第19話 贖罪と  約束と




 獣人の一枠、白虎族。

 白銀と黒の縞。そのたくましい四肢は力強く大地を駆け、大きな身体をしなやかに使い水中を闊歩する。

 ひとたび人の姿となれば、浮世離れた銀髪と長い脚部は、俗世の人を魅惑する。

 属性は金。備わる能力は金属を生み出し、また扱いを得意とし、それを生業ともしていた。

 白虎族の中でも位の高い家柄に黒変種として生を受けた虎礼フーリィの記憶の中にあるのは、およそ奇異の目と差別だ。忌み子の出生は隠蔽され、長く屋敷内だけで、家族にすらも、見えない者の様に扱われた。

 長く、あまりにも遠い死を、ただ待つ日々。

 自分はこのままここで、知も、他の人も、世界も、ぬくもりも知らず終わるのだ。抗おうとしたとして、身体は鼓動を刻み心だけ死んでいく。

 それでも転機は訪れた。

 屋敷に訪れた行商人が「売ってくれ」と父に持ち掛けたのだ。

 この一家には他にも子供がいる。あっさりと売られた自分はその日の夜には行商人の馬車に揺られていた。

 齢は七の頃だった。

 身一つ、狭い荷台に他の売り物と共に積まれても、虎礼の心は躍った。不安よりも遥かに歓びが勝っていた。

 やっとここから自分は解き放たれたのだ。自由を得られたと思った。

 しかし状況は変化していた。虎礼のあずかり知らぬ所で運命の歯車は回り出し、彼を絡めとった。

 行商人の馬車が襲撃され、荷台は横倒しにされる。荷と共に地面に投げ出された虎礼は辛うじて意識を保てたが、脳震盪を起こした状態で身動きは取れなかった。

 

「なんだぁ? もしかしてこいつ獣人のガキか」


 まず感じたのは眩しい光だった。鼻の曲がりそうな臭気と、何らかの気配が自分を取り囲んでいる。

 明かりは男達の身なりをありありと照らし出していた。

 継ぎはぎの革と、腰にぶら下がる短剣。泥まみれの靴。

 盗賊だ、と虎礼は思った。


「へえ、なら殺すより売った方が金になるな。にしても、こいつはどっちだ?」

「あーあー、ま~た始まったよ。売る前の味見。こいつ、男でも女でもどっちでもイイくせによ」


 男が馬乗りになり、衣服に手が掛かる。そう思った時にはもう、抵抗することは出来なかった。

 意識の奥底で何かが目覚める。瞼の裏が狂暴に疼き、虎礼の意識は急速に飲み込まれる。

 

「うっ ぅああああああっ!」


 次に覚えているのは顔面を伝う生暖かい感触だった。

 投げ捨てた短剣は、周囲に散らばる死体の上に落ちた。

 その血まみれの刃が叫びに呼応する様にひび割れ、砂に還る。


 白虎族の金の力が初めて発現した瞬間だった。

 しかしそれは、金属の創造とは相反する力。

 やはり自分は忌むべき黒変種なのだ。

 虎礼は逃げ出した。黒虎の姿となり駆けて、駆けて、男達の血の匂いも、突き付けられた現実も届かないところまで。

 遠く、やがて森の中へ辿り着き、虎礼は意識を失った。



 森の中で行倒れていた虎礼フーリィを救ったのは近くの集落の住人だった。

 名を明鈴ミンリン。黒髪を団子にまとめ、藍色の詰襟服姿が常だ。

 獣化していたままだったのか、そうじゃなかったのかは今となっては知る由もない。返り血が渇いたものにまみれている自分を、にも関わらず彼女は村へ連れ帰った。

 その事実だけが虎礼の中にはある。

 明鈴は視覚を失っていると知ったのは、虎礼が数日ののちに目覚めてすぐの事だった。

 神聖なるスゥトゥのあるシャウユイの森。そこに自分は倒れていたそうだ。

 シャウユイの森は危険だから近付いてはいけない。ではどうして明鈴と出会えたのだと訊ねると、「生きる為だ」と言った。

 どちらの意味なのだろうと思った。

 明鈴は父親と二人暮らしだった。行く当てがないと話すと、働き手として家に置いてもらえる事となった。

  ディアォの村で数か月、一年と過ごす内に、明鈴のあの言葉の意味を虎礼は正しく理解した。

 この村はとても貧しい。数種の作物の実りを売るだけでは満足に生活出来ない。目が見えないというのに不思議だと漏らすと、「鼻がきく」と事も無げに言った。

 明鈴は自分の境遇を悲観せず、じっと閉じ籠ってもいない。

 不自由をものともせず毎日を精一杯に生きる明鈴の姿は、ただただ眩しかった。もしも明鈴が自分と同じだったならどうしていたのだろう。ありもしない事を考えもした。

 家屋の片隅に敷かれた藁の上で肩を並べて眠る。明鈴とは色んな話をした。いつかこの村を出て薬学を学びたい。何でも治す薬草がある話。医者にすら滅多と出会えない土地で、夢物語に過ぎなかった。だけれど明鈴が話すと本当に叶えられる気がしたし、「虎礼なら見つけられるよ」と言われたら、自分はなんでも出来ると思えた。

 「虎礼は?」と問われ答えられなかった自分の手を握り、じゃあ一緒に行こうと言った。

 二人だけの柔らかな約束をして、それはまるで一つ束ねた様で。


 気付くと眠っていて、穏やかな朝を迎える。

 思えばこれが虎礼にとって初めてのぬくもりだったのかもしれない。

 白虎族も、黒変種も、明鈴の前では何も関係が無かった。

 ありのままでいられる。

 自分との出会いを「生きる為だ」と笑った彼女の言葉を、虎礼は都合よく解釈する事にした。自分はこれからここで人として生きる。生きて良いのだと許された気がした。

 虎礼フーリィの記憶の一番にある明鈴ミンリンは、からからと笑っている。


 その季節、近年稀にみる嵐によって西方地域は飢饉となった。

  ディアォの村も例外ではなかった。収穫間近だった作物は見るも無残な状態で、とても売りものになりそうにない。幸い同西方の貴族は理解を示してくれた。しかしそれでも他地方の取引分を満たすには足りず、凋の村は追い込まれた。

 他地域の貴族は天災を言い訳にするなと足りない分を金で取り立てにくる。

 貧しさに拍車がかかり、明日食べる物を見繕うのも難しい。村人全員は疲弊を通り越し、尋常でない状態だったのかもしれなかった。

 明鈴は「なんとかなる」と言っていたが、数日間狩りから戻らない父親の心配をしている事を虎礼は知っていた。

 それでも何とか日常を過ごしていた、ある時。 ディアォの村の者が南方貴族の子息を襲ったとの一報が入った。

 狩猟用の矢から特定され挙がったのが凋の村だった。

 不徳を受け、西方貴族から使者が訪れると連絡が入り、支援が立たれる事を恐れた村人は犯人探しを始めた。

 程なくしてそれは最悪の事態を迎える。

 押し入って来た村の男達は明鈴をあっという間に外に引きずり出してしまった。村長の制止もきかない。詰問は、一人が明鈴の肩を押した事で暴力へと変わっていく。もう止められなかった。

 明鈴は村の仲間だからとか、目が見えないんだからとか。

 極限状態における蛮行は果たして許されるのだろうか。

 無抵抗な少女は地面に倒れ込み、それでも暴力は続いた。虎礼がいくら叫ぼうとも、悪徒共は止まらなかった。

 

 地面から顔を上げた明鈴が、最期に「駄目だよ」と口にした風に見えた。

 それは明鈴と初めて会った時に浮かんだ疑問の答えだったのかもしれない。やはり明鈴は自分の正体に気付いていた。

 暴走しようとする猛獣を、優しい貴方は止めたのだろう。


 男達に抑え付けられていた身体をようやく自由にされた頃、もう明鈴は動かなかった。

 あれほど荒れ狂っていた暴徒も、対象を失い鎮静化する。一人、また一人と輪から抜け、最後には膝をついた村長のみが残っていた。

 虎礼フーリィが立ち上がり、明鈴ミンリンの亡骸を抱き上げて去る間も、言葉ともつかない呻き声を上げていた。

  

 村の外れの少し小高くなった場所に、明鈴を降ろした。

 ここは春になると良い香りのする花が咲く。

 摘もうとすると、要らないと断られた事をふいに思い出した。

 自分は花が見えないから、貰っても散らかして無くしてしまうのだと。

 良い香りがするから家に持って帰って飾っておけばいいと言うと、ここへ来て花畑で寝転がる方が好きだと笑っていた。

 勝手に摘んで手向けたら、きっと明鈴は怒るだろう。

 だから、ここに居ればいいんだと思った。


 虎礼は膝をついて、そのまま手で地面を掘りはじめた。

 指先の皮がめくれてじくじくと痛む。ついには感覚が無くなっても、虎礼は手を休めなかった。

 明鈴は小柄な少女だ。だからといって何も用いずに、人ひとり分を横たえる為の穴を掘るのは相当な時間を要した。

 それでも虎礼は黙って続けた。そして最後は這いつくばる様にして、明鈴が眠るに十分な穴を掘り上げた。

 手出しせず、虎礼の様子をただ眺めていただけだった村長が初めて動いた。

 酷使した手は、彼の差し出した竹筒を掴んだだけで悲鳴を上げ、危うく取り落としそうにもなった。

 虎礼は自分の手拭いを濡らし、明鈴の顔を優しく拭った。


 約束は守るよと語り掛けた。

 明鈴の言っていた夢物語を叶える旅に出る。

 それ以外に何も持た要らない。身軽だから何処へだって行けるんだ。

 幸い自分は白虎族で、耳もいいし、夜だって探せる。鼻だって、明鈴ミンリンに負けない。


 もの言わぬ亡骸に土を掛ける。

 虎礼フーリィは声を殺して泣いた。


 どれだけ涙を流しても消えないと思っていた。ずっと、死ぬまでこの苦しさは続くのだと思っていた。


 村に激しい取り立てをした貴族。

 間違った行いを犯した明鈴の父親。

 明鈴に怒りの矛先を向けた村人。

 何も出来なかった自分。 

 もういない明鈴。


 でも薄れていく。どれだけ覚えていようとしても面影は薄れ、ぬくもりは朧げになる。 


 忘れていく。

 それが恐ろしかった。

 ふと立ち返り思う。彼女の夢を追い掛け、目的のものも見つけた。一方的なあの日の約束を果たした後、どうするのかと。

 考えるだけで心は凍えた。それ以外持たない現実がとても恐ろしかった。今にも踏み外しそうな、立っているだけでやっとの自分に未来など描ける筈が無いと思った。


 

 そんな時に出会った。明鈴ミンリンと似ても似つかない、でもそっくりだと思った。

 最悪な状況でも諦めずに立ち向かおうとする姿。彼女は初めて会った自分に手を差し伸べた。

 ひたすらに眩しく、どこか似ている。理由はそれだけで十分だったのかもしれない。

 彼女を助け死んでも、変な話それでいいとすら思った。また一方的な決意だ。

 でも疲れている自分には、もうそれで良かったんだ。


 けれど許されなかった。

 離さないと涙を流す彼女に「逃げるな」と言われた気がした。

 現れた翼を持つ青年に、言いようも無い想いが溢れた。


 自分の過去と向き合い、これからを歩み出す為に今は訪れたのかもしれなかった。 


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