第29話◇麗しき男になるには寝かしておくに限る◇

「バイク?自動二輪?」

「そう。中型。」

 そう言うと、良夫はスマホの画面を見せた。

「これ、「SR400」カッコよかろ。」

 良夫の指さす画面にはレトロなバイクが映っていた。良夫は研修から帰った次の日からまた教習所に通い始め、半月ほどで自動二輪中型免許を手に入れた。良夫は卒業試験の日、帰ってくると教習所の名前の入ったタオルと真紅のバラを恵理子に渡した。タオルとバラを貰うのは二回目だった。

「見て!」

 良夫の免許証には、普通免許、準中型、自動二輪中型の下に線が入っていた。良夫は、就職した時は普通免許しか持っていなかったが、仕事柄、高所作業車を運転する必要があった。今の普通免許では二トンまでしか乗れなかったので仕事にできない為、良夫は準中型免許を自腹で取ったのだ。佐々木電工の社長は、従業員に金をかけて免許を取らせても、すぐに辞める社員が多いので、三か月続いたら免許取得費用を払ってくれると言った。良夫は皆の予想に反して辞める事はなく、その後、一年の間に中型免許と、自動二輪の大型免許も取得した。欲しいバイクと車をローンで手に入れた。何も持っていなかった良夫は、免許取得費、保険料、税金も全部自分で払った。

引きこもっていた頃は、「何も欲しいものもないし、したいこともない。」と、言っていた。良夫がバイクに乗り出してから、元受けと下請け会社の社員が、自動二輪の免許を取り、十人程のバイク部ができた。良夫は、引きこもりになる前、友達はいたが、引きこもり後は誰とも付き合っていなかった。今では休みの度に、バイク部の仲間と出かけて行ったり、親しくしてもらっている先輩に誘われてホームパーティ―にも行っている。男が大人になるには、よそのオジサンが必要なのだと思った。社会が育ててくれているのだ。

良夫が社会復帰してから今年で五年になる。その間何度「辞めたい。」と、口にしただろう。その度に恵理子は言うのだ。

「辞めたらええがね。君は良く頑張っているよ。これだけ頑張ったのだから、辞めてもどこでも勤まるわ。」

「オレもそう思う。」と、いつも答えた。でも良夫は辞めずに今も働き続け令和三年八月で丸四年が過ぎた。無遅刻無欠勤、病欠なしと言う勤務状態に良夫の気迫を感じた。森の家の井上さんが言った事を思い出す。

「心を育てるにはね。そっとしておかないといけないのです。折角植えた種も、もう芽が出るかな?まだかな?と、掘り返したり埋め戻したりしていると育たないでしょう。」

良夫は勤続四年を迎えたこの日、夜勤明けで六時過ぎに帰宅した。恵理子が支度してやったテーブルに並んだ焼き鮭やサラダ、味噌汁、ご飯を旨そうに食べながら言った

「今度入社した佐藤君がね言うのよ。小林さん。社長が言っていましたよ。小林君はね、天才肌でうちのエースなんよ。って。」

 それを聞いて恵理子は嬉しくなって答えた。

「へー。すごいじゃないの。社長に褒めてもらえるなんて。直接言ってくれたらええのにね。」

 恵理子は熱いお茶を湯飲みに注いでやった。

「君はかっこええ男になったねえ。お母さんが見てきた男性の中で一番素敵やわ。十一年の引きこもりは無駄じゃなかったね。長い間寝かせておいた樽を開けたら薫り高き芳醇なウイスキーになっていたというわけや。」

 良夫は味噌汁の中にご飯をぶち込んでかきこみながら言った。

「まだまだや。」

 良夫の言葉に胸が熱くなった。恵理子は黒く日焼けした良夫の凛々しい横顔を見ながら、汁椀に熱いみそ汁を足してやった。

「新人君。続くと良いね。」

「ほんとよ。続いて欲しいわ。人に教えるには、自分がもっとちゃんとしないといかんと思うね。」

「ええこと言うやん。やっと先輩になったのだから、お返ししないとね。」

 良夫は汁椀を持ったまま笑顔で頷いた。

麗しき男を作るには、寝かしておくに限る。

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引きこもりからの脱出! 麗しき男のできるまで @kondourika

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