第18話 涸びる大地



 夜明けと共に鈴音達一行はようやくシャウユイの森を抜けた。

 目の前に広がったのは、ほとんど植物の生えていない黄土色の地。特に目印らしき人工物があるでもなし、勿論舗装された道もない。土地勘のない鈴音などは百八十度見渡しても同じに見える。


 虎礼フーリィの目的地は西にあった。

 鈴音達の落下した崖下はシャウユイの端にあたり、馬を少し走らせるとそのまま森を抜けることが出来た。

 虎礼の目的に同行する。本来は鳥人族の都のある南側に行く筈が、予定外の寄り道だ。

 

「大丈夫か?」

「うん。スゥトゥに祈っていたの」

「……そうか」


 夏雲シアユンの問いに鈴音は頷く。

 馬上から遠くに見えるスゥトゥの白。森から空へ突き出ている外壁と、蜃気楼の様な靄が遠目に確認出来た。

 外界と神域とを隔てる結界。あの中に自分はいたのだ。

 

 ――碌影様、有難うございます。


 スゥトゥの秘密は今でも受け入れ難いものだ。しかし安易に人が訪れない場所だからこそ自分の存在は守られたのだろう。

 何よりも碌影への感謝の念が勝っている。

 鈴音は再び目を閉じ、多くを語らぬ公正な神官へ祈った。


「しかし、あいつは一体何処に向おうというのだ。この辺りとなると、村は一つしかないが」


 夏雲の合図で二頭の馬は再び走り出した。

 斜め前にはユェ虎礼フーリィが二人乗りした馬が走っていた。道案内をしているだろう虎礼が前方を指さし叫んでいる。


 夏雲の言うあいつとは虎礼の事だ。

 虎礼はともかくとして、夏雲は元々の性格も相俟ってだろうか、中々歩み寄りには程遠い。

 歳も近そうなので打ち解けるかもしれないと思ったのは、甘い考えだった。

 でも、それでも彼に同行するのは、夏雲なりの感謝の表れだと鈴音は思っている。 


 すぐ側の夏雲は手綱を握り、ただ前を見据えていた。

 乗せてもらっているし、今度はじっとしていようと鈴音は鞍に手をしっかりと添える。

 

 「もしかして、 ディアォの村に向かっているのか?」


 夏雲が呟いた。

 馬の進行方向が左に曲がったのだ。


「凋の村というと、確か赤豆が有名よね。スゥトゥへの供え物でよく見かけたの」

「そうか。スゥトゥにはまだ届いていたか。凋の村は長い間不作が続いている。昔は鳥人族の管轄下だったんだがな」

「今は、違うの?」


 鈴音が問うと、夏雲は眉を寄せて少々俯き加減になった。


「ああ。今はもうどこの支援も受けていない筈だ。だから凋は、忘れられた村と呼ばれている」

「忘れられた村……」

「見えた。あそこだ」


 荒野の中にポツンと、それはあった。

 崩れた石は、元は村を囲う外壁だっただろう事が窺える。所どころ苔の生えたそれは何とか原形を留めている程度で、そこから続く赤茶けた土は僅かばかり整えられている様に思えた。


「村の人達、仕事に出ているのかしら? 誰もいないみたい」


 道の両端にこじんまりした家屋が幾つか並んでいるが、人の気配は感じない。

 馬を降りた虎礼フーリィは村には入らず、近くの坂道を上って行った。

 鈴音らも下馬し、あぜ道を歩く。


 多くの作物が植えられているだろう田畑は荒れ果て、葉物が少しばかりあるだけで、そのどれも育ちは悪く見える。

  ディアォの村は聞いた通りの有様だった。

 そして農作物だけに止まらず、そこで作業していた村人らしき者らも同様に生気が無い。鈴音は何となく目の合った者に会釈をしたが、誰も彼もぎょっと目を剝いて俯いてしまう。誰一人として鈴音達に話し掛けてもこないのだ。


「変ね。どうしたのかしら?」


 鈴音とユェはありふれた旅装で目立ったところはないだろう。

 もしかしたら夏雲シアユンが貴族とバレたのかもしれないとも考えたが、村人の反応は畏まっていると言うよりも、怯えているに近い反応だ。


「リンイン。行こう」


 ユェに手を引かれ、鈴音は我に返る。

 すっかり先に行ってしまった夏雲と虎礼は、一定の距離を保ち歩いていた。その様子を見て、鈴音は一瞬逡巡する。


「?」


 また先見が起きるというのだろうか。 ディアォの空気のせいなのか。

 どうしてか、胸がざわめいていた。


「この村の様子が、気に掛かるのか?」

「うん。玥は何か知ってるの?」

 

 玥と二人、先を急いだ。

  

「わたしの、判る事を話そう。ここ一帯の植物の精気が微弱となったのは、人の手が入らず土地が痩せたからだ。この村は昔、貴族から支援を受けられなかったと聞いた」


 玥は前を向いたまま淡々と答えた。鈴音は空を見上げ、首を傾げる。


「貴族からの支援? ……確か、昔は鳥人族の管轄下だったって夏雲は言っていたと思う。どうして今はそうじゃなくなっているのかな」

「十年前、夏雲様を狙った者の亡骸が示していたのは、 ディアォ出身ということだ」

「えっ?」


 鈴音は二の句が継げなかった。

 普段から聞き慣れている玥の、その抑揚の無い声はさらに鈴音の胸を煽り立てる。

 十年前、初めて先見を体験した鈴音は、結果として夏雲の命を救った。鈴音が走り出さなければ、あの矢は間違いなく夏雲を射抜いていただろう。

 鳥人族の第三皇子を暗殺しようとした者が、この村にいた。

 鳥人族はきっと血眼になって賊を探しただろう。首謀者だけに止まらず、 ディアォに罪を問ったとしたら。

 

 ――事件後の詳細は、何も夏雲から聞いていないじゃない。


 玥の話が真実なら、事実を知った鳥人族がこの村を見限り、村は衰退したのではないか。

 成長で、ある程度容姿に変化があったとしても、剥き出しの背中の羽元で種族はすぐに判ってしまう。

 村の人達は恐らく夏雲が鳥人族だと気付いたのだ。ともすれば、戸惑っている様子も説明がつく。

 それに夏雲自身、ここに向かう間もここへ着いてからも何処か様子がおかしい。

 一度思うと、何もかもが気になってしまう。

 

 ここへ導かれたのは偶然が重なっただけだ。

 夏雲が気付かぬ筈が無い。ではどうして彼は、 ディアォを訪れる事を決めたのだろうか。



「リンインの、体温が低下している」

「……うん」


 獣神子に体温は無い。

 けれど玥は、それを理解している。

 人体の仕組み上、そう学んだだけだとしても、気付いてくれた事、それが鈴音は嬉しかった。

  

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