君にアイたい
[ノーネーム]
再炎篇
第1話『決別は静かにされど明瞭に』
――イーリス大陸北部。
イーリス大陸にすむものならば誰もが知る地域だ。何故有名なのかは単純で、人類の生存域を簒奪された土地だからだ。嘗て唐突に現れた「女」によってわずか二百年で、イーリス大陸の三分の一を奪われてしまった。
女が率いたのは「魔族」と呼ばれる、理知を持たぬ獣の総称。ただし、奇怪な力を持つ種族である。
統率されず、只の個体のままであればそれは厄介であれど、脅威ではない。しかし、彼女によって彼らは統率された。それからは迅速に人類の生活圏は脅かされていった。
次第に「彼女」を侮っていた人類も痛感した。このままでは滅びると。
人類は古代からある、寝物語から引用し、彼女を呼称した――。
――「魔王」と。
だが、人類も負けてばかりではない。彼女を「魔王」と呼ぶのならば、当然「勇者」も必要だ。人類は「勇者」を擁立する為に様々な試練を施した。その苛酷な試練によって確かに「勇者」は生まれ、彼を支える聖賢、聖女、を初めとする「勇者一行」が人類の希望となった。
彼らはたった数年で「魔王」の下へ辿り着き――。
――そして今、決戦が始まる。
芥どもめ。「魔王」アエラは心底で毒づいた。眼前の雑兵共は確かに強力な力を秘めている様だが、高々数名だ。脅威ではない。
「問おう――何ゆえに『魔王』の御前で膝を付かぬ」
「――此処は
金髪の女性――「聖女」であるサンタマリア・フィルスが強く言葉を吐く。「魔王」は不愉快そうに蛾尾を歪める。
「そう言うこった、悪いが『魔王』恨みは無いが、ここで死ね」
朱い髪の男――「勇者」ナハトが「
「おいおい! 俺は恨みがあるんだが?」
「……、『魔王』のせいで気にいった娼婦が内地に行ったとかいうあれだろ? 逆恨みとまでは言わねぇが、お門違いだろ」
「いいや! 死活問題だね‼」
「サイテーです」
一人の男が文句を言う。黒髪の法衣を着た男。「聖賢」ガルガリだ。ガルガリにナハトはツッコミを入れる。が、ガルガリは小さな問題ではないと言う。そんな彼に辛辣な言葉を吐く金髪の少女。
「おい! そんなクズを見るような目でみるなよ、ルリエ!」
「事実クズです」
わけあって「勇者一行」に同行している少女ルリエ。彼女には特殊な呪いがあり、その呪いを解くために、魔王討伐に参加している。
「……、与太はいい。この
「……上等だ、こちとらこの戦いが終わったら、結婚すんだよ死んでられっか」
「――、それ言うキャラって結構な確率で死にますよね」
「おい縁起でもねぇこと言うんじゃ無ねぇよ⁉」
「いえ、縁起でもないこと言ったのナハトですけどね」
きょとんとするサンタマリア。ナハトも思わずため息が出る。
「そいう所だぜサンタマリア。全く嫁の貰い手が心配だぜ」
「まあお嬢のあれは天然だからなしゃあない。――俺も、好いおねぇちゃんに、いいことしてもらうために頑張るぜ」
「死んでください」
「ちょっ、それはひどくない⁉」
「ふん……、」
拗ねる、ルリエ。何かを言おうとするガルガリだが。「魔王」の雷撃が遮った。
「いい加減にしろよ、人間ども。
バチバチ。黒い雷が「魔王」の周りで帯電する。鋭敏に死を感じ取る「勇者一行」。最初に動いたのは、ナハト・ムジーク。「
「それは何のつもりだ?」
「見りゃあわかるだろうが⁉」
黒雷が何かに阻まれる。「魔王」片眼を閉じて吟味する。ナハトは一気に「魔王」との距離を詰める。上段から「聖剣」を振りかざすが、「魔王」の右手が「聖剣」に添えられて軌道が大きくそれる。
女の細腕がナハトの豪剣を逸らしたことに、驚愕が走る。
「……、まだだ!」
「――」
アエラは「聖剣」に触れたまま、唐突に態勢を崩し大きく仰け反る。踊るような所作だった。ナハトは驚愕に目を瞬かせる。
「――ん、成程」
「……っ⁉」
心底が恐怖で震えた。「魔王」は何気ない様子で、其れこそ朝食のメニューを考えるような、ありふれた声音で言葉を紡ぐ。
「――、よくわからないけど、別の奴がお前の近くにいるわけだ。見えない、聞こえない。だけど触れられる。変わった力だ、その『剣』の力は面白い」
彼女はただ、蟻を摘むように「聖剣」を持ち上げる。
「だけど、お前は真底詰まらない」
「ナハト下がって!」
「サンタマリア!」
ナハトと「魔王」の間に防御魔法『テレスの聖域』を発動。同時に魔法を拡張させ、ナハトと「魔王」距離を強制的に開かせる。「魔王」は詰まらなそうに「聖剣」を手放し、ふわりと後方に飛んだ。
そこに控えるのは、聖賢ガルガリ。
「〝赤のオオカミ、白の大蛇、控えは魔猿の三竦み、酔いどれ踊りて、天を食らえ〟!」
「……、変わった詠唱、『固有』か?」
言うや否や、「魔王」の雷撃が地を食らわん勢いで膨れ上がり、聖賢へ指向されて放たれる。
「こちとら『聖賢』でね、魔を統べると豪語するにはちと早いんじゃないか⁉ ええ『魔王』――‼」
――曲式魔法。
「聖賢」ガルガリが編み出した「固有」に等しい魔法三つを合一させることによって生み出される、魔法。これに
つまり、この魔法にはまだ防御方法などの対策は無く、相手の受けを崩す事が出来る。
「――〝
「敢えて受けようか」
乳白色に輝く手のひらに、収まる程度の球体が生み出される。ガルガリが指で銃口を模り、撃つ仕草をすると球体が中空から射出される。その速度速くは無いが、回避に転ずれば怖ろしい事が起こるような、悪寒を漂わせている。
「魔王」は敢えて受けて見せる。ニヤリと笑う「魔王」。
黒雷が乳白色の球体に触れ、瞬目のうちに黒雷が消え去る。
「……、」
「今回の魔法は四つの特性がある。一つは、空に居座る痴れ者に対して威力が上がる、一つ、触れるモノを真空の空間に飲み込み鹵獲する、一つ躱そうとする者には
乳白色の球体から身を離そうとした「魔王」の眼前に、球体が瞬時に現れる。直後、黒雷を吐いて炸裂した。白煙が空中でけぶる。
「……、
「……、ああ思うね」
健在な姿を現す「魔王」アエラ。ガルガリはニヤリと笑って見せる。
「――と、言ってもさっきのコケ脅しじゃないけどな」
「『魔王』の力をコケ脅しとはずに乗るな」
「気に障ったか? だが、俺はもっと気に障っている! お前のせいでいい女がどんどん内地に行っちまって、俺がいい想い出来ねえだろうが‼」
憤懣やるかたない想いを吐き出す。
「……、サイテーです。やっぱり死んでください」
「……⁉」
突如として背後から現れた声、「魔王」が振り返るよりも速く、ルリエが「魔王」の背に触れる。ルリエが触れた箇所から、何かが注入されていく。まるで泥だ。黒くネバついた何かが体内に入っていくのが分かった。
「お前……何を⁉」
「呪い返しです。私が苦しんだ幾億分の一でも、せめて味わってください」
「――――――ッッッ⁉」
声にならない悲鳴を上げる。視界が明滅する。明滅の先に見える――幽かな闇が……、その果てに坐す蒼い焔を宿す人が手を伸ばしてくる。手が伸び、アエラの視界一杯に掌が迫る。
――お前じゃない……。
「……っくあ⁉」
気づけば落下していた。精一杯に息を吸う。
「さっきのはなに⁉」
疑問に答えるものは当然おらず、返るのは「勇者一行」の猛攻撃。ナハトの剣を片手防ぎ、残る右手で貫手を放つが、サンタマリアの防御魔法で防がれる。雷撃を放って無理に距離をとる。
「――〝カミカズチ〟」
着地と同時に、発動する業。蛇の形をした黒い稲妻は、大地の上で蜷局を巻くようにうなり、巨大になっていく。天を突くような様相となり、その顎をならす。
「なんだありゃ……」
ガルガリですら、啞然とする。
「皆……!」
サンタマリアが最大防御の魔法を張る。
「……っ!」
ナハトが奥の手発動のために、魔力を熾す。
〝カミカズチ〟が大口を空けて、「勇者一行」を飲み込まんと迫った。大地を掘削し、白煙を巻き上げながら、蛇行する。ナハトが飛び出す。
「……ナハト!」
サンタマリアが悲鳴を上げる。ガルガリは悔し気に嚙み締めた。
「莫迦が」
「魔王」はただ侮蔑する。
〝カミカズチ〟はナハトをあっさりと吞み込み、次いで「勇者一行」を魔法結界がと吞み下す。雷鳴がとどろき、辺り一帯を更地にする。
更地になった地面を「魔王」が闊歩する。目障りだった羽虫共は屠った。そのせいで、城は無くなってしまったが、今は撃ち込まれた呪いの解析が最優先だ。
「しかし、『勇者』とやらも大したことが……、」
……『勇者』の死体を流し見る。さすがのアエラも驚愕を隠せなかった。目を見開く。其処に在ったのはルリの死体だった。可笑しい、ならば「勇者」はどこに。聖賢、聖女、ともに地に伏している。息はまだあるようだが、あれでは何も出来まい。
「――ここだ‼」
「なに――っ⁉」
背後に気配。この感じはあの小娘に呪いを撃ち込まれた時と同様の……!
雷撃を放とうとしたが、わずかに放電するにとどまる。呪いの影響だった。「魔王」は歯嚙みする。ナハトは気合の声を荒げながら、渾身の剣を一閃、「魔王」の身体から鮮血が迸る。
「これがタイラントの力だ! 幻影を創る事も出来るんだぜ⁉」
仲間に幻影を取り付けての奇襲! こいつは外道か何かか⁉ 侮蔑の思考は尽きない。だが、是は戦闘で、ここは戦場だ。言い訳を重ねようが負けたのは間違いない。
「吾が、負けるなんて、それも人間如きに」
「……、侮り過ぎたんだお前は、人間を。高々二百年余りの常勝で、人間に勝った気でいたお前の負けだ。オレ達は『魔族」らが現れる何千年も前から勝ち続けた生物だ‼」
聖賢と聖女が立ち上がる。小娘に駆け寄り、聖女が魔法をかけていた。淡く光る。確かに息絶えていた小娘が、息を吹き返した。なるほど如何やら、聖女の魔法での復活に賭けて、命がけの策に出たらしい。何と無茶な。
負けた「魔王」は負けた。
「御免、皆。御免」
同胞に謝罪を口にする。もっと彼らを自由にしたかった。出来るならば、「吾」を囲んで欲しかった。一人は怖い。誰でもいいから、自分を認識してほしかった。
恐怖の象徴でも、何でもよかった。
――愛されたかった。
結局は、叶わないらしい。
だって、幽かな闇が迫っている。意識が落ちていく、堕ちていく、幽かな闇へ墜ちていく――。
幽寂な闇の果て、其処には見知らぬ青年が立っていて、アエラに優しく微笑み手を差し出す。
嗚呼、優しい夢……。
こうして「勇者一行」によって「魔王」は討たれた。勇者は結婚し、聖賢と少女は流浪の身へ、聖女は法の番人へとなった。新たな道を歩みだす。そして新たな世代へと道は分かれて言った。
ロア・ムジーク五歳、「勇者の息子」。
それが生まれて間もないロアのアイデンティであり、カタログだった。
父と母が愛し合い産まれ、周囲からも祝福されて育った。
……だが、ロアには言葉にもできない不定形な衝動があった。それは日に日に積もり、衝動は強くなった。日常の些細な一頁で噴出してしまう……、そう怖れるほどの強い衝動。
「剣はこう振るんだぜ?」
「こう?」
父であるナハト・ムジークが見本で剣を振って見せる。轟と空が裂ける音が鳴る。ロアも父を真似て振ってみる。勢い余って手の中から木刀が飛んで行った。
「あっ」
「くは。まあはじめはこんなものだろ、気にすんなその内出来るようになる。なんせ――『
「………………」
心がささくれ立ったのが分かった。わからないけど嫌だった。言語出来ない苦痛がそこにあった。それを忘れる為に剣を振り続けた。父が仕事で場を離れても、ずっとずっと……日が暮れて、飯時になっても振り続けた。
剣の稽古をつけて貰って早数か月。ロアは六歳の誕生日を迎えていた。歌を歌ったり、豪奢なケーキや食べ物が並んだりしていたが、ロアの興味を引くものは無かった。パーティーは静かに終わり、皆が眠りに就いたころロアはテラスに出ていた。
ロアの心の裡とは裏腹に夜空は濃紺で……星々が輝いていた。少年の捻くれた視野をもってしても、何らの瑕疵も付けられない程美しいと思えた。ロアは一種の渇仰をもって空を見ていた。あれほど美しく輝けるのだ、恐らく自分に何らの疑問もないのだろう。僅かな陰りさえ……。
「……‼」
気づいたらテラスから身を乗り出していた。途端に重力を失い、すぐにまた重力に囚われた。地面に吸い寄せられ、鈍い音をたてて着地する。
大して間を置かずロアは立ち上がる。その様子には依然として痛痒を感じられない。ロアは軽い足取りで門を飛び越え、夜の街に躍り出た。
深夜ともいえる時間の町はとても清涼で閑散としていた。まるでこの世に一人きりだと錯覚して、陶然と踊るように走り回る。この世界に独りきりだと、嬉しく思った。だけどなぜか涙が止まらない。胸の疼痛が収まらない。
「なに……?」
踊り疲れて、胸を押さえて蹲る。過呼吸になる。少しして、荒い息が収まると、可笑しな現象が起きていることに気づく。夜空は雲一つないのに、這うように深い霧が迫っていたのだ。
「……!」
霧は彼を吞み込んだ。ロアは不思議と不安に感じていなかった。この奇怪な現象の中に在って彼は落ち着いていた。落ち着いて周りを見た。宙は見えない。街の気配も感じない。現実から剝離されたような気がした。
「……、泣くのはやめたのかい?」
「誰……!」
声のした方に瞥見を向ければ、其処だけ不自然に霧が晴れる。霧の中から一人の女性が現れる。黒の法衣、夜のように優しい色のした黒髪、鈴の音のような声色。彼女は優しい微笑みを携えて、ロアの前に屈んだ。
「ふむ……橙色に近い茶髪、稚いながらに怜悧な顔……、少しやせているねちゃんと食べているのかい?」
「え……と?」
彼女は何か見聞するようにロアをまさぐった。髪を撫で、頬摘み、両脇を持ち上げた。
ロアは当惑していた。
「お姉さんはぼくを知っている?」
「知っているともいえるし、まだ知らないともいえる。当然君のコトを知らない人間はそう居ないだろう何せ英雄の子だ」
「…………」
「――だけど、君のコトを真の意味で知っているモノはまだ誰も無い。君の父母も君自身でさえもまだ知らない」
女性はそう言ってロアの髪を撫でた。
「……!」
屹度、ロアが言って欲しかったことは今女性が放った言葉だ。否定も肯定も無い、ありのままのロアを見てくれている。初めてあった人なのに、どうしてか心地よかった。胸がすく思いだった。
晴れやかな気分だった。だけど心模様に反して、瞳からは滂沱と涙が零れていた。
泣き止むまで女性はロアの頭を撫で続けた。
「お姉さんは何者なの?」
「私は『魔女』だよ」
「『魔女』……?」
女性は「そう」と口唇に人差し指を当てて言った。
「『魔女』true。それが私の名だ……ロア、君私の弟子にならない?」
「……、」
思案するように眼を閉じるロア。「魔女」は静かに待っている。やがてロアは口を開く。おどおどと何かを確かめるように。
「……お姉さんについて行けば、ぼくは
テラスから眺める街並みはいつも、笑顔で溢れていて。それがもどかしい程に眩くて。手を伸ばしても掠めもしない。皆が当然のようにやっている笑顔や親愛、悲しみ、は
もしも彼らのように、この身も笑えるのなら、それは屹度ロアにとって何よりの救済で……。
「……、どうだろう。出来ると言ってやるのは簡単だけれど、さすがに無責任かな」
少し困り顔で言う。泣きそうな顔をするロア。
「そう泣きそうな顔をしないでくれ、童が泣いていると哀れでならない」
「……っ」
「……笑えるかどうかは君次第だよ、是は君の物語だ、歩めよ若人――笑えかどうかは君の旅の過程、或いはその果てで確かめると好い」
「旅の果て?」
「そうココはまだ、始まりの一頁。終着にはまだ早いぜ?」
悪戯好きな子供のような笑みを浮かべる。きょとんとするロア。それから「魔女」の差し出す手を取る。
「分かった。確かめる。でも――」
「でも?」
「ここまで期待させておいて、結果無理でしたじゃ、納得いかない。その時は呪ってやる」
「『魔女』相手に呪ってやるか、それはまた恐ろしい。なら君が確かに歩めるように、導こう」
霧は何時しか晴れ、優美な外観が露出していた。月光が幻想的に「魔女」を貫き称えるかのように、夜風が啼く。
――是が彼女との出会い。
心優しい「魔女」との出会い。
誇るべき我が師〝true〟。人生にいくつかの〝分岐点〟があるとすれば、彼女との出会いは間違いなくロアにとって初めての分岐点。
……否。
いや出発点と言うべきか。
嬉々とした喧騒が風を巻き上げる。木剣同士の鈍い打撃音が響く。ロアの眼前の女は巧みに手の中の木剣を操り、ロアの防御の甘い部分を攻める。
力では勝っているはずだが、巧く流され勝負に持ち込めない。
「……く!」
「ハァ――ッ」
女は下段からロアの木剣を打ち据えて防御を崩し、一気に懐に入り込んだ。首元を引っ張り重心を前に、その瞬間に足を引っかけて大きく転倒させた。木剣が大きく飛び、遠くで音が鳴った。
「まだまだですね」
「面目ありません姫様」
ロアが顔も見ずに言うと、女はむすっとした顔を作った。
「姫様はやめなさい。私にはリーゼロッテという名があります」
リーゼロッテは王族然とした仕草自身の豪奢な金髪をかき上げる。
「ロア、余り腐ってもらっては困ります。アナタは『勇者の息子』なのですから、もう少し堂々としていてください」
「勇者は親父だ」
「しかしアナタはその息子……、次世代の英雄候補です」
リーゼロッテはロアに手を伸ばす。
「…………」
その手は取ってはいけない気がした。この女は誰かを下に置かなければ気が済まない。他者を隷下に置かなければ気が済まない生粋の王者なのだ。相容れない。唾棄する。ロアはこの女を蔑如する。
「……? どうしたのです」
「姫様のお手を煩わせるほどでもありません。自分で立てますよ」
「だから……!」
「……さっき、足を痛めたみたいなので、早退します」
リーゼロッテの言葉を無視して言いたいことだけを言う。周りを見ると模擬戦そっちのけで先刻の仕合について話し合っている。腹が立つようなことを話し合っている。気にかけるだけ無駄だろう。武錬場から抜け出す。
「……!」
「お! ロアじゃねえか! 学院はどうした? サボりか?」
「アンタには関係ない」
「一応親だぜ? 関係しかないだろ?」
学院を抜け出して、早々に嫌な顔に出会った。男は稀代の英傑で、「魔王」と呼ばれる大災を討滅した「勇者」。
――ロアの実の父親、ナハト・ムジークと出くわしたのである。
「そう言うアンタはこんな街の外れで何してんだ?」
「そら仕事だ」
「あっそ」
「聞いといてそれか……、」
それから親子の会話が暫し続いたが、何処か乾いている。熱が無くて、一方通行の愛情だけが虚しく空を通り抜けている。ロアの心は唯々白けていた。
「というかお前また姫様に負けたんだろ?」
「そうだけど」
「全く『
「適当な」
「その時は何時だって唐突なんだよ」
何一つ響かない。空虚な言葉の名残だけが耳朶に残っている。ナハトは「じゃ、オレまだやらなきゃならんことがあるから、行くわ」会話を打ち切ると街に消えて行く。それを冷めた目で見ていた。「魔女」trueとであって早十年。親子の溝は最早修復できない程広がっていた。歪に深く、暗澹と閑散と。ロアは深く、深く、暗い溜息をついた。
自身への理解の浅薄さ。周囲の価値観の相違。深まる溝、届かぬ声の無き罵声。
吐き気がするほど「違う」。生物として違う。言語が違うと錯覚するほど何も伝わらない。言葉に形があったなら、彼の悲鳴は届いただろうか? 断言しよう。それでも何も届かない。根本的に父や母、知人や群衆のゴミ共はロアに対して意図して何かを想ったことはない。彼らが願い求めるのは「勇者の息子」でしかないのだ。
レコードから流れる美麗な音色が響く。街の活気に負けずその存在を主張する。曇天はささやかな小雨を降らしていた。麗しき帝都「アイネリア」その日常の一頁。そこにロアの残滓は無い。どこにもない芥ほども無いのだ。或いは透明人間なのかもしれない。いっそのこと、そうであるならば……誰もロアに気づかず、ただ時の赴くまま進んでいくならば、幾ばくかの希望や救いが有っただろうに。奴腹共は、ネバついたヘドロのようなその手でもって、「勇者の息子」を矢面に引きずり出す。だからだろう。齢十六にも満たない少年は己を斬隔した。それは人間性の漂白ともいえる苦行であった。自己性をひた隠し、霞の仮面でもって偽った。虚構のロア・ムジークを模って、其れに倣って言動する。そして剝離した「真なる己」を育てたのだ。
――気づけば帝都の中心に戻っていた。
「ロア! 逢いたかったよー」
「昨日も会っただろ」
「キミには何時も一緒にいてほしいの――!」
いきなり現れたダークブラウンの髪を持つ少女。その大きな眼は猫のようにこちらを窺がい、その快活な笑みは微風のようにロアの毒気を抜く。
ふらりとロアに飛びつき、力強くハグする。
「おい! ヴィクトリア」
「えへへ」
少女――ヴィクトリア・ヴァルキュリアは心の底から嬉しさを表現するように、はにかむ。彼女の仕草は花のように儚いようでいて、妖精のように怪しく、精霊の如く尊いと……ロアは多少の羞恥とドギマギを合わせて感じていた。
「きゃ――ッ⁉」
轟と雷が鳴り響く。ヴィクトリアが悲鳴を上げた。それから半瞬後、ポツリ、ポツリと嫋やかだった小雨は勢いを増し、滂沱の如く路地を打った。
「雨宿り! 雨宿りしよう‼」
「ずぶ濡れの癖に嬉しそうだな!」
「キミと一緒なら、何でも楽しいよ!」
「そうかよ!」
急いで走り、雨宿りできそうな建物を探す。近くには煉瓦を基調とした喫茶店が有った。其処に急いで入った。店のマスターが二人にタオルを渡してくれた。ロアもヴィクトリアもずぶ濡れだ。特にヴィクトリアはまずい。雨でドレスがぴたりと吸い付き、艶めかしい色香を放っている。
彼女はロアの目線に気づいたのか、得意げな顔を作って胸を強調してくる。
「ふふーん。どう?」
「……どうとは?」
「えろい?」
「知らん!」
タオルを投げつける。ばふっと豪快にヴィクトリアの顔面に直撃する。俯瞰している自分が、冷ややかに見降ろしている。どれだけ楽し気に装っても其処に在るのは虚構だけだ。一枚皮の仮面を剝げば、一息の間に醜悪な素顔が露出する。世間を妬み嫉み、欲する醜き獣が。
「……気になっていたんだが、こんな天気最悪の日に散歩でもしてたのか?」
考えれば苦しいから、彼女に質問する。
「キミに逢いたかったからだよ」
「どうして?」
「キミに逢いたいって気持ちに理由はいらない……とかの応えは気に食わないって感じ? 強いて言うなら、君が疲れてたから? 何かあったの?」
返す刀の如く質問が返ってきた。確かにロアは疲弊している。最近見る夢のせいだろう。
――それは幽かな闇。
元々小さい時から見ていた夢だが、最近の頻度はかなり多い。幽かな闇と、蒼い炎を宿す男。あそこにいると皮の仮面は意味を持たず、ありのままのロアが露出する。余りにか弱く、情けない少年が蹲る。苦しくて、苦しくて、笑いたくなるほど情けなくて、だけど笑えなくて、そんな感情を見せつけられて不思議と胸の中が澄んでいく。
「ロア?」
ヴィクトリアが顔を覗き込んでいた。彼女の愛嬌のある大きな瞳と視線が交差する。深奥の律動が速くなっていく、自然と二人の距離が近づいて、影が重なる――……。
「痛――ッ⁉」
……前に、ロアはヴィクトリアにデコピンをかましていた。痛みと衝撃で大げさに仰け反る彼女。
「酷い! 愛は無いのか! 愛は!」
「無いに決まっているだろ」
ロアが即答すると彼女は「くー!」と悔し気に唸り「絶対にキミを虜にしてやる!」と意気込んで見せた。ロアは呆れて「タフだな」と漏らすので限界だった。
だが、即答したのはなかなか効いたのか、涙目であった。「くしゅん」ヴィクトリアが可愛らしいくしゃみをした。新年を迎えたとはいえまだまだ冷え込む。アイネ王国はかなり温暖で二月でも十℃後半はあるが、流石に雨が降れば気温は下がる、雨に濡れれば当然体温が下がるのに時間は要さない。
「まったく。考えなしの莫迦が」
「酷いなぁ」
「莫迦に、莫迦というのは当然だろう」
「じゃあ、好きな人に、好きって言うのも当然でしょう?」
「……、」
面食らうように、眼を瞬かせる。
「どうしたの?」
不思議そうにのぞき込む。ロアは右手でヴィクトリアの額を押し返す。そして優し気な声音を漏らした。
「――お前は美しいな……ヴィクトリア」
「ふぇ――っ⁉ ど、どうしちゃったの⁉ キミらしくないよ! 私が超絶ウルトラマグナムに奇麗だなんて!」
「そこまでのコトは言っていないし、そもそもその賛辞は嬉しいのか?」
照れながらブンブンと両の掌を翳すヴィクトリアに冷静にツッコミを入れる。ロアに言われた言葉を反芻しているのか、彼女は「うーん」左手で口元を隠してうなる。
「どうだろ? やっぱりキミに言われたら嬉しいかな!」
はにかんで言う彼女に、少しどきりとしてしまう。
「だから言っていない」
ロアが言うとヴィクトリアが不満の言葉を吐く。今日は是の繰り返し。それが狂おしいほど愉しくて、チクリと胸に刺さるほど哀愁に満ちていた。
是は贋物の気持ち。証拠に彼は笑えていない。屹度彼女だって本当のロアを知れば幻滅する。此処に居る青年にも見たいない少年は、世界の誰にも理解されない孤独な獣だ。涙を流す事しか出来ない哀れな子供だ。涙を流す事さえできなくなった成り損ないだ。店内に響く優しいメロディーがロアをより哀れに装飾していた。
――ロアだけが、皆の日常から逸れていた。
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