと長椅子の肘掛にそれぞれもたれ掛かる。あまりの疲れに今にも睡魔に身を委ねそうだ。
「なるほど。記憶した。二人共、これを飲むと、良い。疲労回復の効果のある、薬湯だ」
変わらぬのは獣神子である玥だけだ。いつも通りの表情と口調で茶を準備し、それを二人の前に給仕すると鈴音達の向かいの長椅子に腰を下ろした。
長机と向かい合わせの揃いの長椅子。この豪奢な木の家具セットは
鈴音の世界で言う所の応接セットに近いかもしれない。そういえば昔おじいちゃんの家で見たかもしれないと、鈴音は疲れ切った頭でぼんやりと思った。
「あ~沁みる」
「有難う、玥。美味しいよ」
「リンインの、好きな茶葉だ。良かった。では、わたしからの報告をさせて、ほしい。今日わたしは
「もう一つの祝儀品か。にしても、そっちも大変そうやな」
お代わりを自分で注ぎ、虎礼が呟く。茶菓子を口に運ぶ事も忘れない。
「これ旨いで」を勧められ、鈴音は有難く一口サイズの焼き菓子を頂戴した。
サクッとした生地の中に砕いた木の実が入っている菓子はとても香ばしく、中はねっとりとした甘さがあり大変に美味だ。これは疲れた脳にテキメンに効きそうである。
「厩舎に最近は、子供も出入りするらしく、それも困っていると言っていた。ただでさえ繊細な馬に、しかも今は暴れ馬もいるのにと」
「子供て、使用人の家族って事なんかな。厩舎を遊び場にしてるってことか?」
最後の菓子は鈴音に譲ってくれるらしい。茶も飲みきり、虎礼は長椅子に深く腰掛けた。そのまま天井に視線を投げていたので、このまま虎礼は眠ってしまうのではないかと鈴音は思った。
玥は首を振る。
「それはわからない。明日もう一度その子供のことを、聞きに行こうと思っている」
「ねぇ玥。それ私がやってもいいかな? 厩舎の側の池も気になってるの」
「ほーん? 何かあったん」
夢の話をしている間、二人は黙って鈴音に耳を傾けていた。玥はともかく、虎礼が真面目な表情をしていたのが印象的だった。
「姐さんの場合、夢の話も馬鹿に出来んやろ。何かしら意味があるのかもしれん」
虎礼はきっと明鈴の時の事を思い出している。
彼らの思い出に介入した鈴音を疑わず拒否もせず、その能力の一端を彼は信じ、受け入れているのだ。
「期日まで後二日しかない。やりたいと思った事は、しておいた方が良いと、わたしも思う」
「あのね、二人に聞きたい。このまま期日まで精一杯頑張って、でも探し物は見つからなくて、そしたらどうなるのかな。
暫くは、皆黙っていた。沈黙に耐えきれず鈴音が顔を上げると、玥と目が合う。
「リンインは、自分の選択によって起こることが、怖いのだろうか?」
「……そうなのかもしれない」
まだ見ぬ未来。年若い鈴音にとっては重い選択ばかりだ。度重なる出来事に、思った以上に自分は疲弊していたのだ。今言葉に出した事で、はっきりと鈴音はそれを自覚した。
何も考えず、与えられるものだけを受け入れていたならば、こんなにも悩む事は無かった。
「でも、なんにもしないのも性に合わんのやろう? 姐さんは」
トンと腕に何かが当たる。虎礼が肘で鈴音を小突いたのだ。
虎礼の口元には笑みが浮かんでいた。
「なに弱きになっとん。リンイン姐さんは今は何も心配せんと、姐さんらしくやればエエ。何かしたいって思ったんやろう? 行動力はピカイチなんやから自信持ってこ! 少なくとも俺はリンイン姐さんの向こう見ずなとこ好きやで」
「虎礼……」
「私も、同意見だ。駄目ならば、主や
思わず潤んだ瞳を腕で拭い、鈴音は大きく頷いた。
後悔しない選択をする。自分にもきっと何か出来る。しかし誰しも時に揺らぐ時はある。心がしおれている時だってある。
誰かが傍に居てくれる事は、こんなにも大きなものだったのだ。
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