第4話 何よりも相棒のことを優先させた聖女の話

「聖女様。封印の様子を確認いただけますか?」

「封印は完璧だから、別の聖女にやってもらって」

「えっ」


 断られないと思っていただろうティルマンの戸惑う声に、俺は体をジークヴァルトに向けたまま頭だけを動かして対応する。国王やら周囲の人々からの「本当に大丈夫なのだろうか?」という不安を払拭するべく、ティルマンなりに頑張ってくれているのだろう。

 案の定、彼は胸元で両手を握って、己の不安と闘っていた。

 だからといって、ここから離れる気にはならないのだが。


「もう安全だから、俺じゃなくても大丈夫。心配ならアエトスを使ってあげて」

「聖女アエトス様ですか?」

「そう。聖女のアエトス王子」


 彼にはかわいそうだが、本当に俺はここから動く気はない。

 アエトスは俺の他に唯一使える男性聖女だし、聖女になって王位継承権を捨てた王子である。他の聖女に任せるよりも、きっと堂々と封印の確認をしてくれることだろう。どうせただの模様になった場所を見て回るだけだ。

 そんな誰でもできる作業よりも、俺には優先させたいことがある。もちろん、ジークヴァルトの治療だ。


「でも――」

「聖女は魔の扉をちゃんと封印しました。やり遂げる際に身を挺してくれた筆頭騎士が目覚めるまで、ここから動く気はありません」


 それでもどうか縦に頷いてはくれないだろうかと縋るような目を向けてくるティルマンだったが、俺はきっぱりとした口調で拒否した。

 ここまで言えば、きっと彼も分かってくれるだろう。


「ラウル様……」


 だめか。俺はティルマンに体を向け、安心させるように微笑んだ。


「本当にあっちは大丈夫なんだ。だから、こっちに集中したい。わがままでごめんな?」


 俺を庇ったジークヴァルト。俺の能力が完全に戻っていれば、すぐにでも癒してやれたのに。治療はしてもらった。だが、まだ意識が戻らずにいる。左目の上、瞼から額にかけて傷が残ってしまった。聖女の治療で目を覚まさない騎士に、さすがの俺の心にも不安が積もっていく。

 話している内に段々ぎこちなくなっていく笑みに、彼も思うところがあったのだろう。


「……国王陛下には、何とか伝えてアエトス王子の手をお借りする方向で対応したいと思います」

「アエトスに先に話を通して、一緒に行ってもらえば良いよ」


 折れたティルマンに俺がそう助言すると、彼はゆっくりと頭を下げて出ていった。悪いな、とは思う。だが、彼のそんな姿を見ても、俺に優先順位を変える気は起きなかった。


「ヴァルト……きみ、もっとうまく俺のこと、庇えたんじゃないの?」


 もちろん、返事はない。魔界の扉を封じる為の詠唱中、俺はどうしても無防備になる。そんな状態の俺を護るのが、筆頭騎士であるジークヴァルトの役目だった。

 どうやら彼は、別の騎士が倒した魔獣の破片――死骸の一部――が俺に向かって飛んできたのを身を呈して庇ったらしい。


 剣で受けるなり、やりようがあったんじゃないか。そうは思うものの、実際はこれだ。俺の集中力を切らさない為に、うまく立ち回ろうとしてくれたのだとは、思う。

 だが、ひと段落した途端、血を流して倒れる相棒を見せられたこっちの身にもなってほしい。

 俺はあの瞬間、世界が凍りついたかのような衝撃を覚えたんだからな。

 ジークヴァルトが目をうっすらと開いて「封印は、できたのか」と問いかけてこなければ、その口元がゆるめられているのを見なければ、発狂していたかもしれない。

 俺を慕い、共に戦った戦友。年の差はあるが、良い相棒だと思っていた。

 彼を喪うことはできない。すべてを預けても良いと思える唯一の人。それくらい大切な存在なのだ。


「早く、目覚めなさいよ。心配でしょうが」


 俺の神力がじゅうぶんに回復したら、神力を全部使った強烈な癒しの神聖魔法でもぶち込んでやろうと思っている。さすがにそれくらいやれば、目覚めるだろうという楽観的な考えもある。

 男前な顔の輪郭を撫で、ため息を吐く。ふと、ジークヴァルトのまぶた付近の筋肉が動いた。目覚めの兆しだろうか。

 顔を撫でている感触で反応しているのなら、目覚める見込みがある。


「騎士様はお姫様みたいに愛情たっぷりのキスをされないと目覚められないのかな? 王子様は今、俺の代わりに動き回ってくれてるから、それができるのはおっさん聖女しかいないんだけど……」


 ジークヴァルトの至近距離で囁くと、口元が動いた。もしや、と思う。俺が近くでぶつぶつと話しかけてくるから、目を覚ましたと言いにくいのではないだろうか。

 ちょっといたずらしてみようか。そんな悪い考えが浮かぶ。たとえば、鼻を齧ってみたりとか――


「お?」

「……な…………なに、を……」


 大きく口を開けた瞬間、ばちっと音がしそうな勢いでジークヴァルトの目が開いた。


「おねぼうさん」


 目と鼻の先に俺がいるという状態を認識したのか、じわじわと顔が赤くなっていく。おお、血色が良い。真っ白い顔ばかり眺めていた俺は嬉しくなった。

 良かった。ちゃんと生きてるし、いつも通りの反応だから、きっと元気だ。ほっとして、思う存分彼の無事を味わっていたら、怪訝そうな声が聞こえてきた。


「……ラウル…………?」


 ジークヴァルトの指の背が、俺の目元を撫でる。彼の指が触れた瞬間に視界が歪み、自分が涙を落としたのだと知る。いつの間にか、真っ赤だった顔はいつも通りの顔色に戻っていた。その頬には多分俺が落とした涙がいくつか。


「ごめ……きみが、大丈夫そうで……ほっとしただけなんだ」

「俺は、何日寝ていた?」


 一度ゆるんでしまった涙腺は、今まで張りつめていた何かを切ってしまったらしい。ジークヴァルトが拭った先から次々と涙があふれ、彼の顔に落ちていく。


「三日だよ。きみは、丸三日、目を覚まさなかったんだ」


 俺の言葉を受けた彼が瞬きした。その無垢な態度が懐かしい。感情の起伏が乏しいジークヴァルトの表情は、俺には無垢な子供のように見える時がある。

 眠っていた期間を聞いた彼がどんな反応をするのかと思えば、予想通りだった。


「大義を果たした後に眠りこけていて悪かった。あと、心配をかけたな……俺はもう、大丈夫――だと思う。何もないか、あとでゆっくり調べてくれ。俺はまだ、これからも聖女ラウルの筆頭騎士でいたい」


 ああ、いつものジークヴァルトだ。俺はあふれ続ける涙を放置して笑う。


「俺のベルン。俺の騎士はずっときみだけだよ。だから、早く元気におなり」

「お前が俺を選んでくれるなら」


 不器用なくらいに真っ直ぐで、俺のことを第一に考えてくれる相棒。以前、彼に「俺が聖女を独り占めしていて良いのか」というようなことを言われた。あれは逆だ。俺が、この男を独り占めしているのだ。

 そのことに、この男はまったく気づいていない。年上の男に良いように使われて可哀想に。悪いな、という気持ちはある。だが、俺はこの男が良いのだ。


「……ラウル」

「ん?」

「あまり眠れていないような顔をしている。このまま眠ってしまえ」

「おわっ」


 見つめあっているのに耐えきれなくなったジークヴァルト――いつもむこうが負けるんだよな――が、唐突に俺を抱きしめた。べしゃりと潰れるようにして、俺は彼の首元に顔を埋める羽目になる。

 ぴったりとはまって触れている部分から、ジークヴァルトの早鐘が響く。生きていることを主張する音がやけに早い。この男、自分からやっておきながら緊張しているらしい。

 俺は、目の前の存在の尊さに力を抜いて身を預けた。体温を分け合いながら静かな時を過ごす。ジークヴァルトの鼓動がゆるやかになっていくのを感じるのは、この上ない幸福だった。




 寝転んだまま当時――といっても、そう昔のことではないけど――を思い出した俺は、あたたかな余韻を噛み締め、そのままゆっくりと目を閉じた。

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