第3章:なんだか狙われているようです
第1話 二人の仲をからかう狐
「最近はどうかい?」
「ん?」
公務の最中、顔を寄せてきたかと思えばひそひそ声で話しかけてきたのはアエトスである。何だろう、彼は噂好きというか、野次馬根性があるというか、俺とジークヴァルトの仲を観察して楽しんでいるような節がある。
自分のことを道具として扱う代わりに、他のことに楽しみを見出しているんだろうか。その気持ちは分からなくもない。
自分自身関連の楽しみがないのなら、別の楽しみを見つけなければ精神のバランスが保てない。自分という存在を安定させる為には、どこかで調整しなければならないのだ。
聖女になりたてだった頃の俺が特にそんな感じだったな。懐かしい。
聖女の能力に目覚めた時、俺は騎士として一人前になってしばらく経った頃だった。せっかくここまで頑張ったのに、聖女の剣となり盾となる騎士になるはずだったのに、自分が聖女の側になるなんて思ってもみなかった俺は、途方に暮れたものだ。
――数日だけ、な。
聖女の名にふさわしい行動を取るべきだなと思った俺は、心機一転した。特定の相手を作らずにふらふらしていたのをやめ、真面目な生活を心がけ、聖女としての能力向上の為に努力することにした。
聖女としての能力を開花させた女性のほとんどが非戦闘員であることもあり、自然と元騎士の俺がまとめ役になる。そうしている内にアエトスが加わって、あの軍行が開始されたというわけだ。
って、また思考が遠いとこに飛んでいっちゃった。公務中だからすぐに返事しなくても違和感はなかったと思うけど、あんまり待たせるのも悪い。
俺は教会への手紙に封蝋をしながら口を開いた。
「別に普通だよ。みんなが思っているような進展はないかなあ」
「そうなのか。二人ともずいぶんと奥ゆかしいものだな」
アエトスって不思議な男だと思う。
「この前の小旅行で、本当に何も進展なかったのかい?」
「ないよ。少なくとも俺はなかったと思ってるんだけど」
「貴重な二人きりの外出だったのに?」
信じられない、という顔をした彼が俺の手元の封筒を手に取った。王子様に郵便物を出させるなんて、ずいぶんと俺も偉くなったものだ。なんてふざけた感想を抱く。
アエトスはその封筒を指先で弄びながら小さく笑う。
「ラウルが気づいていないだけで、色々あったかもしれないね」
「そうか?」
「きっとあったよ。ジークの方に」
「……そんなもんかねえ」
小旅行からしばらく経ち、聖女の誰も欠けることもなく、平和な日常を送っている。最初の頃こそ誘拐されないように緊張感を、とかいう空気が騎士の間で流れていたが、今ではそれもゆるくなっていた。
お陰様で自由に過ごすことができているわけだけど。
ジークヴァルトがつきっきりになるのは、外だけ。不満そうな表情をした彼を見た時は思わず笑ってしまったっけ。
「平和だね」
「……こういう頃合に何かが起きたりするものなんじゃない?」
「え?」
そんな不穏なこと言わないでほしいな。この状況を喜びあおうっていう時に。
書簡にサインをした俺は、それを封筒に入れながら文句を言った。
「あのね、そういうことを言ってると本当になっちゃうからやめてくれない?」
「平和ってことは、暇ってことでしょう? つまり、ジークとの時間もたくさん取れるわけだよ。
少しは発展させてみたらどうなんだい?」
思わず頭を上げれば、彼はにやりと口元を歪ませている。年上のおっさんをからかって何が楽しいんだか。
若者の考えることは分からない。
「発展?」
「明らかにジークはあなたのことが好きではないか。気持ちに応えられるか分からないと前置きをしていたのは知っているし、理解もしているけれど……ラウルだって満更でもないのだろう?」
満更でもない、と指摘されてどきりとする。確かに、その通りだ。俺はジークヴァルトからそういう感情を向けられているのが嫌ではない。
でもそれは、自分がそういう人間だからだ。求められれば嬉しい。それに応えれば、相手が嬉しそうにする。俺も嬉しい。
昔はそういうことをしてきた。
だけど、俺はジークヴァルトにそういう軽い応え方をしちゃいけない気がしていた。今までの人と、ジークヴァルトとでは、そもそも俺に対する熱量が違う。
簡単に同じものを返せる気がしない。
「ヴァルトの気持ちはね、嬉しいよ。だがなあ……」
俺はゆるりと息を吐き出した。じっとアエトスを見つめると、彼は口元を封筒で隠して目を細めている。
本人にその気持ちはないんだろうが、試されているような気分になって落ち着かない。
「あの真剣さを思えば、中途半端に応えるようなことはしたくないとも思っちゃうんだ」
「ふぅん……?」
信頼する相棒を裏切るようなことをしたくない。たとえそれが少しの不誠実だとしても、できればやりたくない。
彼の純真を弄べば、俺は一生後悔するだろう。俺はそんなことをアエトスに伝える。
「聖女ラウル、あなたは本当に誠意のある人間だね。それは素晴らしいし、尊敬に値するけれど、ほんとそれってジークにとっての最善になっているのかな」
「ヴァルトから何かを聞いたのか?」
人伝に誰かの思いを聞くのは好きじゃない。俺は、できることなら直接聞きたいタイプだ。
普段ならば「聞いたのか」なんて聞かないんだけど、そんな言葉が口をついてしまっていた。
「いや、聞いていないよ。ただ、ジークってささやかな幸せを噛み締めるタイプだから、それにあぐらをかいていたら……ジークにとってのより良い未来が遠ざかっていくのではないかな」
「……より良い未来?」
悪魔の囁きみたいに、俺の肩にそっと手を置いたアエトスが耳元に唇を寄せる。
「たとえば、あなたとのあまぁい生活とか。同じベッドで寝起きして、甘い雰囲気のハグを交わして……」
アエトスの囁きをそのまま脳内で想像する。甘い雰囲気になるかは別として、知り尽くしていると言っても過言ではない相棒との生活は、きっと楽しいものになるだろう。
「それが、だよ。今あなたが思い浮かべているだろう生活になるわけ。きっとジークは、その生活でも幸せだろうね。
でも、彼は甘い言葉をあなたに囁いてもらいたいはずだ。ハグして、こめかみに口づけて、つぎは唇同士で――」
俺、アエトスにセクハラでもされているのかな。俺が一歩踏み出さないのを批判する内容だと分かっているが、どうにも言い回しがいやらしい。
どんな表情をすれば良いんだろうか、なんて思いながらアエトスの話を聞いていると、目の前に影が落ちる。
「おい、そこ。何をしている」
「あ」
「おや」
噂をすれば影、とはこのことか。ジークヴァルトが俺たちを見下ろしていた。
青筋が立っているように見えるのは、気のせいじゃない。すごく力んでる。血管切れたりしない? 大丈夫?
そんな俺の不安をよそに、ジークヴァルトが睨んでいるのは俺――じゃなくて、そのすぐ隣にいるアエトスだ。
「はは、すごいな。番犬みたいだ。あぁ、そんなに怒らないで。私はただ、あなたの為にラウルの背中を押そうとしていただけだからね」
「何が言いたいのか分からないが、余計なことはしないでくれ。俺は、そのままのラウルを大切にしたいんだ。無理に変えさせようとしないでくれ」
あーあ、また熊と狐が睨みあっちゃって。でも、こういう時のジークヴァルトは直情的ともとれるような発言をするから、ある意味今後の参考になるのは確かだった。
「二人のことをからかうのが楽しくって。ごめんね。ほら、ラウルから離れたから機嫌直してくれるかい?」
やっぱりからかってたのか。両手を上げて離れたアエトスがにっこりと笑む。案の定、その目は弧を描いていた。ジークヴァルトは自分がおもちゃにされていたことに気づき、長いため息を吐いている。
俺はそんな彼らを見て、思わず笑ってしまうのだった。
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