第17話お口はチャックお耳はダンボ。

正夫が早期退職して家にいるまでは、良夫を一人にしておくのは心配だったので、あすか薬局に連れて行っていたが、正夫が会社を辞めると、良夫はあすか薬局へ行かないと言い出した。恵理子は二人分の弁当を作り、男たちを残してあすか薬局へ出勤した。

 良夫はその年の五月から、カウンセリングスペース森の家へ月に一、二度通い始めた。カウンセリングに行く日は、芙美子に無理を言って休みをもらった。良夫は昼夜逆転していた。カウンセリングは午後一時の予約が多く、十一時半には家を出なければならなかった。十時頃に良夫を起こしに行くと、大抵寝ていた。

「今日はカウンセリングよ。行かないの?」

何度か声をかけても 良夫は返事をしなかった。恵理子は自分もカウンセリングを受けるようになって、極力苛立ちを子供にぶつけない様に心がけた。最初のカウンセリングで井上さんに言われた言葉が今でも忘れられない。

「お母さん。お口はチャック、お耳はダンボですよ。」

 不登校になるような子は自分の気持ちを人に伝えるのが上手ではないのに、母親が一方的にガミガミ言うと余計しゃべらなくなるので、親の言い分は抑えてとにかく子供の話を聞いてやって下さいと言われた。起きない良夫に極力優しく声をかけた。

「十一時半には出るよ。」

 良夫は返事をしなかった。

「行かないの?」

 恵理子の問いかけに欠伸をしながら投げやりに答えた。

「行くよ。行った方がええんやろ。」

 カウンセリングに行く日はいつもこんな感じだった。行きたくはないけれど自分を何とかする為には行った方がよい。今はカウンセリングに行くしか術がない。、恵理子やカウンセラーに頼るしかなかったのだ。

「朝ごはんは?」

「いらない。」

 そう言うと良夫は、

パジャマのままお気に入りの子供のころから使っている十五年物の薄汚れた毛布を抱え、着替えを抱えて、恵理子の車の後部座席に乗り込んだ。森の家に着くまでの一時間、寝ていた。

「よっちゃん着いたよ。」

声をかけても返事は無かった。

「森の家に着いたよ。」

起き上がろうとしない良夫に業を煮やしていけないと思いつつ言ってしまうのだ。

「行かないの?帰る?」

「行くよ。行ったらええんやろ。」

良夫は不貞腐れた態度で起き上がり、面倒くさそうに持ってきていた服に着替えた。

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