第2話 本当に二人きりの夜
海岸でのやり取りの後、近場の宿屋に転がり込んだ。当代の聖女服を着ていないからか、俺が聖女ラウルだとは誰も気づいていない。
このあたりは大昔に少し立ち寄ったくらいだから、特に顔が知られていないようだった。姿絵が出回ってると言っても、それを手に入れることのできる人間はそれなりにしかいないだろうしな。
王都から出た俺とジークヴァルトは、ただの旅人だった。まぁ、毛艶の良い馬が貴族感を誤魔化しきれていないし、俺の“鼓舞”のせいで移動速度が尋常じゃないから、分かる人には分かるだろうが……。
とはいえ、分かる人は色々と察してそっとしておいてくれる。結果的に、俺たちは久しぶりに自由だった。
――で、適当な宿屋を選んだわけだが。
「ヴァルト、夕飯はここの食堂で良いか? それとも近くの酒場に行くか?」
「……せっかくだから、酒場はどうだ? できれば、静かな方が好きだが……」
「こんな田舎で静かな酒場があったら閉店待ったなしだって」
大した量もない荷解きをしながら、俺たちはこれからの過ごし方を相談していた。
そう。俺たちが割り当てられたのは一部屋だった。もちろんベッドは二つ。たいていの宿屋は一人部屋、ベッドが二台ある二人部屋、そしてダブルベッドのある二人部屋の三種類で構成されている。
男二人の旅人に見える俺たちの場合は、ほぼほぼこうなるってわけだ。
これでダブルベッド一つの部屋に放り込まれたら、それはそれで面白かったんだけどな。あ、面白がるのは駄目か。
ちらりとジークヴァルトを見れば、彼は護身用に持ってきていた剣の状態を確認している。真面目すぎるけど、そういうところ、嫌いじゃない。
剣を傾けて刃を見つめる姿を盗み見た俺は、気づかれる前に自分の手元に視線を戻した。
「港の近くじゃないから、少しはましだろうかね。酒場の方へ行こうか」
「分かった」
相棒の同意を得た俺は、貴重品だけを携えて立ち上がるのだった。
酒場、久しぶりの酒場! 俺は調子に乗っていた。聖女様になってからはひたすら戦いの毎日。魔界の扉を封印したら、想像以上に忙しくなったし、婚約したら周囲から話しかけられる機会が増えた。
落ち着く暇を作るには関係者以外立ち入り禁止の区域に逃げ込むしかない。そんな状況で酒場にでもうっかり入ってみろ。どんなことになるか想像に難くない。
思いきり酒が飲めるなんて最高だ。俺はジークヴァルトと共に、酒を浴びるように飲んだ。
「海の幸、酒、最高……っ!」
「やはり、新鮮なものは良いな」
見た目の豪華さは王都に負けるが、単純に味で言うなら地方も負けてはいない。むしろ、素材のうまさを堪能するのならば産地に近い場所が好ましいに決まっている。
最近は魔法の使い方を工夫して輸送に活かしているとか聞いているが、それでも限界はあるらしい。もしかして、運送会社に聖女を派遣して足に“鼓舞”させて移動速度上げるだけでもかなり違うんじゃないか? 戻ったらアエトスに提案してやろう。
えっと何だっけか。そうそう、産地が近いのがおいしいって話だった。
「海老、懐かしいな。海老で喧嘩したんだよな、俺たち。多分、あれが初めての喧嘩だったろ」
「……まあ、そんなこともあったな」
「俺が海老天が好きって言ったら、俺も好きだから渡さないとか言い出すんだもんな。だから、俺も渡さないって言って食べさせてあげようかと思って……それが、どうしてあんな真剣勝負になったのか」
「はは、考えていることは同じだったわけだ」
結局、その海老天を賭けた戦いは俺が負け、いわゆる「はい、あーん」状態で食べさせられる羽目になった。まあ、やられてばかりじゃいられないし、そもそも半分こしたかったから、無理やり一口は食べさせたのだが。
懐かしいな。
「あの海老、どこで獲ったの?」
「国境付近の海だな」
「え、あそこ多分向こうが漁権持ってる場所だぞ。よく捕まらずに済んだなあ」
海老の為だけに、俺は相棒を失うところだったらしい。危ないな!?
「頼むからさ、今後は法すれすれみたいな、ぎりぎりアウトなこととか、しないでくれよ?」
「別にわざとではない」
そうは言っているが、俺は知っている。彼の行動は確信犯だと。正直、貴族の位的に言えばジークヴァルトの方が上の生まれだ。俺は中堅どころ。ジークヴァルトは王子のはとこだからな。ほぼ王族ってやつだ。
つまり、高位貴族として最低限の知識を学んでいるはずなのだ。国内の法律と外交関係は特に。
「本当のところは?」
「……知っていて、やった。どうせ家畜と違って数を把握できるようなものではないんだ。獲っている瞬間を目撃さえされなければどうとでもなる」
「俺の真面目なベルンが……」
ちょっとだけ幻滅した。
「あの時を逃したら、獲れたての海老をお前に食べてもらえる機会が一生来ないと思ったんだ。いつ死ぬとも分からない戦いの最中なんだ。それくらい、許されると思った」
「あー……まあ、うん。もう二度としないなら良いよ」
その崇拝具合がよく分からない。俺のどこが、そこまでするに値するのか分からない。これはきっと、一生分からないままかもしれない。
「それより、ラウル」
「ん?」
「ラウルはザルなのか?」
小さく頭を振った彼は、どうやら酔いが回ってきているらしい。頭振ると余計酔いが回るんじゃないかと思うんだけど。
「ザルっちゃ、ザルかな」
「そうか」
俺は白身魚のフライを口に放り込んで、少しだけ残っていた蒸留酒を飲み干した。ジークヴァルトは表情変化の乏しい男だが、酒で顔が赤くならないタイプらしい。
酔っているかも分かりにくいのか。と、思いつつも別に悪い酔い方をしているようには見えないから、酔っても真面目なのは変わらないんだな、と感心してしまう。
「俺は、そこそこ酔っている」
「そっか。じゃあ、そろそろ戻るか?」
「うん」
……えっ? 今、ジークヴァルトが「うん」って言った!? やっぱり酔ってるな。この男。俺はテーブルに残っていた食べ物を取り分け、最後の一杯を注文した。
「ヴァルト、大丈夫か?」
「大丈夫だ」
確かに足取りは普通だ。ちょっと発言が怪しいくらいで、ジークヴァルトという人間をよく知っている人間でなければ、彼が酔っぱらっていることなど気づきもしないだろう。
宿屋へ戻り、湯を頼む。俺が神聖魔法で浄化してしまえば綺麗になれるんだが、気分的なものだ。
酒を飲んだらさっぱりしたいだろ。ザルとはいえ、久しぶりに酒を取り込んで気分を良くしている俺は、湯の入った樽を運びながら鼻歌を歌っているジークヴァルトの為にドアを開けてやった。
「順番とか考えないでさっさと体拭きなさいね。さっぱりしたら仕上げに浄化してあげるから」
「うん」
可愛いお返事だこと。俺はにやにやしながら服を脱いでいく。制服と違ってラフな服装だから、脱ぐのも楽で良い。
それにしてもご機嫌だな。自分のことを棚に上げて、ジークヴァルトのことを思う。
「俺のベルンはご機嫌だなぁ」
「だって、二人きりの夜って初めてだから」
「ん?」
言われてみればそうかもしれない。見知った人間が存在しない二人きりは、確かに初めてだ。
ジークヴァルトは立派な筋肉を披露しながら、ゆるりと笑みを浮かべながら話し続ける。
「ラウルを独り占めできるって、こんなに素晴らしいものだったんだなって思うと、嬉しいんだ」
恋する乙女のような俺の騎士は、己の幸福を噛み締めるようにそっと俯いた。
えっ……この男、可愛すぎないか?
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