第16話 宝剣の再会




 

「なっ、何してんねん、あんた!」

「姐さんが、逃げ出すわけない、でしょ」


 鈴音達は今絶体絶命だった。

 やはり先見した通りの出来事が起こった。寸での所で虎礼フーリィの手を掴む事に成功したものの、鈴音の全体重をもってしても、男の身体を支えるのは容易い事ではない。

 虎礼のもう片方の腕は崖の縁を掴んでいる。それでも少しでも気を抜くと這いつくばった身体ごと闇に吸い込まれてしまいそうになる。


「クソが! こっちの手がイカれてなかったら何とかなったのに! ボケカス! アホか俺は!」

「グオオアッ……オマ、エ! オマエエエエ!」

小鬼児こきじ!」


 鈴音は目をみはった。

 小鬼児こきじが生きている。数メートル先に岸壁の縁を掴む手が闇夜に浮かんで見えた。激しく動く頭部と、白い煙。鼻先を掠めた臭気は、小鬼児の抗いを示していた。


「そうや、あいつ宝剣を持ってるんか!……」


 宝剣の拒否反応だ。持ち主以外を許さず、皮膚をも溶かす熱を発する。


「オマエ、コッチ! ホウケン! アル!」


 小鬼児が鈴音に向かって繰り返し叫んでいる。

 何を言わんとしているのか、すぐに鈴音の脳は理解していた。

 それでも平静を装い、鈴音は虎礼の手をさらに強く握った。


「虎礼。怪我してて痛いだろうけど、そっちの手でっ、もう少し踏ん張れないかな」

「姐さん、もういいよ」

「ほらっ、火事場の何とかって言うじゃない? わたしもっ頑張るから!」

「今やったら宝剣を取り戻せる」


 今まで見た事の無いくらい真剣な表情を、虎礼はしていた。

 こんなに状況は切迫しているのに、時が止まったかに思える沈黙がしばし、二人の間に落ちる。


「……嘘やろっ」


 虎礼の叫びに、鈴音は弾かれた様に面を上げた。

 彼の視線を追い顔を横に向けると、信じ難い光景が目に飛び込んで来る。

 

「オマエェ、コロ、コロコロスッ! ヒャハハハハハ」


 崖を上がった小鬼児が、一歩一歩こちらに近付いて来ていた。

 焼かれ白い骨が見える手、宝剣を仕舞っていたと思われる胴体は衣服の中の皮膚までただれ、肉片がぶら下がっている。その一部は今もなお、ぶすぶすと白く煙を発していた。

 それでも宝剣を手放さない。鈴音には、もはや狂っているとしか思えなかった。

 自己を凌駕され魅入られるのか。

 神聖とは名ばかりだ。そうであるがゆえの蠱惑性は死を引き寄せているとしか思えないのだから。


「姐さん! はよ離せぇっ!」


 鈴音は必死の思いで魔物から目を外した。

 玉の汗が滴り落ちる。身体は上手く動かず、頭の中もごちゃごちゃだ。それでも努めて明るく、鈴音は表情を作った。

 身体がじりじりと前に引っ張られている。うつ伏せの体勢のまま何とか踏ん張ろうと、鈴音は腰に力を入れ爪先を地面に食い込ませる。


「今はそんなこといいから! 頑張って!」

「アホ! 早く逃げ! このままやと、あんたも――」

「嫌よ!」


 首を振る鈴音の瞳に涙がもり上がる。緩められる掌を離すまいと、もはや鈴音の頭の中にはそれしか無かったのかもしれない。

 すぐ側の、深い深い崖の底から吹き上がる風の不気味な音が、殊更に恐ろしい。 

  

「離さないわ! 絶対に!」


 鈴音の声は、もはや叫びに近かった。

 虎礼の金色の目が大きく見開かれる。


「なんでなん? なんでちょっと前に会っただけの俺相手に、そこまでするんよ」

「……用事」

「えっ?」

「あるって言ってたじゃない。約束反故にさせるのは、私の主義に反するもん」

「ハハ……なんそれ。なんなん、ホンマ。……ワケわからん」


 鈴音が笑みを浮かべると、虎礼は困った風に眉を寄せた。

 自分の側で、地面を擦る足音がピタリと止まる。


「姐さん!」


 しかし、来ると思った痛みは感じなかった。

 代わりに、何かが鈴音の額を掠め落ちる。

 はらはらと舞う、赤い羽。


「……呼び掛けは確かに届いたぞ」


 串刺しにされた小鬼児こきじが崩れ落ちる。宝剣は主の命に従い形をも変えるのだろう。の者が伸びていた刀身を亡骸から引き抜くと、宝剣は瞬時に元の短剣へと形を創った。


夏雲シアユン!」

「遅くなってすまない」


 夏雲はすぐ虎礼を引き上げにかかった。

 一気に負担が無くなり、鈴音は大きく息をつく。気が抜けた今、全身が悲鳴を上げているのが判る。

 傍らに目を向けると、小鬼児の亡骸から落ちた宝剣が静かに佇んでいた。

 薄っすらと朧を纏うそれに、何故か呼ばれた様に思えた。


「……」

 

 宝剣に執着した小鬼児。

 結果として夏雲に命を奪われたが、あのまま宝剣を持ち続けていたとしても、近い将来同じ運命を辿る事となったかもしれない。

 それほどに強力な力を持っているのだ。持ち主でない者が得ようとすれば、並の精神力では欲に飲まれてしまう。いや、持ち主すらも、もしかしたら――。


「そうはならない。きっと……だからどうか、私達の元でいい子にしていて」


 懐に仕舞った宝剣に手を当て、祈る。

 冷たく硬い。その中から沸き立つ熱は、今はもうただ悠然とそこに在る。

 

「ありがとうさん、助かった。もしかして、あんたが例の婚約者さん?」

「助けたのは、お前に聞かねばならない事があったからだ」


 崖から上がった虎礼は肩で息をしている。そんな彼を夏雲冷ややかに見つめていた。

 虎礼とは初対面なのだから、警戒心があるのは判る。ただ少し、昔を思い出してしまった。


「あ、あの、夏雲! 彼は虎礼って言うの。勝手に拠点から離れすぎてごめんなさい。森の中でね――」


 すると突然、鈴音の言葉に被せ重い音が響き渡った。三人が立っていた地面が揺れ始めたのだ。


「なんなん、次から次へと!」

「崩れるぞ!」


 続く地鳴りと共に周囲には細かな亀裂が走り、ひび割れは放射状に広がる。

 ぐらり、バランスを崩した身体は割れ目へと吸い込まれていった。

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