第40話『私はまだ知らない』

 ――アルプ大陸、某所、某村。

 それはフェー・フォイマスが幼き日のコト。

 ただの村娘として生を受けた彼女は、姉弟のコトをかわいがり、家事や畑仕事を積極的に取り組んでいた。村の人たちも彼女のコトをよく褒めていたし、両親もよく頭を撫でてくれた。

 その日常は、不意に、唐突に、音を立てて崩れ落ちた。

 その時は姉弟と遊んでいた時であった。フェーは糸が切れた人形のように、倒れたのだ。村は騒然として、彼女のコトを心配した。

 幸いにも彼女はすぐに目を覚ましたが、その髪の色は明るい茶髪から、老人のような白髪になっていた。

「少し疲れたの、にして」

 母親は安堵した様子で「わかったわ」と言って弟や父を連れて退室した。

「ぇ……ぐ」

 胸を込み上げる吐き気に抗えず、フェーは戻してしまった。

 吐瀉物を気にもせずフェーは天井を見上げた。

「あれは……」

 フェーはこの時に……正確には倒れる瞬間に、〝潜在魔法者〟として覚醒したのだ。

 そしてその〝潜在魔法〟の効力は、限定的な未来予知であった。

 二つの未来を見せて、二者択一を迫るのだ。

 フェーは初めての魔法起動で最悪な未来を見せられた。

「あれは……あれは」

 正しく終末の権化。

 闇より這い出た死の象徴。

 遍くを死に絶えさせる、命を呑むもの。

「あんなのが顕現したら、もう……!」

 抗えない。勝てるとは思えなかった。フェーは見た瞬間に、最早戦意をくじかれたのだ。

「だけどあの人は!」

 戦っていた。遠き、どれほど遠くの未来かもわからない遠き明日で、終末の権化と彼は戦っていた。白髪の青年が。

 魔法が提示した二者択一は「世界の滅びを望むなら、村に留まるべき」「世界の滅びを拒絶するなら、ロア・ムジークと出会え」だった。

 フェーは考えた。家族を置いて、行く当てもなくさまようのは抵抗があった。

 そうやってもんもんと考えている間に、一年が過ぎ去った。

 彼女髪は同年代からバカにされたが、フェーは気にしていなかった。この髪はあの人と同じだから。誇りだった。

「……っ」

「お姉ちゃん⁉」

「大丈夫……頭痛がしただけだから」

 フェーの側頭部に走るような激痛が襲った。

 そして脳裏に焼き付く未来のヴィジョン。

 またもや二者択一を迫られた。

 提示されたモノは「ロアに逢いたければ、ガニシュカを皇帝に祭り上げる」「今の日常を望むなら、終わりの時まで村に残る」だった。

 フェーはその夜、村を抜け出した。

 走る中で、涙が零れていった。零れないように、空を見上げて走った。

 だから気づけた。

「……!」

 それは月を覆い隠すほどの巨大な影だった。大きな翼に、爬虫類のような眼光。長い尾をくねらせながら飛翔していた。

「……っ‼」

 涙を流し、どうにもならない現実に打ちのめされた。

 その場で、倒れこむように座り込んだ。

「駄目だよぉ……私ひとりじゃ……無理だよ」

 それは竜であった。黒き竜であった。

 それは咆哮をあげてフェーの居た村に飛んで行く。

 彼の竜の名は、‶獄炎竜インフェルノ〟アルプ大陸に長く災害をもたらし続ける、破壊の王者であった。

 その災害の矛先は如何やらフェーの居た村に定まった。

「嗚呼ああああああアアアアアアアア――――――――ッッ‼」

 フェーの村から獄炎が巻き上がる。それは周辺大地を総て溶解させるほどの熱量で、数キロ先に居たフェーにさえ熱気が伝わった。

 フェーはただ涙した。滂沱と流して、慟哭を奏でた。

 喉が裂ける程。

 想いが枯れるほど。

 涙を燃やすほど。

 そして泣き止んだ。

「行かないと。ガニシュカを皇帝に」

 その胸に瞋恚の炎灯して、彼女は戦災渦巻く場所を目指す。

 フェーは知らなかった。

 世界がこんなにも残酷で、脆いものだと知らなかった。

 ただ幸せを享受することも許されないものとは思わなかった。

 ――自分がこんなにも醜いとは思わなかった。

「一緒に死ねなくて、ごめんなさい」

 世界のコトなんてほっぽり出して、皆と最期の時を……そう思わなかったと言えばウソになる。だけど、死にたくなかった。

 白髪の青年……ロアに逢いたかった。

 彼と話して、何を想い、何に憂い、何に喜ぶのか知りたかった。

 混沌の絶望の淵に居た彼女を奮い立たせてくれた彼に逢いたかった。

 是は愛なのだろうか? 恋なのだろうか? それとも崇拝なのだろうか?

 わからなかった。

 彼に遭わなきゃ、解らない。

 分からない。

 判らない。

 だから彼女は死せる天使となったのだ――。

 


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