第24話◇就職試験合格◇

恵理子は思わず良夫に抱きついた。

「良かったねえ。良かった。良かった。」

 その様子を店で見ていたパート従業員の南さんが走り寄って来た。

「合格ですか。良かったですねえ。ヨッシーーおめでとう。」

「ありがとうございます。」

 良夫は照れ臭そうに言った。昨日の生気のない顔とは打って変わって輝いていた。恵理子は胸を撫で下ろした。

「オレ、これからコンビニに行ってくる。勤務時間の打ち合わせに来てくれって。」

 武井さんは返事の日時を間違えていただけだったのだ。昨日親子で悲痛な一日を過ごした事がおかしかった。それにしても始めての就職面接に合格してよかった。就職してから分かった事だが、大学生の少ない今治のコンビニの人手不足は深刻で、良夫が気にしていた学歴や経歴、国籍、年齢などは関係なかったのだ。

 自転車で打ち合わせに出かけて行った良夫の背中が大きく見えた。良夫は、週に三回、午前三時に起き、バナナを一本食べて、自転車のテールランプの帯を蛇行させながらまだ暗い道をコンビニへ通った。食事は入らないと言ったが、四時前に起きて見送ってやった。二時間程の早朝の掃除だった。遅刻も欠勤もなく、それはそれは真面目に丁寧に、二時間一生懸命掃除をした。一日二時間週に三回、ひと月勤め、生まれて初めての給料を手にした。 

良夫は給料明細を恵理子に見せながら言った。

「母さんご飯食べに行こう。俺がご馳走するから。」

明細書を見ると良夫の初めての給料は一万円と少しだった。

「エー嬉しいけど、せっかく働いて貰った初めてのお金だから自分の欲しいものかったら?」

「ええんや。初めて給料もらったら母さんにご馳走するって決めていたから。でも五千円まででお願いします。」

 良夫は笑って頭を下げた。

「足りなかったらお母さん出してあげるわ。

夫の決意は固かった

 恵理子は嬉しかった。十一年の引きこもりから自力で社会復帰し、汗と涙の初給料の半分もご馳走してくれるというのだ。生きていてよかったと思った。

その週の土曜日に近くのイタリアンレストランを良夫が予約し食事に行った。今まで何もかも理子が世話をしていたのに、こんなに急に大人になれるものなのだと感心した。何が食べたいと聞かれたので、気を使って「ラーメンにしよう。」と、言うと良夫はもう少し高いもの食べに行こうと言った。和彦が初めて給料をもらった時も恵理子と良夫にご馳走してくれた。その時はお好み焼きだった。お好み焼きとは言え、松山でいろいろ頼むと五千円は越していた。その時の事が強く心に残っていて、「初めて給料を貰ったら、親にご馳走するものだ。」と。すりこまれたのかもしれない。」

ジーンズの上に面接の為に買ったクレーのジャケットを着た良夫は格好良かった。恵理子も招待ディナーなので、白いジャケットを羽織り良夫に合わせた。二人は夕暮れの国道沿いの道を歩いた。十分程でイタリアンレストランに着いた。良夫はドアを開けると恵理子に先に入るように促した。

恵理子に続いて中に入ると店の人に告げた。「予約していた小林です。」

店は空いていた。奥の外の景色が見えるボックス席に案内された。良夫がテーブルに置かれたメニューを見ながら言った。

「五千円やけんねえ。」

「足りんかったらお母さんが出すよ。」

「それじゃあ意味がない。」

良夫は亡くなった父正夫に父正夫に似ている。中途半端は許せないのだ。やると決めたらとことんやる。やらない時は全くやらない。だから十一年も引きこもっていられたのだろう。譲らない良夫のビジョンを見た気がした。

「なんか飲む?」

「ここ、何でも高いから水でいいよ。」

「飲みや。オレも飲むから。乾杯してや。」

 恵理子は良夫の言葉に頷いた。

「グラスワインにする?任せるわ。」

「いいよ。どれにする?」

良夫はメニューを見せて言った。

グラスワインは一番安いものでも一杯七百円もした。恵理子はグラスで白ワイン、良夫はビールを注文し乾杯した。二十六歳の良夫と家では酒を飲むことも多かったが、今日のワインは格別に美味しかった。値段を計算しながら注文する良夫が可愛く、誇らしく思えた。バーニャカウダ千円、ピザマルゲリータ千円、ヒラメのカルパッチョ千五百円。一時間余りがあっという間に過ぎ、注文が予定価格に達したので帰る前に恵理子はトイレに行った。トイレから出てくると良夫は支払いを済ませていた。いくらだったか聞いても言わなかったが予算内で収まったようだ。どこで覚えたのか紳士的なふるまいに感激した。この夜のアニバーサリーディナーは美味しく、楽しく、心地良く、生涯忘れられない出来事となった。

こんな日を迎えられた事を良夫や死んでしまった正夫や松山にいる和彦、武井さん、芙美子ばあちゃん、すべての人に感謝した。良夫が引きもって十一年、恵理子も辛かったが、そんなことは今宵全て吹き飛んでしまった。

それから、良夫は雨の日も台風の日も正月も盆も一日も休まず、インフルエンザにも熱中症にもならず、自転車で一年通い続けた。三か月程経った頃から、人手不足なので早朝の掃除だけではなく、接客もするようになった。もともと対人恐怖症なのに、意識が変わると出来るものなのだなと驚いた。指示された仕事をこなすと、武井さんは褒めてくれ、気に入ってくれて、家に招いてくれたり食事に連れて行ってくれた。

一年程経った六月、一緒に夕食を摂っていると、良夫がおもむろに話し始めた。

「今日ね。武井さんにバックヤードに来るように言われてね。何かやらかしたのかとキドキしながら行ったらね。武井さんのコンビニは売り上げが上がっとってね、本部から二店目を出さないかと言われたらしいんよ。」

「ふんふん。それで?」

恵理子は、めったに自分からしゃべらない良夫が語りだしたので、食事の手を止めて相槌を打った。

「小林君は良く頑張ってくれるから、二店舗目の店長を任せたいって。お母さんにも了解を得たいので会いに行きたいから、都合を聞いてみて欲しいって。」

恵理子は思いもよらない展開に驚いて大きな声を上げた。

「エー。すごいじゃん。たいしたもんよね。そりゃこの一年、一日の遅刻も欠勤も無いんやからね。信頼は上がるよね。君は成人しているのだから、お母さんに挨拶しなくてもよいと思うけど。武井さんは丁寧な人やねえ。それでどうなん?引き受けるつもり?」

 良夫は恵理子の問いに、半分程になったグラスに、ビール注ぎ足しながら言った。

「自信無いって言うたんやけどね。武井さんがね、今のコンビニでは、オレより先輩が多いからやりにくいと思うけど、今度の店は、オレが従業員も選べばええからって言うてくれるんよ。」

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