第12話 その者の名は





 鈴音はズキズキとした痛みを感じ、身をよじった。次いで感じたのは山の匂い。

 頬に当たった刺激は意識の覚醒を促した。

  

「あ、め……?」

 

 目を開けると、灰色の壁が見えた。あちこちヒビが入っていて、錆色が油膜の様に付いている。鈴音は目だけを動かして周りを確認した。すると判ったのは、自分はどうやら石造りの壁の中にいるのだということだった。

 つまり、ここはさっきまで居た森の中では無い。雨だと錯覚したのはポツリと頬に伝い落ちた雫と、全身にまとわりついていた湿気がそうさせたのだろう。


 身を起こすとさらに頭部が痛み、思わず顔を顰める。

 改めて観察すると、今いる場所は人工的に作られたものではなく、洞穴に近かった。牢屋の鉄格子と思われた四方の一辺は、天井からつららのように伸びた鍾乳石だったのだ。それらは見事な格子状となっており、鈴音が身体を縦にしたとしても通り抜けられそうもない。

 認識した途端、鈴音の顔色が変わる。

 

「嘘でしょ……何なのこれ?」

「とんだヘマやらかしたもんやで。ああ、これは俺の。あんたの事やない」


 しかも鈴音の呟きに答えた者がいた。若い男の声だ。

 高い位置の隙間からは自然光が幾らか射し込んでいる。振り返り見たのは、白光に浮かび上がる同年代らしき青年の姿だった。彼は洞穴の隅っこに座り、口角を上げ恐らくは鈴音を見ていた。不確かに思えたのは、射し込む光がちょうど彼の鼻から上を隠していたからだ。

 彼は、鈴音のこれまでの人生の中で、およそ目にした事の無い特徴を随所に散りばめた外見をしていた。

 メッシュの入った黒髪と、四肢や首には刺青が入っている。耳には小さな輪っかのピアスがたくさん。どっからどう見ても素行のよろしく無さそうな男だ。

 とは思ったものの、口調だけは取っつきやすそうに感じた鈴音は意を決して話し掛けてみた。


「私達、捕まっちゃったってこと? ……ここは何処なの? シャウユイの森じゃないの?」


 青年は小さく口笛を吹くと、片膝の埃を払った。

 改めて見ると、格好も妙だ。この世界でよく見る長衣でなく随分と軽装で、下半身も僧衣のように膝下までしか布が無い。ゆえに鈴音には、四肢の刺青を誇示する為の装束の様に感じられた。

 それにしても、この青年は自分と同じく泥だらけだ。元は白だっただろう旅装束は、元の色を留めていないほどに汚れてしまっている。


「俺含めて、盗賊は何処にでもおるからな。運ばれた時間と距離を考えたら、まだ森は出てへん。にしてもこの状況で取り乱さんとは、あんた、もしやカタギちゃうんか? めっちゃ肝が据わってるな」


 立ち上がった青年は鈴音の前まで来ると、再び屈んだ。

 間近に見る彼の瞳は黄みが強く、その光彩は角度によって金色にも思えた。

 じっと見据えられ、鈴音の身が竦む。黙ったまま固まっていると面白そうに笑い、青年は身体を離した。

 彼も異種族なのだ。大きく丸い瞳孔が無表情に自分を見ていた。狩られるという得体の知れない恐れは脳でなく、本能的に鈴音の身を逡巡させたのだ。


 スゥトゥで過ごし、この世界自体に多少は慣れたと自負していた。でもそれは思い違いであり、思い上がりだった。安全圏から出れば、こんなにも世間知らずで甘い自分が露見する。

 

「……」


 青年はぽきぽきと肩を鳴らしている。


「驚かすつもりは無かったんやけどな。誉めたんやで? というか、俺を助けようとしたんに貧乏くじ引いたな」

「えっ?」

「俺の名前は虎礼フーリィ。獣人や。森の中では世話んなった。ありがとうさん」


 あんぐりと口を開けてしまったのも、仕方がないと思う。

 青年と向き合っていた鈴音の視線がゆっくりと、それに合わせて下がっていく。狐に化かされたとは、きっとこのような感覚を言うのだ。


「獣人って、こんな風に自在に変化出来るの?」


 青年はあっという間に獣の姿になってみせた。

 なんと彼は、罠にかかっていたあの黒犬だったのだ。

 満足気に飛び跳ねた虎礼フーリィは、長い尻尾を振っている。

 

「んじゃ、俺は行くで。シノギ途中やねん」


 そして唐突につらら格子の隙間から出て行こうとしたので、鈴音は咄嗟に黒い尻尾を掴んで引っ張った。

 前のめりになった黒犬虎礼フーリィは思いっきり顔面を強打する。


「ミギャ! な、なななにすんねん、われぇっ!」


 変な叫び声が牢屋に響き渡ったが、知ったこっちゃない。


「ワンちゃんの睨みなんて怖くないんだから!」

「ワンちゃんてなんやねん! 俺はネコ科やっちゅうねん! この目ぇ見たら判るやろ!?」

「もうそれはいいから!」

「ハァっ!?」


 孤立無援状態の鈴音は必死だった。


「まだ話は終わってないの。確認したいんだけど、貴方は森の中で罠にかかっていた子なのよね?」

「そうや言うてるやろ。一応助けてくれようとしてたみたいやし、何も言わんまま去るのも後味悪いやん。だからあんたが目覚めるまでおっただけやで。もうエエやろ?」


 いいわけあるかぃ! 喉まで出掛かった言葉を、何とか飲み込む。

 落ち着かないといけない。この尻尾は私の命綱だ。

 中身は虎礼フーリィとしても、見かけ思いっきり動物の彼が流暢に人語を話していること自体にも脳がバグりそうであるのに、ともすれば混乱に投げ出してしまいそうになる感情を抑え、鈴音は何とか息を整えた。


「本当に、それで、いいの?」

「何言うてんねん?」


 鈴音は賭けてみることにした。

 虎礼フーリィのヤンチャな外見。そして話し方。これは鈴音の世界で言う所の、あっちの人なのではないのだろうかと。例えば組があるのか無いのか。いや、そんなのはこの際気にする所じゃない。今はただ誠心誠意、心と言葉を尽くして何とかこの事態を打開しなければならない。それだけだ。

 少なからず得た情報から、どうやら自分は虎礼フーリィと共に盗賊にさらわれたようである。現在時刻、場所も不明瞭。頼みの綱は言葉が通じる獣人族の虎礼フーリィだけだ。一人ではどうにも出来ない事も、二人でならどうにか出来る。うむ。そう信じたい。


「私は怪我をして倒れている貴方を助けたわ。それなのに、自分だけ逃げようというの?」

「ゥグッ!……た、確かに、それは――」


 心。そう、虎礼フーリィの任侠魂に語り掛けるのよ鈴音。


「私が起きるまで律儀に待っていた貴方だもの。義理人情に厚く、受けた恩義を無下にはしない男と見受けます。そう、そうよね……」

「へっ?」

「そうやなぁ! 筋を通さずして己に胸を張れるんか! どうなんや虎礼フーリィ!」

「ヒッヒエエエエエエッ! 堪忍してや、姐さん!」


 弁の乗った鈴音のドス声に、虎礼フーリィは全身の毛を逆立て縮み上がった。

 そして――。




「ど、どこの組の姐さんなんです?」


 行儀良く、一歩一歩お尻から牢屋の中に戻ったのち

 頃合いを見計らって口を開いた虎礼フーリィは、未だ滝汗をかいていた。 




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