第2話 堂々としているストーカー
聖女ラウルとその筆頭騎士のジークヴァルトの婚約は世間を賑わせていた。が、人の噂も七十五日。今ではだいぶ落ち着いてきていた。
つまり、俺の日常が戻ってきたというわけだ。今までの生活が日常って言えるほどの日常だったのか、何とも言えないところだが。とにかく、俺は穏やかな日々を送ることができるようになった――はずだった。
俺の安寧を脅かす影が一つ。いや、多分不審者は不審者だけど、害のある不審者ではないと思うんだよね。だって、こそこそしてないもん。
それに、何か見覚えもあるし。
「聖女ラウル、今日こそあなたからの祝福を!」
突撃してきた男と俺の間にジークヴァルトがすっと割り込んだ。今日も俺の
「悪いんだけど、そういうのは教会を通してくれないとできないんだよね」
何度めのやり取りだろうか。毎日……というか、少し時間を置いて日に数回発生する行事みたいになっている。
ジークヴァルト越しにこれまた何度めになるかも分からない言葉を吐き出せば、彼は「今日もダメかぁ!」と大げさな身振り素振りで残念だという感情を伝えてくる。彼の名前はアレクトール。俺だけではなくアエトスやジークヴァルトも良く知る騎士である。
アレクトールはこの国の騎士にしては珍しく長髪だ。ひとくくりにした豊かなブラウンヘアーを揺らしながら颯爽と現れた彼に、苦笑を送るしかない。
元々、こんな人柄じゃなかったと思ったんだけどな。確かにお調子者っぽいところはあったけど、今はちょっとやりすぎじゃないかなって思う。
「どうしてそんなに拘るんだ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
あ、これ話が長くなるやつじゃないか? 一瞬だけ後悔したものの、アレクトールの話を聞いている内にその気持ちは消えていった。
「幸せになりたいからです。
実は、聖女の祝福を受けると幸せになれるという噂が流れているんですよ。それで、聖女の中でも突飛出ているあなたの祝福なら、それはもう……かなり幸せになれるのではないかと!」
聖女の祝福を受けると幸せになれるって話は聞いたことがない。そもそも、祝福というのは、ただ額に口づけを落とすだけだ。いわゆるおまじない的なもので、何の力も使っていない。
だから、この噂がもし大勢の人間に信じられていたらと思うと不思議というか謎というか。それに、俺は現在この男にしか追いかけまわされていない。
婚約した時のあれみたいになっていても良いはずだ。またああなりたいのと聞かれれば、俺はすぐに否と答えるが。
「誰からそんな話を聞いたんだ。ヴァルトはこの噂知ってる?」
「俺は初めて聞いた。だが、ラウルが祝福してくれたら、それだけで幸せになるからあながち間違いではないのでは?」
「……あー、ごめん。きみに確認したのが悪かった」
背中しか見えていないが、きっと真面目な顔をして回答してくれたに違いない。けど、そういう話じゃないんだよな。うん。
信じたのが彼しかいなかったのか、彼にしか伝わっていないのか、噂が流れ始めたばかりなのか。判断材料が少なかったが、これで少し範囲が狭まった――気がする。
騎士団に出入りをしているジークヴァルトは、聖女関連の噂話を同僚騎士から聞かされることも少なくない。そんな彼が知らないというのだから、この噂は限定的なものなのだろう。という俺の推察である。
「で。アレクトールは、誰から聞いたの?」
「誰だったかな……。覚えていないんですよね。雑談中にその話題が出た感じで」
「休憩中に?」
「そういうことを考えていなかったから、いつの雑談かとかも覚えてないんですけど」
噂の存在があやしくなってきた。聖女に群がる人間を増やして、どさくさに紛れて何かしようとか、そういうんじゃないだろうな。狙われる側だからか、どうしてもそんなことを考えてしまう。
「出所がいまいち分からないのに、信じているの?」
「はい! 俺がその話をした友人は別の聖女から祝福をもらって幸せになったんで」
「実績があったから信じた、みたいな感じか」
「はい!」
俺と会話ができるだけで嬉しそうにしているアレクトールを観察した。明らかに浮かれているが、理性を失っているようには見えない。薬の効果が持続する時間はとうに過ぎているし、もし継続して投薬されているのだとしたら相当危険な人物が彼の近くにいることになってしまう。
少なくとも、副作用が外見に出るような薬は使っていないようだ。
ほっとすると、今度は俺の相棒がどうにも不穏な空気を吐き出しているのが気になってくる。
「色々聞いておいて言うのもなんだけど、公務や緊急時以外ではそういうことはしないんだ。だから、祝福はできない。ごめんね。本当に祝福がほしいなら、教会経由で依頼してくれる?」
額に口づけを落とすだけだから、すぐに終わることだ。だけど、オフの時は違う。聖女として活動している時はまだしも、今の俺はただのラウルだ。これでも俺はジークヴァルトの婚約者だからな。
無意味に他人と接触するのは俺の主義に反する。
「お仕事の祝福じゃなくて、ちゃんと心からの祝福がほしいんです」
「ん?」
何だかややこしい気配がするぞ。俺はゆっくりとジークヴァルトの隣に移動して彼の顔を見上げた。ジークヴァルトの表情は固く、アレクトールに良い感情を抱いていないのが簡単に見てとれる。
さて、彼の場合はどういう感情なんだろうな。業務外でキスを迫っていることに対するものなのか、俺の邪魔をしていることに対するものなのか。はたまた、単純に空気の読めない発言を繰り返すアレクトールへの苛つきなのか。
まあ、うん。どれでも良いか。どうせ、ジークヴァルトは理不尽に感情を爆発させたりするような男じゃないからな。
そんなことよりも、目の前のアレクトールの方が問題だ。
「どの祝福も同じよ?」
「いいえっ! 絶対に違います!」
おお? アレクトールの目がぎらついたぞ。やっぱり一服盛られてるのかな。精神状態の異常って、浄化とかで戻ったりするんだっけか? いや、しないよな。神聖魔法ってそういう用途じゃないし。
アレクトールがぎゅっと拳を握ったのを見て、そろそろやんわりとした対応をやめるべきだなと思う。潮時っていうか。このままだと、俺とアレクトールの会話を見守っているジークヴァルトが動くしかない事態に発展しかねない。
俺はあえて固い表情を作る。やんちゃな後輩騎士や、言うことを聞かない騎士を窘める時の顔だ。いわゆる上官の顔である。
「アレクトール。この話はもうやめようか。少なくとも今、俺はきみを祝福する気はない」
「聖女ラウル……」
アレクトールへの対応を一転させたら、さすがに彼もまずいと感じたらしい。顔色を変えた彼は、続く言葉を見つけられずに小さく口を開けては閉じる。それが数回続いた頃、俺はお開きの言葉を告げる。
「じゃあ、またね。アレクトール。行こうか、俺のベルン」
あえて俺がジークヴァルトをそう呼び、彼を連れて立ち去った。アレクトールには悪いが、眼中にないことを示すにはこれくらい冷たい方が良いだろう。
俺の考えを察したジークヴァルトはアレクトールに小言も言わずに静かについてくる。うーん、この件……しばらく引きずりそうだな。アレクトールの持久戦になりそうな予感がした俺は、ジークヴァルトだけでなくアエトスを呼んで打合せをしようと決めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます