第16話『ヒトよ敢えて私を呼び起こすな』

嗚呼、この力が初めからあったなら、全てを護れていたのに……。

 どうしてわたしは、こんなにも遅いのだろうか。

 辿り着きたい場所へ行くのがどうして、こんなにも遅れてしまうのだろうか。

「……わたしのせいだ」

 悔恨が根を張っていく。

 もっと早くこの力を……!

「それは思い上がりだ、馬鹿者」

「……!」

「今のお前はどこまで行っても半人前、魔法を使えたくらいでいい気になるな」

「だけど!」

「その程度の魔法を使えたくらいで、賢者を殺した者には到底及ばない」

 賢者の実力は世界屈指のものだろう。衰えたとはいえ、今のアンナごときで太刀打ちできるとは思えない。

「今は誇れ、少なくとも半人前にはなった、足手纏い脱却だ」

 ニヤリと笑うロア。

 その笑顔は思いつめていた自分がバカらしくなるほど晴れやかで……。

 きっと、お師様マーリン存命いきていても同じことを言ったような気がする。

「あれ……?」

 ふらりと力が抜けた。そのまま倒れそうになった、アンナをロアが支える。

「すこし休め。起きたら、グリンガルドとの戦いになる」

 彼の胸の中は暖かくて、アンナはすぐに眠りに就いた。優しく静かな幽かな闇の中へと。


 吹き抜ける風。新鶯が降りてきそうなほど爽やかな風だ。その風に導かれて、アンナは目を開けた。場所はどこだろう? 見た事も無い平原で、妖精たちが踊っていた。

 訳もなく歩いてみた。澄み渡る蒼穹に祝福されている様な気がした。

 進めど進めど終わりは来なかった。

「みんな」

 暫くすると見知った者たちの顔を見た。初めてビオラに出会った村の住民。彼等は何も発さずに、ただ笑っていた。彼等はアンナの進行に合わせて避けていく。

 またしばらく歩ていると、ぽつりとたつテーブルに行き当たった。

 そこには目深にローブを被った老爺が居た。

「座ると好い」

「……、お爺さんは誰ですか?」

「……」

 老爺はアンナの質問を無視して、着席を勧める。

 アンナはこのままでは何も応えてくれないと思い、素直に着席した。

「お爺さんは誰ですか?」

 再度同じ質問を試みる。

「……わたしは言うなれば、敗北者であり、悪であり、憎悪であり、差別であり、弱者であり、まごう事なき真実である」

「えっと? つまりどういうコト?」

「愚かな娘よ、度し難き娘よ、なれは何故に憎まぬ……?」

「え――」

 老爺はローブの中から、深怨燃ゆる眼を覗かせた。

 その憎悪はアンナを打ち据えた。

「人の本質は〝愛〟である。それ故に、憎み、怨み、妬み、欲し、怯え、憂う」

 言葉一つ一つが呪詛の如く響いた。

「戦いはいつだって欲し、奪われたからこそ起きる。人は何時も裡にこそ敵を飼っている、闇を食むように憎悪を育てているのだ」

 泥のように、濁りきった感情を振りかざす。

 老爺の言葉は、悪意そのもので、アンナは必死に心を守った。

「肌の違いでだれかを罰し、宗教の違いで他を弾圧した」

「何を……」

「言語の違いは軋轢を生み、次第に諍いは大きく戦争となった」

 意味が分からない、何の話をしているのだ。

 言語の違い……? 宗教の違い? 何の事だ。

「後に残るのは、勝者と敗者、悦楽と憎悪、酒と泥だ」

「あなたは何が言いたいの⁉」

「慚愧は新たな戦を生み出し、人々はそれに熱狂した」

 だめだ。まるで話にならない。まるで幽鬼と話している様だ。

 アンナは老爺の言葉を無視して、席を立った。

「娘よ、何故に憎まぬ」

「だから意味がわからない!」

 いい加減に、アンナも怒りを見せる。さっきから要点の見えない話ばかりだ。付き合っていられない。

「友人知人を殺され、何故に憎まぬ」

「――は?」

「死を殺され、姉代わりの女を殺され、それでも汝の深奥には幽かな憎悪さえ見えぬ」

「……そんなわけない! わたしは憎い!」

「それは自分への憎しみだ。他者へのモノでは断じてない。怒りは在ろうや、だが憎しみでは無い」

「そ、んなわけ」

「――ただ憎んだふりをしているだけだ、なあ人のふりをし続ける娘よ、汝は何ぞや?」

 怖い。恐ろしい。そんな言葉では表現できない恐怖が眼の前にはあった。

 まるで世界の総ての澱を集めたかのような、眼前の老爺は高々十六の小娘を吞み込もうとしている。指先が震えた。声が上ずった。

 だけど、心は自然と振動してる。

「――、わたしはただ大切な人に笑っていて欲しいだけだよ」

「その結果、争いが生れてもか?」

「それなら、その争いを止めるよ」

「戯言」

「かもしれない。だけど、わたしは何よりも優しく在りたい」

 そうあれかしと願われたのだから。みんな優しかった。ビオラさんもオリバーさんも、オルテンシアもお師様も村長さんもお婆さんも。

「みんな優しかった」

 憎しみが無いわけでは無い。だけど確かにどこか遠い。どちらかと言えば、自身への怒りの方が強いのも事実だ。

「だけど、あいつを許したつもりは無い」

 理不尽を許容した憶え何てとてもなくて、あるのは確かな打倒の意志。求めるのは償いだ。だって、赦せない。あいつが笑うのは許せない。どれだけの妥当性があろうと理不尽に奪っていい筈が無いんだ。

「……」

「お爺さんはきっと、とてもつらい目に遭って、何も信じれなくなったんだと思う。だけどわたしはまだ信じたい。だってわたしにとって、みんなは光かがやくように煌びやかだから」

「愚かな娘よ……」

 嘆息して、老爺は背を向けて去っていく。

「お爺さんわたしは、誰かを救えるくらい強くなりたいよ」

「……」

 未だ複雑に絡まる感情を何とか紐解いて、言葉を発した。

 自分でも驚くほど、その言葉心底に収まる。

 そのために強く在ろうと思えた。

 そのために優しく在ろうと思えた。

 そうすれば皆優しくなれる。

 時に争うことがあるかもしれない。

 だけど、その手段が暴力から言葉になればいい。

 まだアンナには出来ない。

 対話には力が必要なコトは、痛いほどわかるから。

 それでも、願い続ける事だけは間違ってなんかいないと信じられた。

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