第25話◇信頼◇
「有難いねえ。すごいがね。」
「やってみたい気もするんよ。でもね、本部からアドバイザーが度々来るんよね。」
「うん。」
「武井さんが色々無理な事言われているのを聞きよったら、大変やなあと思うんよ。」
「商売は大変よね。お母さんみたいに自分でやりよったら、何でも自分で決められるけどね。コンビニは、企画、販促、集客も会社がやってくれるから、その点は楽だけど言うとおりにしないといけないものね。」
「それに人間関係が、しんどいんよ。オレ、もともと対人恐怖症やけんね。」
良夫と恵理子はしばらく黙ってグラスのビールの無数の泡が消えていくのを見ていた。
「考えてみたら?無理だと思ったら他にも選択肢は山ほどあるよ今の君なら。社会に出てから一年しか経ってないのだから。まだ若いし。武井さんには来て貰ってよ。そう伝えて。」
それから三日後に武井さんがあすか薬局に訪れた。武井さんとは何度か面識があった。普通にしていても笑っているようでナマケモノに似ていた。武井さんは、恵理子が出迎えると、手土産にコンビニスイーツをくれた。
「これどうぞ。売り物ですみません。今人気ナンバーワンのスイーツなのです。」
「ありがとうございます。いつも良夫がお世話になっております。」
「いえいえ、こちらこそ小林君が来てくれたおかげで、僕も夜に家で休むことが出来るようになりました。」
「大変ですね。お役に立って良かったです。」
恵理子は、お客さんが来ても良い様に、奥のテーブルに武井さんを案内しお茶を出した。武井さんは恐縮して言った。
「どうぞお構いなく、お仕事中に押しかけてすみません。小林君には話したのですけど、聞かれていますか?」
竹井さんは、さっきまで壁に貼られていたかのような色褪せたポスターを恵理子の前に広げた。
「これ、コンビニの社員になるためのステップアップ研修の説明なのですよ。」
「はい。」
恵理子は、ポスターを見つめて相槌を打った。
「僕、コンビニ初めて三年になるのですけどね。業績が上がっているので、本部から二店舗目を出してみないかと言われているのですよ。それで小林君に店長になって貰いたいのですよ。」
竹井さんはもともと笑っているような顔を一層笑顔にしていった。
「店長なんて良夫に勤まりますかね。」
「大丈夫ですよ。僕みたいないい加減な人間でもできるのですから。」
「そんなことないでしょう。」
「いえいえ、僕、今年で四十五歳になるのですけど、失敗も多くて、今は何とかコンビニやっていますけど、今までいろいろ失敗ばかりで。ほんと大した事ないのです。」
武井さんは茶を一口飲むと続けた。
「それでね、店長になるには、何回か研修を受けて貰わないといけないのですよ。試験もあるのですけど大丈夫だと思います。小林君頭良いので。」
「ありがとうございます。ご存知だとは思いますけど、良夫は十一年引きこもっていたのですよ。社会復帰して一年しか経っていないのです。」
「ご心配はわかります。僕が全力でバックアップします。僕、小林君が好きなのです。僕の奥さんは、僕と違ってデリケートな人なのですけど、小林君なら一緒に仕事できるって言っているのです。今までそんな事言った事なかったのですよ。」
武井さんは、美人の若い奥さんと二人でコンビニを経営していた。奥さんは繊細なところが良夫と似ていると聞いていた。武井さんは「よろしくお願いします。」と何度も恵理子に頭を下げて帰った。それからひと月程経って良夫は恵理子に告げた。
「オレ、コンビニ辞める。ハローワークで仕事探してみる。」
良夫の目は、次の未来を見ていた。
「そうなの。君が考えて決めた事だからお母さんは賛成よ。ただ、あんなに君をかってくれている武井さんはがっかりするやろね。」
「そうやね。でももう決めたから。またサポートステーションへ通いながら、仕事探すよ。」
良夫の決意は固いようだった。すがすがしい顔で恵理子に告げた。それから、コンビニを辞めるまで、良夫はハローワークへ毎日のように通った。たまに一緒に出掛けると、ハローワークに寄ってくれと言った。良夫はハローワークの外に置いてある求人票を何枚か持って車に乗った。
「配管工がええな。」
「配管工?きついのじゃない?土掘らないかんよ。」
「オレは、体がきつい方が良いと思う。人付き合いは疲れる。」
六月後半に、良夫はコンビニから帰ると言った。
「オレ運転免許取りに行く。運転免許がないと、就職がない。」
良夫はそう言うと恵理子の前にハローワークから貰ってきた求人票の束を置いた。恵理子は求人票をめくりながら、必要な資格の欄を見た。今治市は造船が盛んで、下請け関係の仕事は、どれも普通免許が必要と書いてあった。
「お金はどうするの?」
「自分で払うよ。」
良夫は当然だろうと言う様に笑顔で答えた。仕事を始めたと言っても、去年の五月にアルバイトを始めたばかりで、今月で約一年だ。最初は早朝の掃除のみで、隔日出勤だったので、ひと月一万円だった。今では、販売業務や発注も任されるようになり、十万円程稼いでいた。対人恐怖症で接客などできないと思っていたのに、変われるものなのだと驚いた。とは言え、運転免許取得費用は、普通免許で三十万円必要だった。良夫はコンビニでアルバイトをするようになってから、薄給の中から食事代一万円、恵理子がたて替えてやったギター代の返済に毎月一万円、合計二万円くれた。自宅に住んでいて食費や住居費、光熱費などは要らないと言っても、外に出るようになってから、必要なものは自分で買っていたので、蓄えがあるとは思えなかった。
「お母さんが、出してあげようか?」
「ええよ。ローンも出来るみたいだから。母さんにはギター代も払わないといけないし、借金増えるやないの。」
良夫は笑いながら言った。それから、アルバイトの合間に自動車教習所へ通い、ひと月程で普通運転免許を取得した。良夫は卒業試験の日、帰ってくると「合格したよ。」と、教習所からお祝いに貰った教習所の名前の入ったタオルと、真っ赤な一輪のバラの花を恵理子に渡した。教習所もイキなプレゼントをくれるものだ。自分の力で資格を身に着けた息子の笑顔がまぶしかった。恵理子は一輪挿しに真紅のバラを生けて、店のテーブルの上に置いていつまでも眺めていた。良夫もバラも美しいと思った。
良夫は、運転免許を取ると、七月一杯でコンビニを辞めさせて欲しいと、武井さんに告げた。相当慰留されたようだが良夫の決心は固かった。良夫はアルバイトの合間を縫って、サポートステーションが紹介してくれた、ハローワークのカウンセラーのアドバイスを受けながら、足しげくハローワークへ通った。
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