第26話◇就活◇
六月の末に恵理子が調剤をしていると、アルバイトから帰った良夫が、恵理子に近づいて求人票を何枚か、机の上に置いた。
「母さんはどれが良いと思う?」
恵理子は一度もハローワークへ行ったことはなかった。薬学部を卒業し、新卒で就職した病院は、薬問屋の紹介だったし、その後勤めた調剤薬局も芙美子の紹介だった。それからはあすか薬局で働いていたので本格的な就活はしたことがなかった。良夫が持って帰った求人票は、配管、電気、造園など外での仕事ばかりだった。一年間、接客業を経験して、よほどむいていないと思ったのだろう。恵理子は、求人票を一枚ずつめくって言った。
「給料ええねえ。ひと月二十七万円もくれるの。」
「それ手取りやろ?給料ええ所はボーナス無い所あるよ。」
「ほんとよ。君はハローワークに良く通っとるだけの事はあるねえ。そう言う所を見ないかんのやね。」
一年前まで十一年も引きこもっていて、駅に行く道すらわからなかった息子が、就活について詳しく語るのを聞いて尊敬の念さえ湧いて来た。学校へ行っていなくてもその気になれば社会へ出られるのだ。
「どこがええんかねえ。造船はきつそうやし、水道は土掘らないかんし、造園も大変そう。電気は?」
「この佐々木電工は、ハローワークでオレの担当の丹下さんが社長と知り合いやって。丹下さんはね、正岡水道がお勧めやって言うんよ。社長がええ人なんやけど、水道関係の免許持ってないといかんらしい。」
「母さんがええ言うのやったら電気にしよか。」
良夫の持って帰った求人票の中に電気関係の会社は二つしかなかった。
「佐々木電工はどんな所か聞いてみよか。お客さんとか、南さんとかに。」
「聞いてみてや。」
南さんというのは、あすか薬局の従業員で、実家が喫茶店をしているので、今治の事はよく知っていた。お客さんでは、佐伯さんというよく来てくれるお客さんのご主人が、造船所の下請けの電気工事屋で働いていた。恵理子は、その後来店した佐伯さんに相談してみた。
「うちの息子が就活しているのですけど、配管工がええ言うのですよ。きつそうですよねえ。体動かすところで働きたいらしいのです。」
「うちの旦那ね。造船所の電気工事しよるけど、造船工や配管工は大変よ。3Kよ。でも、配管工よりは電気の方がええんやない。いろいろ資格も取らせてくれると思うわ。」
南さんが言うには、喫茶店に佐々木電工の近くから来ている人がいて、お父さんから息子の代になっているが、大手電工の下請けなので良いのではないかと言う事だった。その夜恵理子は安易な情報収集の結果を良夫に告げた。
「佐伯さんと、南さんに聞いてみたら、佐々木電工ええんじゃないって言よったよ。」
「わかった。ほんなら佐々木電工にする。」
「エー?お母さんの不確かな情報だけで決めるの?佐々木電工は電気工事言うても、電柱に電線を張る仕事らしいから、電柱に上らないかんらしいよ。」
「ええんよ。母さんがええ言うならそれで。調べてもわからんやろ。それに、オレ高いところに登るの好きやけん。佐々木電工に連絡してみるわ。」
良夫の決断力の速さに驚いた。社会復帰して一年。間を開けずに全身したいという意思の硬さを見た気がした。
良夫は七月に入ると、ハローワークから佐々木電工に連絡を取ってもらい、七月の中旬の日曜日、午後五時に、面接に行くことが決まった。佐々木電工の社長の佐々木さんは、日曜日でも五時迄仕事があるので午後五時半に会社まで来るように言われた。良夫は、その日も昼までコンビニで仕事をして、帰ってきてから面接の支度を始めた。
「何を着て行ったらええんかな?」
「コンビニの面接の時に買ったジャケットは?」
「そうやね。あれっきり着ていないものね。」
良夫は自分の部屋から、一年前に恵理子が買ってやったジャケットを持ってきて、店の大きな鏡の前で着て恵理子に見せた。
「どう?」
「相変わらずカッコええわ。下はTシャツでもええんやない。」
「Tシャツねえ。無地がええかな。」
「今着ているのでいいよ。第一印象大切や。君はジャケットが良く似合うわ。痩せとるしね。」
恵理子は、良夫を励まそうと褒めちぎった。
「母さん、車貸してくれる?」
「ええよ。」
良夫は運転免許を取ったものの車は持っていなかった。約束時間の三十分前に出かけた。
現場の仕事は、ハローワークに沢山求人が出ていると言うことは人手不足なのである。履歴書はすでにハローワークから社長の所へ渡っていたようなので、学歴が問題なら面接に来いとは言わないだろう。それでも恵理子は、良夫が帰って来るまで気が気ではなかった。自室でテレビと脇にある時計と、テレビを何度も交互に見て、落ち着かない一時間を過ごした。六時前、一階の裏口の開く音がした。
「帰って来た。」
恵理子はあえて出迎えず素知らぬ顔でテレビを見ていた。良夫は二階の恵理子の部屋に入って来ると畳に胡坐をかいて座った。
「佐々木電工の社長はカッコええわ。腕なんかね。こんなにあるんよ。体は細いのに。」
良夫は興奮気味に、両手のひらで輪っかを作って見せた。
「それでどうやったの?」
「八月一日から来いって。」
「エー。合格。」
「コンビニなんか面白ないやろ。辞めてうちに来いって。」
「すごいじゃん、また一発合格。」
良夫は持っていた缶コーヒーを一口飲んで言った、
「履歴書みてね。最終学歴が高校卒業認定合格になっとるやない?」
「うん。」
「すごいねって。」
「へー。」
「簡単なんやけどね。」
そう言うと、良夫は恵理子が座っていたベッドの横の床に寝転がった。
「行くの?」
「行くよ。」
良夫はそう言うと同時に勢いよく起き上がった。
「いかん。車を買わんと。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます