第22話◇一人で外出◇

 そこで問題が持ち上がった。良夫は運転免許を持っていなかった。今治駅までは、恵理子の家から歩いて十分程の小さな駅から電車で行くか、バスが出ていた。調べてみたが時間的にどちらも不便だった。自転車で行く事にした。自転車だと駅まで十五分もあれば気くし時間を気にしなくても良い。自転車は通常恵理子が使っているものと、芙美子が良夫のために買ってやったものがあったので助かった。すると今度は駅までの道が分からないと言うのだ。十一年間殆ど家を出なかったので、道を教えてやっても、めじるしになる様な建物すら分からなかった。仕方がないので恵理子は毎日仕事が終わると、良夫と一緒に駅まで自転車で行って道を教えてやった。それともう一つ困った事に洋服がなかった。引きこもっている間、良夫は殆どパジャマで過ごしていた。良夫の初めての面接の就活着と、松山の若者サポートステーションに通う為に、恵理子は気が乗らないと言う良夫を説得して近くのジーンズショップに連れて行った。

買い物に行った平成二十九年四月二十四日は偶然にもその年の秋に結婚予定の和彦の婚約者の真美さんとお母さんが今治に来る予定になっていた。恵理子は良夫に、和彦の結婚が決まった時、結婚式に出られるかと聞いた。良夫は今のソファーに腰を下ろし少し考えていた。

「式場に行くとするやろ。人がいっぱい来るわけやろ。それも俺と同じくらいの若者が。考えただけで汗が出て来た。ダメや。俺、トイレに行って出られないわ。」

良夫が結婚式に出られそうもないと、和彦に伝えていたので、ありがたいことに真美さんもお母さんもこちらの事情を理解してくれていた。

久しぶりの買い物だった。良夫は迷いに迷って一時間ほどかけて、ジャケット一枚、その下に着るシャツ一枚、それに合わせた綿のパンツとジーンズを選んだ。良夫は不登校が始まったころは太っていたが、思い描く理想の姿でないと外に出られないらしく、食事制限や筋トレをし、美しく痩せていた。緑の綿のパンツに薄いグレーのジャケットを羽織った良夫は馬子にも衣裳で親の目から見ても格好良かった。

 買い物を済ませて、良夫と一緒に車で家路に着いた時、「このまま拉致して、和彦と待ち合わせているホテルに連れていけるかもしれない。」と、言う考えが頭をよぎった。服も買ったことだし、和彦との約束の時間は十二時だったのでまだ時間はあった。今治のオーシャンビューのホテルのロビーで待ち合わせていた。車の時計を見ると十一時半だった。恵理子は意を決して言った。

「今日、兄ちゃんの彼女とお母さんが来るのだけど会ってくれる?」

 恵理子は胸の高鳴りを押さえて返事を待った。

「ええよ。」

 後部座席に座っていた良夫が答えた。恵理子は驚いた。

「ほんと?本当にええんやね。」

その時の恵理子はドスが聞いて怖くて嫌とは言えなかった。」と、良夫が後で言っていた。恵理子は、家に帰ると良夫の気が変わってはいけないので、そのまま予約していたホテルのレストランへ向かった。 

ホテルに着くと、ジャケットに身を包んだイケてるメンズと共にロビーの椅子に座って、二人で眼前に広がる瀬戸内海の美しい島々を眺めていた。十分ほどたって頃、和彦と真美さんとお義母さんが現れた。恵理子が真美さんとお義母さんに会うのは二度目だった。真美さんはえんじ色の花柄のワンピースがよく似合っていて美しかった。

 一同は、恵理子の横に座っていた良夫をみて不思議そうな顔をしていた。恵理子は立ち上がって挨拶をした。

「こんにちは。今日は遠くからお越し頂き、ありがとうございます。弟の良夫です。」

 何しろ強引に拉致って連れて来たので、勿論和彦にも言っていなかった。和彦は何も言わなかった。良夫はこめかみから汗を垂らしながらも無事新しい家族との食事会をクリアした。自身がなくても鎧を着ると外に出られるものなのだと思った。恵理子は出たとこ勝負が成功したので安堵した。良夫はその半年後の結婚式にも出席でき恵理子は嬉しかった。

 良夫は、翌週に初めて松山若者サポートステーションへ行った。予約は一時からだったが丁度良いバスの時間がなく、一時間ど前に着く便しかなかった。この日の為に、日曜日に恵理子は良夫と一緒にバスでサポートステーションのあるデパート迄行ってやった。久しぶりの娑婆の空気に戸惑いながらもサポートステーションの下見をし、一時間近くも早く着くので、時間つぶしができる本屋などにも行ってみた。

初めて若者サポートステーションに出かけた日、バスが着くのが十二時前だったので弁当を持たせた。

「どこで食べたらええんで?」

「デパートの上の方にフードコートがあるからそこで食べたら?」

「腹減らんと思うから要らん。」

「作ったから、持って行ってよ。」

 もし、どこかで動けなくなっても食べ物と飲み物を持っていれば取り合えず生きてはいられるだろう。という母親としての思いがあった。

良夫はしぶしぶ弁当をリュックサックに入れて松山へ出かけて行った。恵理子は良夫を送り出してから気が気ではなかった。携帯電話を持たせていたので十五分毎くらいにメールをしたが、あまり返信されなかった。カウンセリングが始まるのは一時からだった。十二時過ぎにバスが着くと良夫から電話がかかってきた。

「オレはダメや。どうしたら良いかわからん。」

「今どこにいるの?」

「デパートの中や。トイレにこもってしまいそうや。」

「サポートステーションに連絡とってみようか?」

「止めてくれ。」

「今どこにいるの?」

「わからん。」

「とにかくエスカレーターで上に行きなさい。フードコートでご飯食べや。」

「食べられない。」

「今どこ?」

「エスカレーターに乗っとる。」

「一番上まで行ったで?」

「たぶん。」

「ご飯食べられそうなとこらある?」

「椅子はある。」

「座ってお茶でも飲みや。」

恵理子は話しかけ続けた。十五分程電話していただろうか。時刻は十二時十分を過ぎていた。

「ご飯食べた?」

「うん。」

「本屋には行かなかったの?」

「行ったけど、すぐに出た。」

良夫を案じながら、ずっと喋っていた。その間店にお客さんが来なかったので良かった。時計を見ると十二時三十分だった。

「十二半過ぎたから、そろそろサポステに行ってみたら?」

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