第28話◇オレ事故した◇
「えー。大丈夫なの?」
良夫は何処もケガなどしている様に見えなかった。
「うん。オレはね。でもオレの軽トラがお釈迦になった。」
「えー。」
驚く恵理子に良夫は左胸ポケットからスマホを取り出して見せた。スマホは画面はヒビだらけでチカチカ光っていた。左胸ポケットに入れていたのでシートベルトに圧迫されてガラスが割れたのだ。良夫は冷蔵庫から缶ビールを出して、食卓の椅子に座ると勢いよく飲んだ。
「軽トラックで会社の近くの電柱に追突したんよ。車の前が電柱にめり込んで相当へこんでね。」
良夫の話から状況を想像するだけで恵理子は、背筋が冷たくなった。
「警察が来てね。オレに怪我が無かったんでびっくりしとったわ。会社の人も、お前、何処も怪我無いんか?言うてね。車がひどくへこんでいたからね。」
「そーなん。良かったねえ。」
「ほうよ。通学路やけんね。子供でも歩き寄ったら大変な事になっとったって。社長に怒られたわ。」
良夫は淡々と語った。
「そりゃあそうよ。今からお母さん謝りに行くわ。」
恵理子がそう言って椅子から立ち上がると良夫が言った。
「止めて、恥ずかしいやないの。」
「何言よんで。迷惑かけたんやけん。親が謝りに行くのは当然やろ。」
「ほおかねえ。オレ大人なんやけど。」
「大人でもよ。あんたが行かんのやったら私一人で行ってくる。」
譲らない恵理子に良夫は諦めたように言った。
「わかったわ。行くよ。オレも。」
恵理子は途中で菓子折りを買って良夫と佐々木電工へ向かった。車の時計を見ると七時半だった。
「社長はおらんかもしれん。」
良夫は助手席のシートを倒し、寝ころんで足を組んで言った。
「会社には誰もおらんの?」
「会社の横に社長のお父さんの家があるから誰かはおるわ。」
とっぷりと暮れた国道を西に十五分走り、317号線を松山方面へ向かった。
「そこを左。」
良夫が言った。会社は住宅街の中にあり、駐車場は狭いと言うので、離れた道端に車を置いて歩いて佐々木電工へ向かった。会社の横の社長のお父さんの自宅には明かりがついていた。
「ここや。」
恵理子は良夫の指さした先の呼び鈴を押した。
「はーい。」と、明るく歯切れの良い声と共に社長のお母さんが玄関に現れた。
「こんばんは。夜分に突然すみません。私、小林良夫の母です。」
社長のお母さんはエプロンで手を拭きながら出て来た。
「小林君のお母さんですか。こんばんは。」
「今日は息子が事故を起こして、社長さんに大変ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。」
恵理子は玄関先で深々と頭を下げた。
「小林君、免許取って一か月なんよねえ。」
恵理子の予想に反して、お母さんは世間話でもするように笑顔で答えた。電気工事屋の女将さんにとって、事故は特別な出来事ではないのかもしれない。度量が違うと思った。恵理子は持ってきた菓子折りを手渡すと、「社長は自宅に帰っているので伝えます。」と、お母さんは言った。恵理子はもう一度頭を下げた。社長の家を出て車を止めた所まで良夫と並んで歩いた。両側の田んぼではうるさいほどカエルが鳴いていた。
「ええお母さんやねえ。車がお釈迦になったのに、笑いよったがね。」
「ほーなんよ。」
そう言うと良夫はおもむろに左の腰骨のあたりを押さえた。
「痛い。」
「痛いの?」
恵理子は良夫のTシャツの裾をめくってみた。ズボンのベルトの上が赤くなって皮がむけていた。恵理子が押さえると良夫は声を上げた。
「痛いやん。何するの?」
「病院へ行くで?」
「社長や会社の人は行け言うたけどいかん。大丈夫や。帰って飯食うて風呂入って寝る。腹減った。明日も仕事に行かないかんけん。」
「明日会社行くの?」
「行くよ。」
恵理子は、隣を歩く良夫が天に向かって大きく伸びていく木のように見えた。危うく命の危険もあった大きな事故だったのに、なんと大胆不敵なのだろう。良夫の後ろをとぼとぼ歩いている恵理子を振り返って物見遊山の様子で言った。
「オレのぶつけた車見に行く?近くに置いてあるんよ。」
「行かない。見たくない。」
恵理子は即答した。そんな勇気はなかった。良夫は「九死に一生を得る。」事故をしたのに、おじけづくでもなく、病院へも行かず、翌日から会社へ出勤した。それから二ヶ月後、良夫は会社の研修で高松へ二週間出張すると告げた。
「高松?研修所があるの?」
「そうらしい。」
「二週間行きっぱなし?」
「休みはあるから帰ってもええらしいけどね。寮があるらしい。」
「洗濯は自分でするの?」
「多分ね。食事はあるらしい。二人部屋やって。」
良夫は修学旅行にでも行くように楽しそうに言った。
「エー。大丈夫なん?」
「同期の小沢君と一緒の部屋やと思う。大丈夫やろ。」
小沢君は、下請けの柳原電工に勤めていて良夫と同じ頃に入社したそうだ。小沢君は良夫より五歳年下で今年二十二歳だが、結婚していて一歳になる子供もいた。
良夫は生まれてこのかた、小学校の修学旅行で外泊した以外、他人と泊った事はなかった。青春真っ只中の十一年間、引きこもっていたので、チャンスがなかったのだ。
良夫は恵理子の予想に反して案外平気だった。小沢君とは会社は違うが、元受け会社が同じなので、若手親睦会などで何度も面識があった。
恵理子は心配だったが、良夫は難なく二週間の研修を終え、一段としっかりした面持ちになり、帰ってくるなり恵理子に言った。
「オレ、バイクの免許取りに行く?」
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