第6話 休暇の効果はいかに

 町の喧騒が聞こえる目覚めは久しぶりだ。俺は二度寝したい誘惑に襲われながら目を開く。新鮮な空気を吸わないと、寝てしまいそうだ。あふ、とあくびを漏らした俺はそっと起き上がった。

 隣のベッドには、まだ夢の中で過ごしているらしい相棒の姿。いったいどんな夢を見ているのか分からないが、その眉間にはしわが刻まれている。昔は「若いからしわの心配なんてしていないんだろうな、羨ましい」なんて思っていたが、そんな彼は当時の俺の年齢に近づいている。

 このままだと、本当にしわになっちゃうな。

 しわを伸ばしてあげたい衝動に駆られるが、そんなことをしては起こしてしまう。


 せっかくだから、もう少し眠らせておいてあげたい。昨晩はかなり飲んでしまったからな。睡眠は大切だ。ああ、でも水分を取らせないといけないか。

 俺は飲みすぎた時の作法を思い出しながら窓を開けた。きい、と蝶番の軋む音がして思わずジークヴァルトの方を見る。

 身動ぎする様子がないから大丈夫そうだ。はぁっと息を吐き出して、窓から入ってくる空気を吸う。

 秋の気配がする。本当に夏が終わるんだな。しっとりとした、しかし夏と違って鬱陶しくない空気。

 海の香りもどこか落ち着いている。朝日が登ったばかりだからか、美しいグラデーションが広がっていた。


 朝の海を散歩するのも良いかもしれないな。そう頻繁に来れる場所ではないから、今しか見れない光景になる可能性もあるし。やっぱり起こしちゃおう。

 手のひらをひっくり返した俺は、ジークヴァルトの眉間をぐいぐいと押し広げた。


「ん……」

「おはよう。俺のベルン」

「!?」


 相当驚いたのだろう。音にもならない悲鳴を上げ、ジークヴァルトがすごい勢いで起き上がった。

 さすがに眉間をぐりぐりと刺激されれば誰だって起きる。起き抜けに相棒の変な行動に驚かされた彼は、額に手を添えてみたり、口元を覆ってみたりと落ち着かない姿を見せた後、はあーっと長い息を吐き出した。

 動揺しすぎでは? やりすぎたかもしれない。


「……ヴァルト、驚かせてごめんよ。ちょっと朝のお散歩に誘おうと思っただけなんだ」


 ベッドの上に顎を乗せてじっと見上げれば、なぜか彼はしゃきりと姿勢を伸ばして固まった。

 ああ、こういう仕草に弱いのか。可愛いな。直感的に彼の好みを把握した俺は、そのまま小さく頭を傾ける。


「許してくれる? で、お出かけしてくれる?」

「許す。すぐに支度するから待ってくれ」

「急がなくて良いよ。俺だってまだ準備してないし」


 即答してすぐにでも飛び出しそうな勢いのジークヴァルトに、俺は立ち上がって自分の今の状態を見せる。だらしない姿を見せれば慌てずに済むと思った俺の気遣いだったが、逆効果だった。

 何に驚いたのか分からないが、ジークヴァルトは盛大にひっくり返ってベッドから落ちた。

 そんなことってあるぅ!?




 ひっくり返った彼と慌ただしく身支度を整えた俺たちは、早朝の散歩に出た。馬を走らせ海辺へ向かう。

 辿り着く頃にはだいぶ雰囲気が変わってしまったが、それでも美しい光景が広がっていた。

 穏やかな海の波に太陽光が反射して、それがきらきらと光の模様を描き続けている。良い光景だ。俺はこの景色を相棒と見る事ができて最高な気分だった。


「きみとこの光景を見ることができて、幸せだよ」

「……俺もだ」


 ちらりと視線を向ければ、ジークヴァルトは俺の方を向いていた。


「あー……何、俺と背景一緒に堪能してる感じ?」


 思わずふざけたことを口にしたが、彼は「当たり前だろう?」とでも言うかのように小さく首を傾げた。あ、うん。良いよ、それで。きみがそれで良いなら。まだ彼の情熱を真正面から受け止める自信がない俺は、そっと視線を景色に戻そうとして――やめた。

 何となく、彼の気持ちが分かったような気がしたのだ。幸せそうな空気を隠さず、ほんのりと口角を上げている大人の色気を持った男が立っている。その表情は、俺にしか見せないものだ。

 だからこそ、誰もが夢中になるだろう騎士を独り占めしているのだという実感を強く抱かせる。


「まあ、確かにそういうのも悪くないかもね」

「……だろう?」


 愛だとか恋だとか、そういうのはまだちょっとないけれど。確かにこれは、悪くない。

 しばらく相棒と景色をセットにして堪能した俺たちは、どちらともなく頷くと早朝の散歩を切り上げるのだった。




 うん。二泊三日って、短いな。行きは駆け足、帰りはちょっとのんびり。そんな小旅行はすぐに終わってしまった。

 ――果たして、王都の人々の反応はといえば。

 あんまり変わっていなかった。いや、バランスが変わったって言えば良いのかな。確かに一般市民の反応はだいぶ穏やかになった。

 代わりに、騎士たちが何だか騒がしい。ああ、二人でお泊まり旅行してきたからか。なんて言うか……騎士学校の訓練生――一般の学校と分ける為に騎士学校の生徒は訓練生と呼ばれている――のノリそのままじゃないか。

 訓練生気分の抜けてない精神年齢の低い大人の中には騎士団長までいた。え……きみもそっち側の人間だったの?


「ラウル、小旅行に行っていたと聞いたぞ」

「行ってきましたよ、オルカ団長」


 好奇心丸出しで声をかけてきた彼は俺の元先輩である。厳つさの中に甘いマスクが隠れており、俺の若い頃には密かな人気を集めている騎士の一人だった。

 俺と違って真面目なタイプで、浮いた話のない男だったが……どうやら俺が戦場へ行っている間に結婚したらしい。


「前みたいに先輩って呼んでくれても良いんだぞ? それか、呼び捨て。今のお前は立派な聖女だ。俺はお前の活動に敬意を表したい」


 真面目さは健在のようだ。嬉しくなった俺はにんまりと笑む。


「んじゃ、先輩で」

「おう。ところで、旅行はどうだった?」


 あら、本当に気になってるのか。さっきの好奇心丸出しの表情は本気の顔だったようだ。

 俺は笑みを苦笑に変えて、旅行について報告した。


「聞いてもそんなに面白い話題を提供できるとは思わないんだけどな。

 ただ、聖女の筆頭騎士になってくれと声をかけた場所に行って、今度は俺の方が彼に誓いをしただけだよ」

「へぇ……? 他には?」


 オルカはこれだけでは満足しないらしい。俺は他の騎士にも伝えていることを口にする。


「現地の酒をしこたま飲んだり、早朝に海辺を散歩したり」

「他には?」

「え……そんなにいっぱい行動する余裕があるわけないだろ? 移動距離だけでもすごいんだから」


 いったい彼は何を求めているのか。いや、何となく分かるんだけどさ。そういう関係じゃないから、どこまで言って良いものか。


「――オルカ。そういうのを聞くのは野暮だと思うよ」


 よし、これだ。あえて名前を呼び、意味深に窘める。変に誤魔化すよりも効果がある。


「すまないな。部下たちが俺なら聞き出せるんじゃないかとせっつくものだから」

「正直すぎでしょう先輩……」


 駆け引きのできない男感がダダ漏れだ。よくそんな人柄で騎士団長が務まるな。実力はあるが、不安になる。

 しかしこれで分かった。彼はシロだ。いや、訓練生気分の抜けていない騎士にそそのかされてるわけだからグレーか?


「とりあえず先輩。これ以上話す内容がないんで、これくらいで勘弁してくれる?」


 もうこの話題はおしまいだ。騎士団長に口を割らなかったって実績ができれば、少しは静かになるだろう。


「お前が関係を隠したりするのは珍しいな。昔はもっと堂々としていたのに」

「オープンな方が、後腐れなくて楽だったんだって」


 珍しがるオルカに肩を竦めてそう言うと、彼は得心したように頷くのだった。

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