第3話 全然小熊じゃなかった。

 誰だ、ジークヴァルトのことを俺の小熊ちゃんとか言ってた奴は。あ、俺か。

 ……酷い目に遭った。相手を侮るな、とか散々言っていたくせにこの体たらく。真夜中からおっぱじめた諸々のせいで、俺はベッドの住人になっていた。

 ジークヴァルトが若いのか、それとも今までの溜まりに溜まっていたものを爆発させたのか、それはもう凄かった。誰だよ初心者だとか初心だとか決めつけていたのは。……俺だよ。くそお。

 まあ、初心ではあったか。うん。


 それにしても、最高の時間だった。

 俺は昨晩と言って良いのか分からないあれこれを思い出しながら、鼻の下を伸ばす。

 トップのつもりがボトムに、なんて想定外はあったものの、それ以外は嬉しい誤算だらけだった。何より積極的なのが良い。それに、ジークヴァルトの俺への理解度が高いのが、こっちにまで影響を及ぼしていて……もう、完璧。

 いや、完璧は言い過ぎか。少しは俺の年齢を考えてほしかった。


 ……そりゃあ、神聖魔法を使えば復活できるから、関係ないっちゃ、関係ないんだけどさ。そんなことを思いながらも顔がにやけてしまうんだから、俺ってば困った奴だ。

 若い男を捕まえたと喜んでいたお姉様を思い出す。きっと彼女もこんな気分だったんだろうな。


 もうちょっとこのままジークヴァルトのお世話になろう。体はきついが、彼のきめ細やかな介護を堪能していたい。

 だって、後ろめたさがあるのか、すごく色々やってくれるんだ。過去の恋人たちのことは甘やかしてばかりいたから新鮮なんだ。

 甘やかされるって、こんなに幸せなものだったのか……なんて実感してるってわけ。


「ラウル、朝食を持ってきたが、食べられるか?」

「おっ、ありがと」


 どこに行ったのかと思えば、そう来たか。ともすればにやついてしまいそうになる己を律し、素知らぬ顔でジークヴァルトをベッドに潜り込んだまま出迎える。

 彼は二人分の食事をトレーに乗せて現れた。サイドテーブルにトレーを置き、近くの椅子を引き寄せる。そこに彼が座れば、看病的な行為をするのに最適な配置になるだろう。

 彼は眉尻をやや下げながら、俺の顔色を窺うようにちらちらと視線を送ってくる。可愛いからこのまま気づかないふりをしても良いけど、さすがに俺は悪魔じゃない。人の好意はいたずらに蔑ろにして良いもんじゃないしな。


「ヴァルト、どうした?」


 きさくに、さらっと。微笑みかけながら俺が問いかければ、彼はほっとしたように表情をゆるませる。ああ、なるほど? 無茶なことをした自覚があるから、俺が怒っていたり気分を害していたり、気持ちが冷めてしまったんじゃないかと不安になってるんだな?

 もう、本当に可愛いんだから。俺が可愛くてたまらない相棒の為に上半身を起こせば、彼はぴしっと背筋を伸ばした。何もそんなにかしこまらなくたって良いのに。


「ご飯、食べさせてくれたりする?」

「……する」


 もにゅ、と小さく唇が歪む。あらら、そんなに嬉しそうにされると俺も嬉しくなっちゃうな。相変わらず不器用ながらも彼の感情に忠実に動く口元が愛おしい。口づけしたい欲求に駆られたが、今は我慢だ。

 キスなんてしたら、朝食どころじゃなくなるかもしれないからな。

 俺にとって大したことじゃなくてもジークヴァルトに効果がある行動が増えたらしい。増えるのは構いやしないが、俺の行動が制限されたり再びベッドインは困る。

 そういう行為が嫌だとか以前に、腹が減っているから。俺は小さく口を開けて待った。これなら絶対大丈夫だろう。そんな確信をもって。


 じっと待っていると、ジークヴァルトがソーセージを差し出してくる。カットしたそれが唇に触れた。顔を傾け、ソーセージを食む。じゅわっと肉の油が口内に広がった。

 うまいな。俺は久々に食べ物を食べたかのような喜びを覚えていた。飲み込むまでに時間をかけすぎたのか、ジークヴァルトが不安げに見守っている。ちゃんと飲み込み、次のひと口をせがむ。すぐさま次の一口が用意された。

 俺がのんびり食べている間に、彼は自分の分をどんどんと食べていく。見ていて気持ちいい食べっぷりだ。俺は彼のそんな姿をおかずに朝食を食べる。


 朝食はベーシックでシンプル。ソーセージ、焼いたじゃがいも、茹でた甘い人参に、きゅうりの酢漬け、そしてゆで卵。……ん? ゆで卵はどうやって食べさせる気だ?

 ゆで卵の出番が来るのはいつなのかと身構えながら食べていると、ついにその時がやってきた。なるほど、手間のかかるものは最後というわけか。綺麗に卵の殻を剥いた彼は、そのままゆで卵を差し出してきた。


 手ずから食べさせてくれるのか。得心した俺は、慎重に卵に噛みついた。お、半熟に近い卵だ。食べかすがぽろぽろと崩れることを危惧していたが、そうはならなそうだと安心する。

 普段は二口で食べられるが、人の手から食べるとなると話は変わってくる。普段よりも小さな一口で、二口めを食べる。適度な塩加減が柔らかめの黄身と相まって、まろやかな味を出しているのを堪能する。


 残りわずかとなった黄身が乗った最後の一口を食べようとすると、どうしてもジークヴァルトの指ごといくしかない。仕方ないか。俺は諦め半分、悪戯半分であむっとジークヴァルトの指ごと食べた。

 俺の口の中に入ってしまった指がびくりと跳ねる。何だっけか。遠くの国で踊り食いとかいう食べ物を生きたまま食べる文化があった気がする。あれにそっくりだ。楽しい気分になりながら指の間にある卵を舌で奪い、飲み込んだ。

 噛んだ方が良いのは分かってたんだけど、指があるからな。噛んじゃかわいそうだろ。それに、ちょっと苦しいだけで無理ではないし。自然と外れていった親指以外の二本の指を咥えたまま無理やり卵を飲み込んだ。


「んっ」


 ごきゅ、と喉を鳴らして飲み込むと、ジークヴァルトが腰を浮かせるのが見えた。指を引き抜けば良いのに。いじらしいというか、何というか。ああ、可愛い。どうしよう。

 こんなに可愛いのに、ぜんっぜんあっちは子熊ちゃんじゃないんだもんな。俺は口の中に入ったままの指をそっと舌で舐める。はは、指が強張った。手を取り、逃げないようにして指をしゃぶる。

 ジークヴァルトの指が食後のデザートってか。ちらりと彼の方を見たら、目尻が赤くなっている。おっと、これはちょっと刺激が強かったかな? 危ない気配を感じ取った俺はゆっくりと彼の指を解放した。


「ごちそうさま」

「……」


 ジークヴァルトは俺の唾液で濡れた指先を見て、それから俺の方を見て、ぎこちない動きで頷いた。混乱させちゃったらしい。

 きっと、今のはお誘いだったのか、それとも許しの証としてのサービスだったのか、悩んでいるのだろう。単純に食べるついでに悪戯心が湧いて、っていうのが正解なんだけど。

 ごめんな、全然怒ってないし、誘ってもいない。


「ラウル、お前は……いや……その、だな……」


 あー……なんでこんなにも可愛いのにトップだったんだ。子熊ちゃんが豹変して襲いかかってきたのは良いんだけど。まだ、何となくボトムだったことが俺の中で納得がいっていない。


 やっぱりさ、抱きたかったなと思ってしまうわけ。そして、このまま食後にベッドでお楽しみ――しかもボトム――というのも、それはそれで悪くはないんだけど何だか癪だ。愛されるのも悪くはないなと思ったし、ジークヴァルトにならばこういうのだって許せるし、それでも良いと思う。

 じゃあ、何が引っかかっているのかって言えば……俺だってきみが抱きたいのだと伝えることができていなかったこと。ただそれだけだ。


「一応言っておくけどさ」

「な、何だ?」

「本当は、俺がきみを抱きたかった」

「っ!」


 おお、すごく驚いている。これでもかというくらいに目を見開いた彼は、いつぞやに幽霊と勘違いされた時と同じ顔をしている。

 かわいそうだな、と思った俺はジークヴァルトを安心させる為、続けて言葉を紡いでやるのだった。

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