第3話 聖女が魔界の扉を封印した日

 可愛すぎる相棒は酔っぱらっていても相棒としての距離感を崩すことはなかった。まあ、突然野獣になって襲ってこられても困るから、これで良いんだけどさ。

 ほんのちょっぴりでもその可能性を考えてしまったのは、俺が中年になった証だろうか。それとも、若かりし頃にやんちゃしていたせいだろうか。

 ジークヴァルトは、本当に真面目で良い男だ。俺なんかにはもったいないくらい。


 ジークヴァルトの寝顔を見つめていると、魔界の扉を封印した日のことを思い出す。

 全身全霊、それこそ神力が尽きるほどの力を注ぎ込んで行った魔界の扉の封印だ。あの日のことは、きっと一生忘れることはないだろう。




 真夏。灼熱の日差しの中、聖女ラウルは汗を雑に拭い、魔界の扉となっている魔法陣を睨みつけた。ようやくたどり着いたのだ。十年もの年月をかけて、ここまでやってきた。

 無限に湧き出す魔獣とも、これでさようならだ。誰もがその瞬間を夢見て、それだけを目標に、今まで戦い続けてきた。


 ようやく、ようやくだ。ラウルは深呼吸をして息を整える。ラウルには、これから重要な役割がある。魔界の扉の封印である。


「聖なる御旗のもとに集まりし者に加護を与えん! 俺のベルン。あとは頼んだよ」


 目の前で仁王立ちしている相棒に“鼓舞”をかけ、俺は封印に向けて集中する為に目を閉じた。魔獣と戦う騎士の怒号や聖女の詠唱、金属のぶつかる音、魔獣の雄叫び、戦場真っただ中の騒音に包まれている。

 いつ、何がラウルの方へ飛んでくるか分からない。いつ、筆頭騎士ジークヴァルトの間をすり抜けて魔獣の刃が襲いかかってくるかも分からない。だが、ラウルはそれに対しての恐怖をまったくと言っても良いほど感じていなかった。

 それはひとえに相棒への信頼感である。


 ラウルにとってのジークヴァルトは、これまでずっと共に過ごしてきた相棒だ。十年の間、積み重ねてきたものがある。それが、ラウルに精神的な余裕を与えていたのだった。


「豊穣の女神よ、気高き平和の神よ、世界を闇へと誘う魔の扉を封印する力を授けたまえ」


 ラウルは女神の代行者として堂々と言葉を紡ぐ。早くも神力の放出によって彼の周囲が輝き始めていた。


「女神の代行者たる聖女が命ず。女神の祝福、安寧を愛する民の祈りを力に変え、扉を封ず」


 ラウルの詠唱が神聖な空気を生み出す。彼の周囲だけが教会の礼拝堂にでもなったかのようだ。その礼拝堂を守らんと、ジークヴァルトが魔獣の気を引き続けている。彼はラウルに魔獣の気が向かわないように、細心の注意を払って戦っている。

 一匹ずつ着実に倒すのでは、手の空いている魔獣がラウルの方へ向かってしまう。それを防ぐ為、彼は多数の魔獣にをかけながら戦っていた。


「祝福されし大地を踏み荒らしはさせぬ。悪しき者よ、この世の悪徳を愛するものよ、暴虐の民よ、去るが良い」


 聖女はひたすら詠唱を続ける。魔界の扉の封印を行う為の詠唱は長い。ただ読み上げるだけならば一分もかからないものであるが、戦場において一言にまとめられないそれは、一歩間違えれば命とりである。

 ラウルはジークヴァルトが守ってくれることを信じ、詠唱に集中する。


「この世界はその者らの為に非ず。去らねば消滅あるのみ」


 ラウルの詠唱に合わせ、ジークヴァルトが魔獣を切り伏せる。ジークヴァルトの守り方は、完璧だった。――現時点では。


「我は女神の代行者、聖女ラウル」


 ふと、殺気のないものがラウルに向かって飛んできていた。魔獣の死骸である。視界に入り込んできたそれに気づいたジークヴァルトは、己の命と神聖魔法の完成を天秤にかけた。

 神聖魔法が完成すれば、ジークヴァルトの役目は終了だ。神聖魔法は完成間近である。つまり、この流れ弾さえラウルに当たらなければ、勝ちである。

 ジークヴァルトは近くにいた魔獣へ大剣を投げてとどめを刺し、魔獣の死骸とラウルの間に滑り込んだ。


「さあ、女神の光にひれ伏すが良い!」


 果たして、ジークヴァルトは聖女を守り切った。ラウルの詠唱が終わり、光がこの地を支配するのとジークヴァルトの頭に流れ弾が当たるのは同時だった。

 ラウルは己の中に溜め込まれていた神力が凄まじい勢いで魔界の扉に吸い込まれるのを感じていた。貧血になったことはないが、きっと貧血とはこういう感覚なのかもしれない。などと思う余裕があった。

 光が落ち着いてくると、魔界の扉と呼ばれる大きな陣から漂っていた悪意を感じ取れなくなる。ラウルはようやく封印が成功したのだと確信したのだった。


 安心したラウルは深く、長い息を吐く。そしてゆっくりと目を開いた。周囲を確認すれば、騎士や聖女が魔界の扉の封印を祝う声や姿が確認できる。だが、その中にジークヴァルトの姿はない。

 いつも通りであれば、真っ先にラウルの目の前に現れたであろう。その違和感に嫌な予感を覚えたラウルは慌てて足元を見回した。足元は、魔獣だった何かがごろごろと転がっていて見れたものではない。

 だが、その中に金属鎧が見えた。


「ヴァルト!」


 ラウルは叫び、慌ててその付近の邪魔なものをどけた。障害物を乗り越えた先には、地に伏せた相棒の姿がある。その頭部には大きな裂傷が。


「ヴァルト、大丈夫か? おい、俺のベルン……」


 ラウルが問えば、ジークヴァルトはうっすらを目を開けて小さく笑む。ラウルが震えながらその頬に手を添えると、彼は口を開いた。


「封印は、できたのか」

「……できたよ。きみのおかげで」


 額のあたりは景気よく血が流れやすい。顔を血に染め上げた彼は見るからに痛々しかった。ラウルは泣きそうになるのをこらえ、笑みを作る。


「ありがとう」

「そうか……よかった」


 ジークヴァルトは満足げにそう言って、意識を失った。ラウルは次の瞬間、大声で叫んだ。


「手の空いている聖女はいないか! 聖女ラウルの筆頭騎士が倒れている!」


 魔界の封印を行ったばかりのラウルには、彼を治す力はなかった。頼れるのは、ほかの聖女だけだ。その聖女もどれくらい神力が残っているだろうか。

 少しだけでも良い。とにかく彼の傷を可能な限り治すことができるなら。


「少ししか余力がないけど、私で良ければ」

「アエトス」

「最後だったから、出し惜しみせずに使い果たしている聖女が多いんだ」


 颯爽と現れた王子聖女アエトスがジークヴァルトの額に手を添える。


「聖なる息吹よ、安らぎの風よ、勇猛なる者へ癒しを与えん」


 アエトスの周囲を包んだ穏やかな光がジークヴァルトに触れる指先へと移動していく。その光はジークヴァルトの傷口を優しくて照らし、傷口を癒していく。


「命に別状はないから大丈夫」


 ラウルを安心させるように、アエトスはそう言って微笑んでみせるのだった。




「でも、封印した後の方が思い出深いかもな」


 俺は絶望を抱いて過ごした数日間を思い出して苦笑する。聖女の務めを拒否したり、聖女ラウルらしからぬことをしてしまったのだ。だが、それは仕方がなかった。

 今でも俺はそう思っている。

 当時の俺は、魔界の扉の封印にすべての力を使ってすっからかんになったせいか、神聖魔法がまともに使える気配がしなかった。普通の聖女と同じだけの力は出せるが、俺が求めていたのは圧倒的な力だった。

 誰もがあっと驚くような威力の神聖魔法、という意味の。

 力が貯まりきるのをじっと待ちながら、昏倒したままのジークヴァルトの側で過ごしていた時のことを、つい先日のことのように思い出していた。

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