第15話 それぞれの選択






 馬車から落下した。

 脳裏には落馬した小鬼児こきじの事が思い浮かんだ。

 自分の身に襲いくるだろう未知の恐怖から目を瞑り、鈴音はその瞬間を待った。

 

「っ!」

 

 直後、激しい衝撃と共に地面に叩きつけられた身体はごろごろと転がり、停止する。

 身体中がじんじんと痛んだ。しかしそれは傷の痛みでは無い様に思えた。


「えっ?」


 何か温かなもので自分の身は包まれている。

 それが何なのかと確認した鈴音の目は大きく見開かれる。


虎礼フーリィ! うそ、そんな……」


 虎礼の腕の中から抜け出すと、鈴音は叫んだ。

 虎礼は目は閉じられている。乱れた黒髪の隙間から赤い血が伝うのを見た鈴音の鼓動は跳ね上がった。


「虎礼、イヤよ、目を開けて!」


 すると暗闇の中から呻き声が聞こえて来た。

 目を凝らし周囲に目を向けると、自分達は決して無事とは言い難い状況だと気付く。周囲には外れた車輪が転がり、馬車本体は何故か荷台の後部しか見えなかった。


「嘘でしょ……」


 前方の崖に、馬車は呑み込まれていたのだ。

 暗闇に沈んだ風に見えたのは、絶妙なバランスで馬車が引っ掛かっていたからだ。 

 するとそこからのろのろと小鬼児の一人が顔を出した。


 手負いの獣ほど気を付けなければならない。何故かその言葉が浮かんだ。もはや人とも思えぬ形相を、その者はしていたからだろうか。元より空想の世界に生きる生物の様相をしていた小鬼児こきじだったが、今はそこに肉食獣の獰猛さをも含んだ様な、一目で鈴音の身動きを奪うに足る恐ろしさを含んでいた。


「……」


 小鬼児はぐらぐらと揺れる馬車を上り、ゆっくりと自分に向かって迫ってくる。目だけでその動きを追う鈴音の背筋を汗が伝い落ちていった。

 

「ん……」

「虎礼!」


 虎礼の意識がある。不思議な事に彼の無事が判り安堵した途端に鈴音の心は奮い立った。

 

「オマ、エラ、ユルサナイ、ゾ」

「こっちに来ないで! 宝剣を返してとは言わないから、何もしないで帰って!」


 鈴音は下腹に力を入れて立ち上がり、向かってくる小人に向かって叫ぶ。

 荷台には無かった宝剣。きっと小人の誰かが今も持っている。高く売れると言っていたし、それさえあればいい筈だ。話せば見逃してくれるのではないか、そんな期待が鈴音の中にはあった。


「なにナマ、言うてんすか」

「虎礼! 気が付いたの? 平気?」


 足元から声がした。フラつきながら立ち上がった彼は、鈴音と目が合うと口だけで笑って見せた。目元と頬が擦り切れ痛々しい。髪に隠れた額からの出血が激しく、メッシュ部分が血に濡れ赤く染まっていた。


「ホウケン! ホウケン! コレ、オレノモノ!」

「オマエ、イラナイ! オレノモノダ!」 


 前方が騒がしくなる。なんと馬車からもう一人が小鬼児が這い出てきたのだ。小鬼児はお互いを労わるどころか、宝剣を巡って小競り合いを始めた。次第に音は激しくなり、暫くして、あまり聞いた事の無い呻き声が一際大きく響き渡った。


 瞬間、鈴音達の足元に何かが飛んで来た。

 ごろごろと転がり、停止する。


「!」


 鈴音は最初それが何なのか判らなかった。

 夜の闇のせいもある。しかし恐らくこれは鈴音の中の防衛反応だ。

 とてもじゃないが安易に受け入れられない。平和な世の中で育って来た鈴音の中で、およそ目にする事の無い生首が自分を見上げている。


「腹決めて下さい」

「えっ?」


 虎礼は鈴音の前に立ち、片腕で庇う仕草をとる。

 不自然に息が荒い。


「……ロス。オマエラ、コロス! ギャーッハッハッハ!」


 二人が凝視する中、首無しの胴体から宝剣を探り出した小鬼児が今度は鈴音達に目を向けた。


「残念やけど今の俺は走れそうにないんで。だからリンインの姐さんだけ逃げる作戦で」

「そんなこと――」

「助け呼んで来て欲しいねん。俺だけじゃ心許ないやん。姐さんやったら判るやろ?」

「虎礼……」


 心臓がどくどくと波打っている。自分は今どんな顔をしているのだろう。虎礼は、まるで鈴音を宥める様に頭を撫でた。


「……行かないで」


 虎礼が一歩踏み出した、その時。

 視界が揺れる。あの時と同じ現象が、鈴音を襲っていた。

 虎礼が小鬼児に向かって駆け出し、飛び掛かった。突如として馬車を支えていた崖が崩れ、虎礼もろとも闇にすべてが飲み込まれてしまう。


「虎礼!」


 何故か疑いようの無い確信が、鈴音の全身を突き動かしていた。

 駆け出した虎礼を追う。

 そして鈴音は無我夢中で彼に向って手を伸ばしていた。


 

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