第5話 お守りという名の婚約指輪

 あーあ、本当に婚約しちゃったんだなあ。俺は、あちこちから「ご婚約おめでとうございます!」と声をかけられていた。

 婚約の話を公開した直後だからだろう。少し歩くだけで囲まれる。移動するのも一苦労だ。祝福されるのはありがたいが、これではさすがに何もできない。

 ……今日は教会で奉仕活動なんだよな。移動時間を考えると、そうゆっくりもしていられない。


「ありがとう、みんな。とりあえず……俺に公務をさせてくれると助かるんだけど。

 このままだと、婚約したから浮ついてて仕事サボるようになったって言われちゃうからさ」


 俺はとびきりの笑顔を作り、周囲を見回した。なるべく全員の目を見て、しっかりと気持ちを受け取ったのだと言外に伝える。

 俺に言葉を遮られた彼らは、一瞬だけぽかんとしたが、すぐに我に返った。


「確かに! 大変失礼しました!」

「聖女ラウル、お幸せに!」


 蜘蛛の子を散らすように、言うだけ言って去っていく。統率のとれた動きに、今度は俺の方がぽかんとする番だった。

 何か、気が早い言葉かけもあった気がするが、とりあえずは脱出成功だ。脱出、っていうよりは撤退成功、って感じだけども。


「ま、とりあえず教会に行くか」


 馬を用意しておく、と言って先に厩へ向かったジークヴァルトを待たせるわけにもいかないしな。気持ちを切り替えた俺は、足早に合流場所へと向かうのだった。




「お守りだ」

「ん?」


 ジークヴァルトから手綱を渡されると思ったら、別のものを渡された。手のひらに乗せられた革袋を眺めて首を傾げる。お守り、とジークヴァルトが言うのだから、きっと何らかの願掛けのされたアイテムが入っているのだろう。

 だが、このタイミングで渡される意味が分からない。こういう風に、脈絡もなく唐突な行動をしてくることは少なくはない。だが、十年近く一緒に過ごす内に、そういったことは減ってきていた。

 うーん、久しぶりだな。こういうサプライズ。


 頭一つ分くらい身長の高い男を見上げて「中身って見ても大丈夫なやつ?」と何でもないように問いかけてみた。

 俺にそういう質問をされることを想定していたのか、彼はすんなりと頷いてみせる。


「婚約指輪代わりに、使ってくれると嬉しい」

「え、あ、うん……?」


 袋の中身を取り出せば、婚約指輪に相応しい作りの指輪が現れた。普段使っていても邪魔にならないデザインだ。女性ものや一般的な婚約指輪であれば、石を目立たせる為に、生活のしやすさを犠牲にした意匠のものになりがちだ。

 だが、これはそうではない。

 ベゼルセッティングをベースにした指輪で、宝石部分が指輪と一体化している為、引っかかりやすい凹凸がない。それだけだと地味すぎると思ったのだろうか。普通は指輪を正面から見た時に分かる用に彫刻や装飾を施すものだが、この指輪は側面に彫刻が施されている。

 一見シンプルそうに見えて、実は……というタイプである。一ひねりしているところがにくい。


 そして宝石。普通は単色の宝石を用意する。自分の瞳の色だったり、本人に似合う色だったり、単純に高価なものだったり、と様々だけどな。それが、だ。

 この指輪にはまっているのはルチルクオーツだ。透明感のある、透き通った水晶の中にルチルが入っている。俺、ルチルクオーツを婚約指輪に使ったなんて話、聞いたことがないぞ。

 これ、初めてなんじゃないか?


「身に着けてくれるか?」

「あ、うん。もちろん」


 俺がそう言うと、彼はそっと指輪を俺から奪って薬指にはめた。うわ、ぴったり。


「……はは、すごい。サイズぴったりだ」

「…………」


 俺が指輪のはまった手を見せながら笑えば、ジークヴァルトは顔を真っ赤にして口をぎゅっと閉じていた。あら、また照れちゃってる。いや、感激しているのかもな。

 かっと目を見開いているところから、俺が実際に指輪をはめた姿を見て、単純に感極まってしまっているだけかもしれない。

 相変わらず、可愛い人間だこと。


「よし、今日からこのお守り、使わせてもらうよ。ありがとうな」

「ああ。そうしてもらえると嬉しい」

「じゃあ、教会に移動しようか」


 俺たちは短いやり取りをして、それぞれの愛馬に乗る。愛馬と言っても、完全に自分専用というわけではないが。どんな時にも、どんな状況にも対応できるよう、人間――といってもテアテティスの騎士に限るが――の言うことを聞くようにと調教してある。

 だから、特段相性の良い馬を便宜上愛馬と呼んでいるだけだった。

 因みに俺が愛馬と呼んでいるのはアントスという牝馬だ。今日も彼女は機嫌が良いらしく、快活としたリズムを刻んでいる。


 風を受けながら、ちらりと自分の左手に目を落とす。見慣れない装飾物が俺の薬指を飾っているのが見える。

 それにしても、指輪を用意するの早くないか? 婚約が決まって、それを公表するのに数日もかかっていない。いったい、どんな魔法を使ったのだろうか。

 明らかに量産品ではない指輪を不思議に思うと同時に、指輪の用意を急いだ理由を思う。


 やっぱり、浮気防止とか、俺のものだという主張をする為とかだろうか。若かりし頃の俺について知っているとは思えないから、浮気防止はないか。いや、浮気なんてしたことないし、今後もするつもりはないけども。

 かといって、所有物だということを主張するような人間ではないから、さっき思いついた二つとも、不正解だろう。

 ということは、虫よけってことか?

 虫がつくような人間じゃないんだけどな……。俺、心配されているのか?


 俺は、ジークヴァルトが不安に感じるような婚約者にならないようにしたい。それにはどうするべきだろうか。

 同じ気持ちを返してやることはできなくても、安心感を与えてやることはできるはずだ。しかし、これはどういう意味の「お守り」なんだろうな。


 さっき、聞いておけば良かった。でもまあ、いつもの言葉の選び方を間違えたやつかもしれないし。逆に突っ込んで聞こうとしたら、可哀想かもしれない。

 落ち着いた頃にでも聞いてみよう。うん、それが良い。


 どんな答えが返ってくるのかな。俺の想像と合っていても、合っていなくても楽しみだ。




 教会に到着すると、そこには既にアエトスがいた。陽の光を受けて立つその姿には華がある。が、やはり表情が胡散臭い。


「ずいぶんと到着が遅かったね。どこで道草を食っていたんだい?」

「婚約おめでとうの集団に遭遇しちゃってさ」


 からかい混じりに言うアエトスに俺が肩を竦めて答えると、彼はにんまりとした。


「へぇ。私はてっきり、その指輪で二人が盛り上がってしまったのかと思ったよ」

「ああ……これ? 良いだろ」


 貰ったばかりの指輪をアエトスに見せつける。興味津々そのもの、といった様子で俺の指輪に顔を近づける。

 きゅるりとした曲線を描いている目尻が柔らかく変わる。


「へぇ……なるほど……? さっそく熱々だね。おめでとう」

「ありがとう」


 俺の素直な反応に破顔した年若い聖女は、くるりと体の向きを回転させるとジークヴァルトの方へ近寄った。


「さすが聖女ラウル至上主義者。素敵な指輪だ。とても気持ちが込められていて素晴らしい。この調子で頼むよ」

「もちろんだ」

「良いね! とても良い! さぁて数も揃ったことだし、公務開始だ」


 即答するラウルを見て賞賛の声を上げた彼は、笑いながら軽やかな足取りで協会の中へと入っていった。

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