第28話 少女と赤馬





 期日まであと二日。

 翌朝、早くに起き出した鈴音はスゥトゥで身に付けていた獣神子の服を着て厩舎に向かった。

 少しの時間も惜しいのだ。ここは動きやすさ重視だろう。

 教えてもらった戸口から庭に出る。


「わぁ」


 ここは屋敷の真裏にあたる。鈴音の部屋のベランダから眺めていたが、平面上に立ってみると、また違った印象を受ける。

 膝丈の花に始まり、庭の奥へと向かって丈の高さが増してゆく。そのどれもが美しさを保っており、庭師の腕の良さを感じられる仕上がりだった。花畑の中に造られた道を進めば、色とりどり、様々な種類の草花を眺められる仕様になっている。

 鈴音は当初の目的を忘れ、暫し花園に見入っていた。


「そろそろ行かなくちゃ。えっと、池、池っと」


 再び歩みを進めると、それは道なりにすぐ見つかった。そこには夢で見た通りの風景が広がっていた。鈴音の視界いっぱいに占める池の周辺には、白い花が群生している。その一画に不自然な違いを鈴音は発見した。

 群生している白い花の間に赤い色が差していたのだ。もぞもぞと動いていたので、鈴音はそれが小さな子供だとすぐに判った。


「おはよう? ここで何をしてるの?」

「お姉ちゃん、だぁれ?」

「私はリンインって言うの。貴方のお名前は?」


 鈴音の足首高ほどの小さな石碑の前で、赤い服の女の子は屈んでいた。苔が生え、文字までは読み取れない。恐らくこの池の事が記してあるのだろう。

 おかっぱ頭の女の子は、鈴音の顔マジマジ。みるみるうちに笑顔になった。


桃麗タオリーだよ! 桃麗は知ってるよ。お姉ちゃんはお嫁さんで、神子さまなんでしょ?」

「えっ! どうしてそんなこと知ってるの?」

「えへへー、桃麗はこのお屋敷の何でも知ってるんだから。ここへはお花を見に来たの? あのね、水の近くは危ないんだよ。ぶくぶく~ってお水飲んだら天国に行っちゃうから気を付けてねって、お母さん言ってたもん」


 「だからこっちね」と手を引かれ、桃麗に言われるまま鈴音は池から少し離れた所に座った。きっとこの芝生は桃麗の遊び場なのだ。小さなスコップやバケツが置いてあり、作り掛けの砂山もあった。

 桃麗は屈んだ鈴音を上目遣いに見つめている。

 もじもじしている姿はなんとも可愛らしい。意図を察した鈴音はその場にあった食器を取ると笑って見せた。


「よっしゃ~、一緒に遊ぼう!」


 「遊ぶからには楽しんじゃうよ!」と、気合の入った鈴音は時間を忘れ、お店屋さんごっこから泥団子づくりまで一通り遊び尽くしたのだった。


「ぜーはー、ぜーはー」

「お姉ちゃん大丈夫?」

「アハハ、心配させちゃってごめんね。桃麗と遊ぶのが楽しくてハリキリ過ぎちゃったみたい」

「ほんとっ? あのね、桃麗もすっごく楽しかったの。だからね、お姉ちゃんにはトクベツに教えてあげるね」

「えっ、何だろ?」

 

 桃麗は小さな手で鈴音の服の裾を引っ張った。その細く柔らかな指は次いで、池の向こうの厩舎を指している。


「あそこの赤いお馬さん、こないだ連れて来られたの。すっごくキレイでね、桃麗見に行ったの。でもお馬さん、足をカンカンッてして、ずっと怒ってるんだぁ~。お姉ちゃん、一緒に見に行く?」


 桃麗は嬉しそうに鈴音の手を引いて歩き出した。


「そうなんだね。あ、もしかしたら赤いお馬さんは新しいお家に来て、家族と離れ離れになっちゃったから寂しいのもかもしれないね」

 

 鈴音がそう言うと、桃麗は目を輝かせた。


「そっかぁ! 桃麗もわかるよ。桃麗もね。お母さんと会えなくなっちゃったからさみしいもん。でもね、今日お姉ちゃんに遊んでもらったから、さみしくなかったの! ありがとう、鈴音お姉ちゃん!」

「えっ、私の名前どうして――……」


 桃麗の笑顔は、まるで花が咲いたようだと鈴音は思う。見ていると自然とこちらまでつられて笑んでしまう。

 そんな鈴音の視界の中で、はらりと彼女は掻き消えてしまった。

 確かに触れ合っていた掌に、指先には未だ確かに感触が残っているのに……。

 彼女はいなくなっていた。


 後に聞いた、この庭園での哀しい事故。

 使用人の女児が遊んでいる最中に行方不明となり、後に池の中で発見された。

 家族の気持ちを汲んだ夏雲は、女児の好きだった花園に小さな石碑を立て丁重に弔ったのだという。

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