第14話 夜闇、駆ける
あれよあれよ。
抵抗虚しく、鈴音と
手は細い針金でぐるぐる巻きにされ、そこから伸びた半透明の鎖が虎礼の手錠と繋がっている状態だった。つまり二人三脚、運命共同体である。
確認してみた所、やはり術式の拘束はちょっとやそっとでは解除出来ない。
森の中にあった罠と同じな為、宝剣さえあれば解けるだろう。しかしその宝剣は手元に無く、鈴音達の身と共に取引される運命にあるのだった。
武具の中でも段違いに価値の高い宝剣。小鬼児の取引相手が誰なのかは判らないが、国を渡る商人ともなれば、行方を追う事の困難さは想像に難くない。
鈴音は項垂れる。自分の身勝手な行動で
夏雲は自分を信じて大切な宝剣を託してくれたに違いないのに。
「こんな事なら、オシッコ我慢すれば良かった」
「なんて?」
「あっ! えっ?」
「心の声、ダダもれやん」
馬車に押し込まれたっきり黙っていた虎礼だ。
想像と違い、声音は思ったよりも消沈していなかった。
鈴音達は今、小鬼児の馬車に揺られている。よほど荒れ道を走っているのか、立て揺れは尾てい骨に刺さり、その振動は背骨を伝い喉まで突き抜けた。
木の板を雑に釘で打ち付けただけの質素な馬車だ。隙間が幾つもあり、そこから夕陽の光が僅かばかり入る事で、何とか大体の時間と方角は知る事が出来た。
鈴音は夏雲達と共に鳥人族の都のある南へ向かっていた筈だ。しかし今は日の沈む方角、馬車は西へと走っている。
――このままじゃ、どんどん夏雲達と離れちゃう!
焦りと後悔からとはいえ、口から弱音が零れてしまった事を鈴音は後悔した。
そういえば、ざっと話しただけで、ココまでの詳しい経緯を虎礼には話していないのだ。乙女的にはとんでもない事を漏らしてしまったわけだが、幸いと言っていいのか、虎礼は何かをしているらしく、もう話し掛けては来なかった。
「虎礼、どうにかしてここから抜け出せないかな。宝剣さえあれば何とかなったかもしれないんだけど。ううう、その宝剣を何とか取り返さなくちゃ……ねぇ、さっきから何をしているの?」
鈴音は薄暗がりの中、彼ににじり寄った。小鬼児に悟られぬよう、用心深く小声で耳打ちする。
「俺も急いでる。用事あるて言うたやろ? だから頑張ってんねん」
呟く虎礼は、胡坐をかいた太ももの上で手を動かしている。手枷をどうにか出来るのだろうかと、鈴音は熱のこもった目で次の言葉を待った。
ちなみに虎礼は変わらず人間の姿だ。小鬼児から恐ろしい自分の未来を聞かされた彼は、頑なに人の姿を貫いていた。
それにしても、特に祝詞の必要もなく獣から人へ変化出来てしまうとは、異種族の能力には舌を巻く。
鳥人族は背中に羽元があって、必要な時に羽を出せる仕組み。
「まー、なんでも慣れやと思うけど」
「えっ?」
「寝所を共にしてるくらいの男相手に、姐さんともあろうもんが何を気にするん」
虎礼はニヤリと笑う。明らかに可笑しがられている。しっかりと聞いていたのだ、この男は。
夏雲と一緒に寝た時の事を思い出し、鈴音は思いきり赤面した。
「もうその話はいいってば! 第一そういう問題じゃないし……け、結婚の契りもまだなんだから」
鈴音がそう言うと虎礼がハッと息を呑んだのが何となく判った。
「! ……なるほど。そこはケジメってことか。俺とした事が!」
「あ、いやそういうわけでも」
むしろ恥じらい精神は持ち続けたい。
「ほいじゃあ用事のある俺。婚約者に再会したい姐さんということで。こうしちゃおれんわ。こんな所はよ抜け出しましょう」
「う、うんっ! ぶえっ」
馬車が大きく揺れ、バランスを崩した鈴音は虎礼の胸元に鼻先をぶつけてしまう。胸板は堅く、ぶつかってもびくともしなかった。
「ハハ。ほら、終わったで」
「ほえっ? えっ! 手枷が無くなってる? 虎礼すごい。一体何したの?」
「ふっふーん。俺に掛かればこんくらいの拘束は何でもない。任せてんか!」
「森の中の罠と似てると思ったけど、あれとは違うものなの?」
鈴音は他意無く疑問を口にしただけだったが、虎礼は目に見えて気まずそうな顔をした。
「あ~、あの時は罠が手首に食い込んで痛かったから、そこは集中がね、要るやんか……まぁまぁエエやないですか。ほな気張ってこか!」
なるほどと鈴音は納得した。きっと虎礼は術を用いて解錠したのだろう。術式発動には精神を落ち着かせて集中しなければならないとスゥトゥで学んだ。
「次は何を――……」
指を口元にあてていた虎礼が目に入り、鈴音は慌てて口を噤んだ。
虎礼はすでに次の行動に映っており、覗き窓から馬車の前方にいるであろう小鬼児の様子を窺っている。
鈴音もこそっと覗き見た。手綱を握っている小鬼児を入れて、合計三人が御者席に横並びに座っている事を確認する。
「一対三。多勢に無勢やけどやるしかないで。このまま売られるなんて嫌やもんな? あんたも俺も」
「もちろん! 絶対にここから抜け出して見せるんだから」
うっかり普通の声で話してしまい、虎礼に口を押さえられる。
「そういえば、あんたの名前をまだ聞いてなかったな」
「鈴音、あ、リンインが呼びやすいのかな。ねぇ、一対三って、私は数に入ってないって事?」
「じゃあリンインの姐さんは、ここで踏ん張ってて下さい、よっと」
「あっ、ちょっと――」
幸い鈴音達の居る荷台扉には錠が掛けられていなかった。虎礼はそこから身体を荷台に沿わせる様に隙間に足を掛け、ゆっくりと移動する。
もう日は暮れて夜の闇がしっとりと降りている。
どうか見つかりませんようにと、鈴音は堅く両手を握り締め祈った。
暫くして。僅かな凹凸しか無いというのに、見事虎礼は小鬼児達の真横まで辿り着いた。
「グェッ! ギャギャッ」
「オマエ、ドウヤッテ!」
虎礼はあっという間に御者席に座っていた小鬼児の一人を引きずり下ろし、入れ替わる様にその席に降り立った。奇襲になす術もなく馬車から投げ出された小鬼児が鈴音の目の前を掠めていく。奇声を発する黒いモノは数度バウンドしながら転がり、あっという間に視界から消えてしまった。
「……」
馬車から落下する「もしも」を想像してしまい、鈴音はゾッと胸を撫で下ろした。
まだ馬車は走り続けている。
敵の数は後二人。ここからではよく見えないが、スピードを上げ始めた馬車が虎礼の奮闘を示しているに違いない。
「キャッ!」
思い切り跳ねた馬車に、鈴音は思わず扉に寄り掛かった。
「踏ん張ってて、ってこういう事?」
ともすれば恐怖に飲まれてしまいそうになる心を奮い立たせ、鈴音はわざと言葉を口に出した。
「なにか、何か一つくらい役に立ちそうなもの!」
虎礼はああ言ってくれたけど、このまま自分だけ何もせずにじっとしているなんて出来ない。
鈴音は居ても立ってもいられず、荷台の中に置かれていた木箱を手当たり次第に開けた。しかし見つかったのは少しの食料と、石や草の束。
宝剣は勿論の事、何か役に立ちそうなものは何一つ見当たらなかった。
「うう、なんにも見つからない。何も出来ないの?」
天を仰いだ鈴音は太ももにある感触に、ふと気付いた。
腰に付けていた革袋は唯一手元に残ったものだ。
中身は夏雲からもらった地守りの砂。小さな包みは確かな重みをもってして、その存在を鈴音に伝えていたのかもしれない。
「何も、見つからない。 見つける……」
鈴音は
「見つからないなら見つけてもらえばいいんだ!」
中にはまだ十分な守り砂が残っている。鈴音は開け放たれた扉からそっと顔を出し、少量ずつ砂を落としていった。最後に一山分を馬車内中央に革袋のまま設置する。
地守りの結界。このまま術式を使っても結界としては機能しないだろう。しかし恐らく砂は祝詞に反応し光る。
電気の無い異世界の夜の闇はとても深い。
「規則性があれば少しの光でも目立つ筈。
鈴音は深呼吸をして目を閉じる。
「温かな光 灯し給え 輝き給え 旅人を守りし地の守りよ」
祝詞を唱え終えると、鈴音は気付いた。次第に雑音が薄らぎ、かの神聖な空気に全身が包まれている。寄り添われている。
スゥトゥの情景が瞼の裏に駆け巡った。風に揺れる湖面の音。新緑の匂い。
碌影との早朝の祈りの時間。獣神子達との座禅の時間。神殿内の掃除や飼っている家畜の世話。湖周りの草刈りや葉拾い。釜戸と火の扱いから始まった炊事全般。
そして、この世界での初歩的な術の習得。
――うっかり寝坊をした時は
「ひゃっ!」
突然の衝撃音に思わず鈴音は目を開けた。今までの静寂が嘘の様に、あらゆる音や匂いが一気に鈴音の全身に流れ込む。
瞬間にここはスゥトゥではなく、起こしに来たのは
神官は祈りに入ると精神の深みにまで潜る事もあると聞く。にわかには信じ難いが、さっきの自分はもしかしたら、一時的にそういった状態に置かれたのかもしれない。
「オマエウリモノ! オマエ、ナニヲシタ!」
「ぎゃああああ!」
守り砂の術式は成功していた。しかし立ち昇る光で浮かび上がっていたのは恐ろしいコントラストをした顔面だった。状況も相俟って、鈴音は絶叫する。
なんと仁王立ちの小鬼児がすぐ後ろに立っていたのである。
守り砂の光で照らされた小鬼児の顔面は誰が見ても判る怒りの形相で、おまけに流血までしている。
ホラーが苦手な鈴音は小刻みに悲鳴を上げながら隅っこに飛び退いた。
とはいえこのままではまずい。鈴音は究極の選択を迫られていた。
「ぐっ! くそ、しぶといな……って何してんねんっ!」
「ふ、ふーりぃぃぃ! ひかっ光ったでしょ?」
「そんなことよりぃ! いや光ったけども!」
「マテ! オマエ、ソッチイクナ!」
「ぎゃああああ! こっち来ないでよ!」
勢いのまま飛び出し何とか馬車の縁伝いにしがみついたものの、事態はちっとも良くなっていない。少し先には手綱を持っている小鬼児ともみ合っている虎礼。自分のすぐ横には流血小鬼児が迫っている。
馬車は結構なスピードで蛇行を続けていた。鈴音は必死にしがみついていたが、指先は自分の意志に反してかじかみ、震えた。
「キャッ!」
もう限界が迫っていたのだろう。
追って来た小鬼児に手を掴まれそうになり、気を取られた。その瞬間、鈴音の身体は馬車から落下していた。
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