第27話◇頼る◇
「今晩一緒に、ゴーゴー自動車に行ってもらえる。ローン組むのに保証人が要るんやって。」
「ええよ。良かったねえ間に合いそうで。」
「まあね。」
「バイクよりはええわ。屋根がった方が。」
あまり本意でなさそうな良夫に恵理子が言った。
恵理子と良夫はその日、あすか薬局の閉店後ゴーゴー自動車へ行った。ログハウス調のしゃれた店舗の中に入ると、南さんの言っていた坊主頭につなぎを着たの兄ちゃんがいた。
「こんばんは。小林です。お世話になります。」
恵理子が頭を下げると、坊主の兄ちゃんも挨拶した。
「こんばんは。こちらこそありがとうございます。ローンの手続きは八時迄なのですけど先にしますか?それから車見ますか?」
「そうですね。」
店の壁に掛かっている時計を見ると午後七時四十分だった。恵理子は、木で統一された壁や内装や家具を見回した。
「素敵なお店ですね。」
「ありがとうございます。最近建てたのです。」
話をしていると、奥から恰幅の良い黒いTシャツを着た奥さんらしい女性がアイスコーヒーを盆に乗せて入ってきた。
「ありがとうございます。お茶どうぞ。」
奥さんは、笑顔で言った。夫の坊主の兄ちゃんは小柄で痩せていた。まさしくノミの夫婦だった。奥から子供の声が聞こえた。
「子供さん看てあげてください。」
「いいのですよ。うち四人も子供がいて、上は二十二歳で働いています。中学生と小学生と一番下は幼稚園です。」
「それは大変ですね。」
話をしていると、奥から六十歳くらいの男性が出て来た。
「今日は、ありがとうございます。」
ここのユニフォームなのか、その男性も黒いTシャツを着ていた。坊主の兄ちゃんのお父さんだと言った。
「ローンの手続きができましたので、息子さんの買った車を見てみますか?」
坊主の兄ちゃんと良夫と恵理子は、真っ暗になった表に出た。店の両脇には所狭しと中古車が並んでいた。良夫はその中のシルバーのパジェロミニを指さした。
「これよ。」
「きれいやね。」
「十七年経っとんよ。」
良夫が言うと坊主の兄ちゃんが言った。
「通勤に使うくらいなら、結構乗れると思いますよ。乗ってみますか?」
良夫が運転して中古のパジェロミニに乗って、中古車屋の近所を走ってみる事にした。パジェロミニはクッションが堅く至極乗り心地が悪かった。
「乗り心地悪いね。」
「まあね。二十三万だから。」
「でも、バイクよりはええよ。屋根があるから。すごいじゃん財産増えたね。」
車を手に入れた良夫は八月一日から佐々木電工へパジェロミニで、恵理子の作った弁当を持って出かけて言った。中卒で何の資格も持たない良夫が電気工事会社で、通用するか心配は尽きなかったが、恵理子には動き始めた良夫の人生の行方を見守る事しかできなかった。
初出勤の夕方、五時に帰ってきた良夫は、コンビニとは違い過酷な仕事だった様で疲れた顔をしていたが、愚痴言わなかった。しかし、日が経つにつれて、自分の無力さを嘆くようになった。
「オレは,全然役に立たん。それが辛い」
「それはそうやろ。始めたばかりなんやけん。」
良夫は、プライドが相当高く、何もできない自分を責めた。そんな息子に恵理子がしてやれるのは、良夫の好きな食事を作って話を聞いてやる事くらいだった。就職したのが真夏の八月一日だったので、炎天下の作業は思いの外大変な様だった。良夫は毎日、二リットルの茶を水筒に入れて持って行った。良夫が真っ黒になって帰ってくると、恵理子は良く冷えたビールを継いでやった。
「ご苦労さん。始めからできる人はおらんわ。」
「ほーなんよ。オレ何もわからんやん?他の人はね、電柱の上に登って仕事しよるんよ。上からいろいろ言われるわけよ。部品の名前言うて、トラックから取って来いとか。」
「うん、うん。」
「ほいでも、部品の名前なんかわからんやん。」
「そうよね。」
「メモしようと思って手帳に書きよったらね。メモなんかするなって怒鳴られるんよ。」
「ほーなん。この辺のおいさんは、荒っぽいからねえ。」
ビールを一口ずつ飲みながらポツポツ語る良夫が可哀そうでならなかった。何の資格も経験や学歴もなく社会に出るという事は、そういう事なのだ。と、改めて親子で思い知った。就職した佐々木電工の従業員は、良夫の他に、良夫よりは年下だが、一年先輩の加藤君とベテラン四人と社長の七人だった。仕事がきついせいか、佐々木電工は慢性的な人手不足だった。下働きでも、ごみ拾いでも、中卒だろうが外国人だろうがとにかく動ければよいと言った感じだった。
大して裕福でもないが、良夫は、働いたこともないし、それほど苦労という苦労はしたことのないお坊ちゃんだった。恵理子は電気工事業界の事はよく知らないが現場が過酷なことは想像がついた。親にも怒鳴られた事もないのに、厳しい職場で続くのだろうかという不安は常にあった。仕事を続ける事より、社会に踏み出した事は、良夫の人生にとって大きな決断だったので、続けられない程辛いのなら、辞めてもも仕方がないと思っていた。
恵理子の思いに反して良夫は来る日も来る日も炎天下で、真っ黒になり、熱中症にもかからず働いた。辛そうな息子を見ているのは、苦痛だったが、見ているしかなかった。
良夫が佐々木電工に就職して半月ほどたった頃だった。その日、午後七時を過ぎても良夫は帰って来なかった。恵理子は毎日午後四時になると風呂を沸かし、夕食の支度をした。日が長い夏は、良夫の帰りは六時を過ぎることも多かった。台所の時計の針は七時半をさしていた。恵理子は店の窓から暮なずむ外の景色を見つめていた。「何かあったら連絡があるだろう。」と思った。
台所で食卓におかずを並べていると、良夫が風の様に足音も立てず、背後から入って来て恵理子を抱きしめた。恵理子は驚いて振り返った。良夫は恵理子を抱きしめたまま言った。
「オレ、事故した。」
恵理子は、驚きを隠せず、思わず良夫を押しのけて顔を見た。
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