第4章:おっさん聖女、恋を知る
第1話 捕らわれの雄姫様
しくじった。
身動きのできない状況下、俺は奥歯をぎりぎり噛み締めようとして失敗した。くそ、猿ぐつわをされていたのか。
どれくらい意識を失っていたのだろうか。この状況に肉体が慣れるのにじゅうぶんな時間、放置されているようだが。
俺のいる室内は、建具などの確認をするのも難しいほど暗い。カーテンは締められ、この部屋の高さも分からない。カーテンの隙間から光を感じないところから夜なのだろうと想像はつくが、それだけだ。
状況が分からない今、ひとまず俺はこうなった経緯を思い出そうとしていた。
普段通りに騎士としての務めを行い、ラウルのもとへと向かっている最中だった。
今日は書類仕事が多く、騎士団に割り当てられた事務所――自由に事務作業のできる空間で、好きな机を使うことができる――での作業がメインだった。
事務処理の日は、緊急時の呼び出しに応じる程度で騎士としての力仕事に参加することはない。早々に事務処理を終えた俺は、残りの時間を鍛錬へと費やした。本当はすぐにでもラウルのもとへ向かいたかったが、鍛錬を怠ることは聖女の筆頭騎士としての役目を放棄しているも同然だ。
欠かすことはできない。運良くラウルの婚約者となることができたのだ。全ての役割を全力でこなしてこそ、信頼できる相棒という存在のはずだ。
ラウルからの愛――相棒としてではなく、伴侶としての方だ――を得ることができるとは思っていない。そんな俺が可能な限り長く共に過ごすことのできる“相棒”というポジションは、決して失うことのできない場所なのだ。
鍛錬の理由が徐々に不誠実なものへと変わってきていることに、己の中にある騎士のプライドが許せないと訴えてくるが知ったことではない。今の俺にとって、大切なのはラウルの側に居続けることなのだから。
己の中で葛藤しながら鍛錬を行ったあと、汚れや汗を流して身支度を整える。筆頭騎士の制服に着替えた俺は、ラウルの元へと向かおうとし――アエトスとすれ違った。
今夜、アエトスと三人で打ち合わせをする予定だったことを思い出す。
「アエトス、俺はこれからラウルのもとへ向かうが……」
「私は所用を終えたらすぐに行くよ。先に行くならその旨ラウルに伝えておいてくれるかい?」
「承知した」
俺は即答すると彼に背を向ける。アエトスがまだラウルと合流できていなかったとは不覚だった。一人になっているところを狙われたら事である。
嫌な予感を覚えながら足早に移動していると、教会の門から人が飛び出してきた。咄嗟にそれを抱きとめる。
「大丈夫か?」
「すみません……っ!」
教会から逃げ出すように現れるとは、何とも珍しい。普通は駆け込む方だ。不信感を抱いた俺が事情聴取を行おうとした瞬間、手にちくりとした刺激が走る。
ぶつかってきた女性が俺の手に触れている。よく見れば、彼女の指には飾りを手のひら側へと回転させた指輪がはめられている。
毒か……!
「なぜ」
俺は彼女の手首をがしりと掴み、睨みつける。
「私には、あの方が必要なんです」
女が控えめな笑みを浮かべている。あの方、とは誰だ。頭に浮かんだのは二人。一人目は、一般市民ではそうお目にかかることのできない預言者アリストフォス。二人目は、魔界の扉を封印したらへ聖女ラウル。
預言者アリストフォスは、基本的には教会の敷地から出ない為、難易度が高い。それに、俺にちょっかいを出す理由もない。
となると、自動的にラウルとなるが、そもそも彼自身が強い。下手に近づこうものなら、返り討ちに遭っておしまいだ。
「悪気はないの。手伝えば、聖女の祝福がもらえるって言うから」
聖女の祝福。またこれか。そう思ったところまでは覚えている。毒が回り始めたのか、急に力が抜けた。記憶にあるのはここまでだ。
俺はこのタイミングで意識を失ったのだろう。
何者かは分からないが、噂を本気にした一般市民を巻き込んで俺を捕らえたのだということだけは分かった。目的は護衛の無力化、といったところだろうか。
その場に放置されていないということは、他に何か利用したいことでもあるのだろう。いや、念には念を、と俺を無力化させた上で追跡されないようにする為かもしれない。
時間稼ぎに使われたのか、陽動の一部として利用されたのか。
目隠しをされていないということは、ここが当分の俺の
いずれにしろ、ラウルが危ない。俺の無力化と同時にラウルが襲われていたかもしれないと思うと、今すぐ暴れだしたいくらいだ。
暗闇の中、体内で渦巻く怒気をゆっくりと吐き出した。俺の魔法行使を警戒してか、しっかりと猿ぐつわをされている。ゆるめることさえできれば簡単に逃げられるのだが、魔法が使えないとなると難しい。
そもそも、逃げることが正しいのかも判断できない。
ラウルが無事なら良いが……。もし、ラウルも捕らえられてしまっていたら。そんな状況で俺が不用意に動けば、彼に影響があるかもしれないのだ。
そこまで考えて、彼らの思惑に気づく。
そうか。俺に最低限の情報しか与えないことで、俺が無茶をしないように牽制しているのか。俺を確保する手腕もすごいが、賢い。
感心している場合ではないのは分かっているが、動きようのない今、ラウルの思考を真似て気持ちを慰めることくらいしかできない。
ラウルはかなり楽観的であると同時に理性的だ。どんな状況でも「なんとかなる」と言いながら「なんとかする為に必要なことは何か」を考えている。それがどれほど心強いことか。
きっと彼ならば、もう少し待って情報引き出してから行動した方が良いと言うに決まっている。こういう状況こそ、焦らず冷静に動くべきだ。
……それにしても、ラウルは大丈夫だろうか。
後ろ手に縛られていたらいくらでもやりようがあったのだが、ベッドの上に大の字に転がされ、両手両足をそれぞれ固定されてしまっているから、ろくに身動きもとれない。
もし、ラウルもこの状態で捕らわれていたのだとしたら。聖女として認識されているのならば乱暴な扱いはされないと思うが、万が一彼の魅力に気づく者がいたら……。
思わず滑らかな肌の上をがさつな男の指が撫でる姿を想像してしまい、ぐっと拳を握った。考えるだけでも腸が煮えくり返りそうだ。
心を落ち着かせようとしていたのに、逆効果になってしまった。
冷静に考えろ。得た情報以上の妄想をするな。最悪の事態を考えるだけではなく、あらゆる可能性を考えろ。
これは戦いだ。個々の動きをしっかりと紐解き、どうすれば最善の結果を引き寄せることができるのか考えろ。
俺は目を閉じて可能な限りの情報をたたき出す。様々な可能性を考えている内に、冷静さを取り戻してきた。
そんな時、静かに扉を開ける気配がした。
「あれ? そろそろ薬が抜けてくる頃だと思ったんだけどな」
「約束まで時間がある。もう少し盛っておけ」
「良いの?」
「念の為だ。こいつは丁寧に扱ってこそ価値がある」
「りょーかい」
部屋に入ってきた二人組の会話から得た情報を整理する。どうやら俺は賓客らしい。ということは、おそらく今回の拉致のターゲットは俺だけで、ラウルは無事なのだろう。
だが、ラウルではなく俺を狙った理由が分からない。可能性について考えを巡らせようとしていると、二人組の片割れが俺の腕に針を刺した。
ちくりとした刺激を感じながら、思考を曇らせていく。今度は即効性ものか。最後に思い浮かんだのは、そんなどうでもいいことだった。
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