第2話 婚約者候補の王子聖女と様子がおかしい筆頭騎士
応接室に入ると、見目麗しい若者が優雅にティーカップを傾けている姿が見えた。淡い金糸はふわりとゆるい曲線を作っていて穏やかそうな表情をしているが、その
眉の形がそうさせるのか、はたまた口元に張りついたかのような笑みのせいか。
以前、見た目で損していないか聞いたことがあるが、彼は笑って「とんとん、さ」と言っていた。見た目と違ってたくましい男だ。
「やあ、アエトス」
「聖女ラウル、時間通りだ。さすがだね」
気軽な挨拶を交わしながら席に着けば、彼はすっと姿勢を正した。ああ、本気だったのか。いや、この男のことだから最初から本気だったんだろうな、と思い直す。
その顔立ちから誤解してしまいがちだが、彼は真面目な人間だ。同じくらいの年齢だった時の俺とは雲泥の差だなあ。
「突然で申し訳ないが、この提案を飲んではいただけないだろうか」
「あー、うん。まあ、借り押さえくらいのイメージで良ければ」
「借り押さえ……ふふ、言い得て妙だな。確かにこれは政略的な契約としてのものだ。私以上にふさわしい人間がいれば、またはラウルに本命ができれば、その立場を譲ろう。
――もちろん、本命は国にとっての損害にならない者にしていただくことが大前提だよ」
アエトスは王族特有の自分を手駒としてしか考えられない病にかかっているらしい。それは悪い話ではないが、この若さで、しかも王位継承権を破棄している彼には必要のない考え方なのではないだろうか。
自分のことを何だと思っているのか、もっと大切にしてもらいたいなと思ってしまうのは、自分がそういう若い時間を過ごし終えた人間だからだろうか。
四十も半ばを迎えた俺は、自分の老いを感じてぞっとした。
「あのさ、ちょっと俺とアエトスじゃ、年の差が……」
「形だけなのだから、別に良いのでは?」
手を組んで顎を乗せ、小さく首を傾けて笑むアエトスにため息が出てしまう。ああ、本当に自分を大切にしてほしい。
そんなことを考えていると、突然扉が吹き飛んだ。
「へっ?」
こんな乱暴なことをする人っていたっけか。油断しきっていた俺は、きゅっと身を縮み込ませて破壊者――いや、闖入者か――に目を向けた。おっと、これは想定外というか想定内というか、なんとも微妙な相手だな。
俺の筆頭騎士、ジークヴァルトである。俺の相棒として世界を守る戦いに身を投じてくれていた見目麗しい若者だ。彼とは一つの生き物であるかのように、互いの思考を読みあい、命を預けあった仲である。
しかし彼は粗暴な人ではない。礼儀正しく、落ち着いた雰囲気の男だったはずだ。俺に対しては可愛いところもあったし、少なくとも扉を蹴破って破壊するようなことをする男ではなかった。
――今までは。
戦闘中かと誤解してしまいそうなほどに鋭い眼光がアエトスを捉えている。
あらまあ、俺のベルンは超絶不機嫌ぶっちぎり。俺の可愛い小熊ちゃんが怒り――これは、怒りだよな?――に染まっている。正直、殺気がすごい。
身長があるから尚更、座っている俺たちには威圧的に見える。
「いったいこれはどういうことだ」
「ヴァルト」
俺の声に反応して一瞬だけ視線を向けたジークヴァルトだったが、すぐにアエトスへ戻す。俺に対しては何もないのか。どれに対しての怒りなのかが分からない。
相棒に内緒で婚約の話が進んでいたからなのか、聖女同士の婚約話に異議を唱えたいのか、それともアエトスが婚約するのが気にくわないのか。いや、アエトス云々はないか。この男が異様にこだわるのは、大体が俺関連だしな。
やっぱり俺が婚約することの何か、だよなあ。
俺がジークヴァルトの言動について考えている内に、二人の会話が進んでいく。
「どうもこうもないさ。単に私は聖女ラウルを保護したいだけだよ」
「だからといって、こんな人権を無視した行為を許すと思うか?」
なるほど、ジークヴァルトは俺が無理矢理結婚させられそうになっていることに怒っているのか。心当たりがありすぎたけど、その中の一つだったか。
俺の意志を大切に考えてくれていることを嬉しく思う一方で、よくこれだけのことにここまで感情を荒げることができるものだと関心してしまう。
「聖女ラウルは、お前の駒ではない」
「なら、ジークが彼と婚約してくれるかい?」
「は?」
あーあ、アエトスがまた変なことを言い出した。アエトスは本当に、国益しか考えていない。自分の結婚も、人の結婚も、ただの出来事でしかないのだ。
ジークヴァルトが激昂するだろうと思い、いつこの会話に割り込もうかと様子を窺っていると、ジークヴァルトは顔を真っ赤に染め上げて黙り込んでしまった。
俺が考えていたのと違う反応だ。それに、この表情は……嫌な時ではなく、むしろ喜んでいたりする時の――
「俺はかまわないが、俺が決めることではない。ラウルが選ぶべきだ。そもそもラウルが俺とお前のどちらも嫌だと言う可能性もあるが」
「えーっと……?」
俺との婚約、嫌じゃないのか。意外だと思えば意外だけど、そこまで意外じゃない。こいつ、俺のこと好きだもんな。どうしてかは分からないが、控えめに言っても普通の距離感ではない。
それを良しとしている俺にも問題があると言われてしまえばそれまでだが、やめろと言う理由もなかった。だって、無害だし。
「ラウル」
「ん?」
「ラウルは婚約について、どう考えている?」
顔は真っ赤だが、やけに真剣なまなざしが俺に向けられる。そんなに重要なのか?
俺は回答次第では再び荒れそうな空気を感じ取り、どうしたものかとひっそりと悩む。婚約自体が嫌だと言えば、きっと彼はアエトスに詰め寄って撤回させようとするのだろう。
アエトスとの婚約が良いと言ったら、どんな反応をするのだろうか。ジークヴァルトを選んだ場合の状態は簡単に想像つくが、こちらはいまいち読み切れない。
「別に、相手が二人のどっちかなら俺はかまわないかな。だって、これ戦略的なものだろう?」
「ふはっ」
「……」
俺が無難な答えを出せば、アエトスは吹き出し、ジークヴァルトは沈黙した。ジークヴァルトの目が据わって見えるのは気のせいだろうか。昔に比べてずいぶんと表情豊かになったものだ、と思いながら口角の下がった彼を見上げた。
怨念すら感じられそうな視線に、別の意味で不機嫌になるとは想像していなかった俺は少しだけたじろいだ。ほんの少しだけ。
相棒として、聖女として、彼から執着されている自覚はある。ここまで真っ直ぐに向かってこられると、どう反応して良いか困ってしまう。
だって、こんなおっさん聖女のどこが良いのか分かんないんだもん。
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