第19話 パソコン壊れる。

「うーん。」と言うかすかな声がしたので、恵理子は朝食を乗せた盆を片手に持ち換えてドアを開けた。カーテンの締まった部屋は朝日が入らず暗かった。恵理子は電気をつけずに声をかけた。

「よっちゃん、ご飯持ってきたよ。食べる。」

 良夫は返事をしなかったが息はしていた。

「ここにご飯置いとくけん、食べや。何か欲しいものある?」

「ううん。」

 そういうと良夫は背を向けた。引きこもりになってから、パソコンは言わば良夫の体の一部だったのだ。恵理子はカウンセラー井上さんの言葉を思いだした。

「お口はチャック、お耳はダンボですよ。」

色々聞きたいところではあったが押しとどめた。良夫が不登校になり始めた頃、恵理子も世の中の親達と同様に大騒ぎし、良夫の不登校を何とかしたいと思い、思い当たる所へ連れて行った。その中に、尊敬し師と仰ぐ鍼灸師山田先生がいた。

「この子が学校へ行けなくなったのです。」

 恵理子がそういうと山田先生は言った。

「それはあんたがグレートマザーやけんや。」

森の家でも「お母さんはエリートですから。」と、言われた。そう言われても恵理子には自覚がなかった。薬剤師は職業柄エリートと思われるのかも知れないが、高校も一流校ではないし、大学も一浪して今治から遠い遠い金沢のランクの低い私立大学の薬学部にやっと入学できた。恵理子はお客さんや営業マン、同業者から先生と呼ばれる事が多いが、先生とよばれるのはあまり好きではなかった。この話を知人にすると、「先生っていうのはね、バカって言われているのと同じだよ。」と言った。先生と呼ばれる度に思い出すのである。 

最近は名札に「こんにちは。薬剤師の小林です。小林さんと呼んで下さい。」と、書いている。お客さんは中途半端な存在である恵理子の呼び方に戸惑っている。でも、周りから指摘されると言う事は思い上がりがあるのだろうと反省した。

それから三日ほど良夫は寝たきりだった。春子は不安だったが、「お口はチャック、お耳はダンボ。」と何度も繰り返し、待つしかなかった。四日目の夕方、台所で夕食の支度をしていると、良夫がギターを抱えて下りてきた。良夫は居間のソファーに座ると、ギターをつま弾き始めた。良夫の奏でた曲は恵理子の知っている曲だった。

「負けないで最後までもう少し走り抜けて、どんなに離れていても心はそばにいるわ。追いかけてはるかな夢を・・・・」

恵理子は背中越しから聞こえるメロディに頭の中で歌詞を載せた。ザードの「負けないで」だった。この曲は六年前に正夫が急死した時、出棺時に流した正夫の好きな曲だった。恵理子は食器を洗う手を止めて振り返って良夫を見た。良夫の抱えているギターは、あちこちへこんでいて、落書きだらけだった。

「そのギター、なんでそんなにボコボコなの?」

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