第2章:命を預けた戦友は、今は婚約者
第1話 思い出の海岸で、聖女は誓う
婚約してからしばらくは、本当に大変だった。主に民衆対策が。
俺は人々に愛される聖女を目指していたわけではない。ただ、聖女としての能力が目覚めたからには、魔界の扉を封印する為に貢献しなければならないという義務感で動いていただけだ。
騎士はこの国を守る為、国王陛下を守る為、命を賭ける人間だ。ある意味、貴族の中で最も国を大切に思う者たちの集まりだと言える。
少なくとも俺はそういう人間の一人だった。聖女になるまでは。
だから、聖女になった時に思ったのは「可能な限り誰も死なせない」だった。騎士としての経験を活かし、先陣を切って戦う俺はさぞ目立ったことだろう。
非戦闘員ばかりの聖女の中で騎士と聖女の役割を同時に果たすから便利だったろうし。それはともかく、他の聖女たちの能力レベルを観察した俺は、魔界の扉を封印する聖女が自分であることを理解するのに時間はかからなかった。
だから、本当に崇高な何かがあったわけではないんだよな。今は、自分の思う“聖女様像”に近づける努力をしているところだ。
まあ、俺の努力の件は良いんだ。うん。俺の努力以上に周囲が盛り上がってしまっている現状に、俺が勝手に動揺しているだけで。
「ラウル」
「ん?」
「聖女アエトスから、提案があった」
「……提案?」
あー……また自分の思考にどっぷり浸かってしまっていた。俺たちは隠れた先で落ち着いてしまっているところだ。
ジークヴァルトは元々、話をするタイプの人間ではない。だから、必然的に俺が話をしないと沈黙が流れることになる。
でも。この沈黙は嫌いじゃない。
だからといって俺が思考の海に沈んだままで良いわけではないんだが。
「二人で休みを取ったらどうか、と」
「へぇ……?」
慣れない重さが気になるのか、それともお守りに触るとご利益があるのか、はたまた単純に俺からの贈り物を堪能しているのか……ジークヴァルトは右耳のピアスをすりすりと撫でている。
この、彼の新しい癖を見せられるたびに胸がむず痒くなる。かきむしりたくなるほどではないが、視界に入っているだけで照れくさい。
「数日だけでも姿を消せば、追いかけ続けている彼らも落ち着くのではないかと言われたんだが」
「確かに一瞬でも忘れたら、興味を失うかもな。何周目かな? みたいな人も見かけるし、そういう人に対しては有効かも」
数日で行って帰って来れる場所ってどこかな。行くなら、人が少ない場所が良い。出かけた先でまた囲まれたら意味がないし。
山に籠る――とかも悪くはないが、そろそろ寒くなってくるからしっかりと装備を調整しないと下手すりゃ死んでしまう。
「うーん……どこが良いかねぇ?」
「海が、見たい」
「海?」
海と言えば、プレ叙任式をしたのも海だったな。十数年前になってしまったが、覚えている。
ジークヴァルトも同じことを思い出しているのだろう。懐かしむような笑みを浮かべ、遠くを見つめていた。
「数日で往復するにはちょーっと遠いけど、俺には“鼓舞”があるからな。良いよ。
行こうか。プローヴァト海岸」
そうして休暇を取った俺たちは、思い出の地へと旅立つことになったのだった。
前に訪れたのは秋口。今は夏の終わり。少しばかり時期がずれているものの、変わりない風景がそこにはあった。
当時乗っていた馬は既に引退し、余生をすごしている。時間を見て、また会いに行こうかな。
馬を降り、海岸を歩く。足が沈む時の感触に当時の記憶が蘇る。
「懐かしいなぁ……」
「ああ……」
俺の呟きにジークヴァルトが頷き返す。そういえば、鳥の雛みたいに俺の後ばかりついてくる騎士に不安を覚えたりもしたな。
ジークヴァルトは、俺の筆頭騎士になる前から自主的に俺の騎士として動いていた。普通の騎士は近くにいる聖女を助けたりするもので、特定の聖女のところに行く騎士は少ない。
この行軍に参加する騎士に上下も所属も関係ない。関係あるのは聖女と筆頭騎士の繋がりだけ。それが当時のルールだった。
まあ、それだけやることが明確だったっていうものあるけど。
だからこそ、ずっと自分のサポートばかりしている男が気になった。邪魔だったらまだ「来るな」と言えたかもしれない。だが、彼は俺にとってあまりにも便利すぎた。
俺にはまだ筆頭騎士がいなかったから――騎士の役目も自分でこなしていたからっていうのが主な原因だ――ちょうど良かった。
彼を逃したら、俺の相棒が務まる人間はいないと思ったんだ。
「ヴァルト、当時の俺がきみをここに連れてきたのは、他の聖女に取られたくなかったからだ」
「……そうか」
当時の彼だったら、そわそわとし始めていただろう。だが、あの時から十数年経った今、彼は俺を愛しそうに見つめて微笑んでいる。
俺は、彼にこういう視線を向けられることになるとは、これっぽっちも思っていなかった。崇拝だけだった彼から、相棒に対するような態度をとってもらえるようになった時、どれほど嬉しかったか。
ジークヴァルトと互いのことを理解しあった末に一つの生物であるように魔獣と戦えた時、どれほど興奮したか。
だからこそ、相棒で居続けたいとわがままなことを、俺は考えている。
だが、それは俺のわがままでしかない。
「俺のベルン」
「どうした?」
声色の変化を敏感に察した彼の表情が固くなる。あ、いや、そんな警戒されるような内容じゃないんだ。
俺は茶化してしまいたい気持ちをぐっと抑え込み、ジークヴァルトに手を伸ばす。プレゼントしたピアスに触れ、そっとそれを撫でた。
「一度、誓っておこうと思っただけ」
「何を……」
ジークヴァルトの声が掠れている。そんなに緊張されると、俺も緊張しちゃうからやめてほしい。
俺は小さく苦笑して色んな気持ちをリセットしてから、口を開いた。
「俺のことを、ここまで好いてくれてありがとう。俺は、俺なりにその気持ちに向き合っていくことを誓う。
きみにとっての最善が同じ気持ちを返すことなのは分かっているけど、そこはまあ……機会があれば」
俺は、昔からずるい男だ。その自覚はある。
「でも、きみを不幸にはしたくないし、できることなら幸せにしてあげたいと思っている」
ジークヴァルトを引き込んだ海岸で、俺は再び彼を縛りつける。いや、縛りつけたいわけじゃなくて、彼に誓いたいだけなんだけど……。
こんなことをしたら、まだ若くて後戻りできる年齢なのに、ジークヴァルトは余計に俺から離れられなくなるだろうって簡単に想像がつくから。
「きみを、大切にするよ」
俺はジークヴァルトの目をしっかりと見つめて言った。彼は無言のまま徐々に俺との距離を詰める。
もしかして、キスされちゃうのかな。俺の方にそういう気持ちはまだないって言ってるけど、これって今、そういう雰囲気じゃないか。
頭の片隅で、真面目な空気になりたくない俺が騒いでいる。
なのに、体は動こうとしなかった。
――そして。かぷり。
「へぁっ!?」
鼻を甘噛みされた。
「キスされると思ったか? この俺が、両思いではない相手に勝手に不埒なことをするわけがないだろう」
「いやっ、これってそういう雰囲――」
「この前の仕返しだ」
確かに俺は、彼の鼻を噛もうとしたことがある。だが……。
「あれは未遂っ!」
「くく……っ」
やられた。顔がすごく熱い。俺の珍しい姿を見た彼が、思いきり笑っている。俺は両頬を冷ますように手で覆いながら、ジークヴァルトを恨めしそうに睨んだ。
すごく不服だし悔しいけど、ジークヴァルトが幸せそうなら良い。
……俺ってば、この男に弱いから。
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