第4話殺されるわけにはいかない。

 仁王立ちになったまま動かない、今まで見た事もないような形相の良夫を見て思った。「この子に殺されるわけにはいかない。これ以上攻めてはいけない。」恵理子は、床に座ったまま、いきり立ってこちらに鋭い視線を向けている良夫を見つめて慰めるように言った。

「あんた病気やわ。病院へ行こう。」

 興奮収まらず肩でハアハアと肩で息をしている良夫は絞り出すように言った。

「俺を病院へ連れて行ってくれ。」

 普段おとなしい良夫をここまで追い込んでしまった自分が情けなかった。良夫はどんなにか苦しかっただろうと思うと可哀そうでまた涙が出てきた。恵理子はヨロヨロ立ち上がり、飛び散ったゴミと化した目覚まし時計のかけらを集めながら、立ちつくしたままの良夫に近づくと良夫をそっと抱きしめた。良夫は、恵理子の胸の中でせきを切ったように泣きじゃくった。

恵理子は十数年かぶりに荒ぶった良夫を心ごと抱きしめて頭を撫でてやった。良夫は落ち着いたのか恵理子の胸から離れて、床に落ちていたティッシュペーパーを取り出し、顔中ビショビショに流れていた鼻と涙を拭いた。穏やかになったいつもの息子を見て、恵理子は親として責任を果たせていないことを認めざるを得なかった。顎に軽い痛みを感しばらく放心状態で聞いていると、洗面所の鏡で見ると少し赤くなっていた。鏡に映る殴られた後を見つめながら、学校に行く事よりこの子が幸せになる方法を考えてやらなければならないと思った。

洗面所の鏡に映った壁に掛かった時計に目をやると、午前九時を過ぎていた。恵理子は、あすか薬局に電話をした。五、六回の呼び出し音の後、芙美子が電話に出た。

「もしもしあすか薬局です。」

 芙美子の声を聴くと目頭が熱くなりまた涙が溢れてきた。

「お母さん、恵理子。あのね。良夫をね。無理に学校に行かそうとしたら暴れてね。病院へ行き言うたら行く言うので連れて行こうと思うんよ。今治の病院はすぐ薬が出るから松山で探してみようと思うので、今日休ませてもらえる?」

 暫らくの沈黙の後芙美子が言った。

「ほーなん。あんたまた要らんこと言うたんじゃろ。そっととしといてやらんといかんよ。よっちゃんは頭のええ子なんやけん、怒ったらいかん。学校行かんでもあんまり言うたらいかんよ。松山行くんやったら、道中長いんやけん、いらん事言うたらいかんのよ。」

 恵理子は不登校になった良夫を連れてあすか薬局に通っていたので、もちろん良夫が学校に行っていないのを知っていた。芙美子は良夫に問いただしたり責めたりしなかった。あすか薬局では寝ころんでゲームをしている事が多かった。芙美子は黙って良夫の足の指を揉んでやっていた。

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