第5話 騎士、愛を知る

 つい、飲みすぎてしまった。喉の渇きで目が覚めた俺は、重だるく感じる上半身を起こして水差しを探した。

 ふと、隣のベッドで眠るラウルに視線が向く。安心しきったように穏やかな表情で眠る彼の姿に、俺は心の底からあたたかなものが湧き上がってくるのを感じた。


 普段は仰向けに眠っている彼が、こちらを向いて眠っている。

 もしかして、眠る直前までこちらを見つめていたのだろうか。だったら、この上ない幸せだ。


 コップに水を注ぎ、一気に飲み干す。まだ酒の余韻が残っているのか、良からぬ思いが込み上げる。

 うっすらと開いた唇に触れてみたら、どうなるのか。相棒という距離感よりも近づいたら、彼はどんな反応をするのだろうか。

 ラウルへの感情がただの敬愛だけではないと気づいて以来、俺は自分の中に不埒なものの存在を見つけてはなかったことにしていた。


「……愛していると告げたら、困るのだろうな」


 恋情の存在は伝わってしまったが、彼に直接そういう言葉を伝えたことはない。だからこそ、この相棒としての距離感が保てているのだろうと考えている。

 本当は理由なしに触れたい。抱き寄せ、年齢の割に滑らかな彼の肌を味わいたい。

 だが、不純な考えを抱いていることを知られれば、きっと今までの何もかもが崩れてしまう。気づかなければ良かった。

 そう思わなくもないが、ラウルが俺の為に涙を流した瞬間を忘れたくなかった。

 あの時間は、確かに尊いものだったのだ。




 目の前の男の涙を見た瞬間、俺は理解してしまった。俺は、彼を愛しているのだ――と。

 今まで、そういう目で見ているつもりはなかった。彼の肌を傷つけぬように気をつけながら、指の背で涙を拭う。

 拭っても拭っても、それは止まらない。それだけ彼を不安にさせてしまっていたのかと思うと同時に、そこまで思ってもらえているということを実感する。

 ぽたり、と俺の頬に落ちてくるそれは、急に勢いを増しては引いて、を繰り返す雨のようだった。


 話を聞いてみれば、俺は三日間も昏睡していたらしい。聖女ラウルの加護や恩恵を近くで受けていた俺は、これまで戦線離脱してから昏睡状態になったことがなかった。

 そんな男が頭から血を流したのを最後に目覚める気配がなければ、それは不安になるに違いない。

 申し訳ないという気持ちと共に、今後のことを思う。


「大義を果たした後に眠りこけていて悪かった。あと、心配をかけたな……俺はもう、大丈夫――だと思う。何もないか、あとでゆっくり調べてくれ。俺はまだ、これからも聖女ラウルの筆頭騎士でいたい」


 起き上がっていないから本当のことは分からないが、四肢に感覚はあるし、呂律も回っている。ラウルの許可さえあれば、俺はまだ彼の相棒でいられるはずだ。

 一気に語った後で、自分のこれからのことばかり口にするだけで感謝の言葉を伝え忘れていることに気づいた。慌ててつけ足そうとすると、ふわりとラウルが笑った。

 目を細めたせいで、止まりかけていた涙が再び降ってくる。


「俺のベルン。俺の騎士はずっときみだけだよ。だから、早く元気におなり」

「お前が俺を選んでくれるなら」


 ああ、彼は感謝や謝罪などの言葉を欲していない。長い間、ラウルの思考を読んで行動してきたからこそ感じ取るものがある。それが、俺にそんな考えを起こさせる。

 では彼は今、何を考えているのだろうか。ラウルは俺をまっすぐに見つめてきている。その瞳には、切り傷が増えた俺がいる。

 彼の視界を独り占めしているのだという事実が、俺を高揚させている。


 この感情は、どうすれば良い。この感情に気がついたところで、俺はどうすれば良い。俺は昂った気持ちをどこに向ければ良いのか分からず、体が凍りついたかのように固まってしまった。

 見つめ合ったまま、どれくらいの時間が流れたのだろうか。時間を忘れてラウルを見つめ続ける。その瞳から何かを感じ取ろうとしたが、まったく分からなかった。

 それはそうだ。俺は、魔獣を相手取って戦うことに特化してラウルの思考を読んできたのだから。


 諦めずに考え続けたが、駄目だ。分からない。ラウルとの沈黙の時間は嫌いではないが、その間見つめられ続けることは別だ。ラウルへの感情に気がついてしまったら、なおさら。

 彼に見つめられることに耐えきれなくなった俺は、遂に口を開いた。


「……ラウル」

「ん?」

「あまり眠れていないような顔をしている。このまま眠ってしまえ」

「おわっ」


 普段と同じように見えるが、泣いたせいで血色が戻ったように見えるだけだろう。よくよく見てみれば、目が落ちくぼんでいる。疲労感を滲ませる顔に気づいた俺は、ほとんど無意識に口走っていた。

 それと同時に俺の体は勝手にラウルを抱きしめる。

 俺の首にラウルの吐息がかかる。自分から抱きしめておいて……と思わなくはないが、吐息を感じた瞬間、全身がぞわりと波立った。

 俺は今、とても緊張している。


 やってしまったからには引き返せない。俺に抱きしめられたことに抵抗があるのか、それともただ驚いているだけなのか。力が入ったままのラウルを抱きしめたまま、俺は耐えた。

 自分の心臓がどんどん早まっていくのが分かる。当然、ラウルもそれを分かっているだろう。だが、彼はそれをからかうような人間ではない。

 いたたまれない気持ちになりながら、俺はラウルが力を抜くのを待つ。彼が俺に身を任せてくれるまで、長い時間はかからなかった。それから、穏やかな寝息に変わるまでも。




 当時のことを思い出すだけで、胸が熱くなる。あれほどまでに大切に思われていると分かって、嬉しくないわけがない。命を預け合う関係だと言われたことがある。俺がラウルを守り、ラウルは俺を守る。

 確かにそれが相棒だ。だが、死んでもいないのにあんなに泣かれるとは思わなかった。

 好きだ。愛している。そんな気持ちばかりが膨らんでいく。


 眠っている人に触れるのはいけないことだ。そう分かっていたが、我慢できなかった。静かに近づき、そっと彼の髪に触れる。欲が出てしまった。もう少し、触れても良いだろうか。

 眠りの妨げにならないよう、呼気を抑えた。それからゆっくりと顔を近づけ、ラウルの頭部に口づける。近づきすぎたせいで彼の体臭をほのかに感じ取ってしまい、理性が飛びかける。

 ぐっと目を閉じ、強い決意をもって体を離した。


 誘惑がすごい。ラウルは四十五歳になったと言っていたが、俺の知っているその年齢の同性とはまったく違う。

 肌の艶、体力、肉体年齢。加齢臭を感じたこともない。あれはいったいどういう仕組みなのだろうか。先ほど感じた体臭だって、どこか甘く感じるようなそれで。思い出したら気が昂りそうだ。

 頭を振って邪念を追い出そうとしたら、くらくらとした。酒が残っている証拠だろう。


 駄目だ。寝よう。このままだと何かが駄目になる。決して、俺は彼に関係を迫りたいわけではない。一緒に過ごせるだけで幸せなのだから、これ以上を望もうとするのは不相応だ。

 穏やかな寝息を立てる彼を見つめながら、俺はのろのろとした動作でベッドの中に潜り込むのだった。

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