第3話 今更燃える恋心
俺が、ジークヴァルトに……恋をしているだって? アエトスの言葉に納得がいかず、否定の言葉を口にする。
だが、アエトスの考えは変わらない。それどころか「ならば、さっきの表情について説明してほしい」と追及の手を厳しくしてくる。
俺はその問いにすぐには答えられなかった。
残虐王のような顔をしていると指摘され、愕然とした。
――俺はそんな顔をしていたのか。
残虐王とはまた恐ろしい比喩表現だ。愛する者を奪われたと勘違いした間抜けな男が愛憎に歪ませた顔のことだからな。
俺はそんなにも、ひどく感情を漏らしていたということだろう。だが、受け入れ難い。
アエトスと俺の思考は似ている。それはこの前に話をして和解したところだった。だからこそ、彼の指摘が受け入れ難く、胸に突き刺さる。
否定するな、アエトスの言うことは正しい。そう心の中でもう一人の俺が力なく笑う。それでも、認めたくなかった。
アエトスに「今のあなたはただ怒りをくゆらせているだけだ」と言われても、肯定する気になれずにだんまりを決め込んだ。
「今のあなたは、聖女ラウルなどではない。ただのラウル・フォスターだ。あなたの強固な聖女の殻を破るほどの感情は、恋情以外に存在しない」
アエトスにそう言われ、息が止まった。そうだ。今の俺は聖女らしくない。これからどうすれば愛しい存在を取り戻せるのか、という簡単なことさえ考える余裕を失った、ただの男だ。
怒るだけなら誰だってできる。俺の思考を読む為にじっと見つめてくる男の瞳に、情けない表情をした自分の顔が映っている。
怒りに染まりつつも途方に暮れた顔だ。聖女ラウルはそんな顔をしない。アエトスが言う通り、今の俺はただのラウル・フォスターだった。
「あなたは、ジークヴァルトという人間を、ただの相棒として見れなくなっている。それを認めた上で今後の人生を共に歩む相手として彼を迎えに行かなければ、きっと後悔するよ」
アエトスの指摘にはっとする。俺は相棒としての情を超えた気持ちを胸の内に隠している。もはや可愛らしい年下の相棒は、ただの相棒ではなくなってしまっていた。
恋というものは人を変えるというが、俺の場合、恋は俺を聖女でなくするらしい。
「ジークヴァルトが自分が脅しの材料だと知った時、何が起きると考えている? あなたは分かっているはずだ。聖女ラウルの足枷となるならば死んでいなくなってしまった方が良いと考える――と。
彼がそう考えるのは、自分が死んでも聖女ラウルの未来に影響がないと思っているからだよ」
アエトスが淡々と語る。だが、その視線は俺が自分自身の感情を認めようとしていないことを責めている。
「だから、あなたはジークヴァルトと対面した時、自分の人生にジークヴァルトという存在がなければ意味がないと主張しなければならない。それを主張するなら、意地を張っていないで自分の気持ちを認めた上で彼に言えば良い。
その告白によって不幸になる人間は誰もいないのだからね」
ジークヴァルトという存在がいなければ、俺が不幸になるのだと伝えろとアエトスは言っている。
彼に死という選択肢を与えない為に、己の感情を自覚しろというのは何という皮肉だろうか。無理やりそういう感情になれと言われたわけではない。あえて自覚しないようにしていた部分を認識しろと言われただけだ。
俺は既にあの年若い男に心を奪われている。それに気づいていないつもりで過ごしていた。逃げ続け、誤魔化し続けていた感情を認めるだけではなく、その気持ちを口にしろと言う。
思考がぐちゃぐちゃだ。四十も過ぎて、今更。
俺はジークヴァルトの相棒でいたかったのに。あの男から尊敬され続ける聖女でいたかった。情けない姿を見せることなく、ただ真っ直ぐ未来を見つめる聖女でいたかった。
婚約することになっても、相棒としての大切な気持ちは変わらないと思っていたし、それ以上になることはきっとないだろうなと本気で思っていた。
それなのにどうだ。
「どうして認めたくないんだい?」
「……何でだろう?」
「私に聞かないでくれ。聞いているのは私なのだから」
怒気の混ざった声で答えられ、俺は弱弱しく苦笑する。俺は、多分怖いんだ。彼の情熱を受け入れることが。そして自分にそういった感情があるということを認めることが。
人を愛するということは素晴らしいことだと思う。だが、いざとなると怖くなる。
「ラウル、その気持ちを否定したまま彼を迎えに行っても良い。きっとあなたなら、うまく立ち回ってジークを助け出すことができるだろう。しかし、その先は?
あなたは、ジークを失うことに対する恐怖を知ってしまった。強く感情を揺さぶられているはずだ。それを隠して彼と何事もなく今後を過ごせるのかい?」
アエトスの言っていることは何一つ間違ってはいない。俺が彼が考えている以上に臆病者だっただけだ。
「……きっと、無理だ」
自嘲気味に笑えば、アエトスが俺の手をそっと握ってきた。さっきは預言者アリストフォスに同じことをされたな、と思う。
「私は、二人とも大切に思っている。ラウルが気の抜けた顔でジークに笑いかける姿が好きだ。ジークが真っ直ぐ熱い視線をラウルに向けているのを見るのが好きだ。
想い合っている二人が好きだ。あなたは、私のこの気持ちさえ否定するのか?」
アエトスが目を潤ませながら見上げてくる。泣きたいのは俺の方だ。どうしてそこまで真っ直ぐに言い切れる。俺は、ただの卑怯者なのに。少し前まではジークヴァルトが拉致されたことに怒り狂っていたのに、今ではアエトスの追究から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
「……俺は、ただ彼と今の関係を大切にしたいだけなんだと思う」
「今の関係が崩れると?」
「それは分からない。でも、変わらずにはいられないだろ」
十年以上こんなにの長い間、彼とは相棒という関係だった。それを失ってしまうのが怖い。変わってしまうのが怖い。
「ラウル、変わるのではないよ。増えるんだ。何も怖いことはない」
「増える……?」
「相棒であり、人生の伴侶である。そんな風にただ、関係が増えるだけなのではないかな。ジークを見てごらん。彼はちゃんと相棒をしてくれているだろう? あなたに恋焦がれていながら、相棒としてあなたの隣に立ち続けていただろう? 今はまあ、ここにいないけれど」
関係が増える。そういう考え方があったか。役職のように、入れ替わっていくような考えをしていた俺にとって、その考え方は新しい価値観だった。
「ラウル。ジークと死ぬまで一緒にいたいのなら、今ここで彼を死なせてはいけないよ。失うとしても、彼にあなたのその心を知らせずに死なせるつもりか? 行動せずに後悔するのならば、行動してから後悔するべきだ」
アエトスは手厳しいな。悲しそうに笑む男の目からこぼれた雫を指先で拭い、その頭を撫でる。自制心の強い男を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えながら、ぎこちない笑みを作る。
「アエトス、ありがとう。確かに俺は、ヴァルトを愛している。これを白状したとしても、きみは今更、と言うんだろうね」
「当たり前だよ。どうだい? 燃える恋心を自覚した気持ちは」
にやりと口元を歪めた彼は、いつも通りに見える。
「……最悪だ」
「ははは、それでこそ。さあ、冷静になれたところで作戦会議だ」
「あれ? アエトス泣いてたんじゃ――」
王子聖女はけろっとした顔をして首を傾けて微笑む。そこには涙のなの字すら見当たらない。
「残念だが噓泣きだよ。のんびりしていると伝令が来てしまう。ほら、打合せをする」
「うそぉ!?」
くそ、騙された!
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