第34話『聖歌隊』

廃れた教会の扉を開くと、祭壇上で手を組んで賛美歌を歌う灰色の髪の少女が居た。

 稚いながらに美しく、触れてはいけないような粉雪を想起させる儚さがあった。

 歳は恐らく十二、三だろうか? 貧民街のチビどもと同じか少し上程だろう。

 アンバーはただ見守っていた。

 彼女の声に酔いしれていた。

 痛みさえ忘れて引き込まれていた。

「――――」

 三十分ほど経つと彼女の歌が終わっていた。

 アンバーは我知らずのうちに拍手を送っていた。

「――え⁉」

 彼女はアンバーに気づいていなかったようで、大そう驚いて振り返った。

「凄いよかった!」

「えへへ。そうですか? ……じゃなくて誰ですか⁉」

 褒められて照れたかと思うと、すぐに表情を変えて詰問した。

 アンバーは歌唱中のイメージと随分違うと頬をかいた。

「俺はアンバー、貧民街なら結構名は通ってるんだが……」

「ごめんなさい。ワタシ貧民街ここの出身じゃないから……というかボロボロ! 手当しないと!」

 血相を変えて近づく少女。

 本当によく表情を変える。

 彼女は裏の井戸から水を引っ張ってきた。アンバーがやろうとすると、怪我人は座ってて下さい! と言われてしまい、仕方なく彼女をまった。

 自分の礼服を破いて、水に浸して、アンバーの腫れた顔に湿布していく。

「うん何も見えない」

 斜め横と濡れた布を巻かれて、ミイラ男のようになっているアンバー。

「こんな傷で動き回るのはどうかと思いますよ?」

「いや俺もすぐに帰るつもりだったんだが、君の声が聞こえてな。聞き惚れてしまった」

「……そ、そうですか」

 赤面して俯く。

 アンバーの人徳だろう。彼の言葉はいつも人の裡に響くのだそれは彼が常に、何かに対して全力で、真摯であろうとしているからだ。

 それ故に彼は、数多の者たちから慕われている。

「というか、動き回るなら君の方だろ?」

「――え?」

「こんな危ない場所を一人で女の子が動き回ったら危ないぜ?」

「そんな危ないなんて、ここの人たちは皆さんいい人たちですよ?」

「天使……」

 胸の前でぱんと手を合わせて笑顔を見せる少女。

 是はあれだ。泣く子も黙る荒くれ者共も彼女の後光に浄化されてしまったのだ。南無三、ぐっぱい荒くれ者、かもん真面目な君。

「ぐっぱいって、なんかおっぱいみたいでいいよね」

「はい……?」

「はっ⁉ 俺は何を⁉」

「はい……?」

 彼女後光に浄化されそうになり、錯乱してしまったらしい。生真面目人間なって普通に就職してしまう所だった。何がダメなのだろう?

 彼女は何が何だか、ずっと頭に?マークを作っていた。

 アンバーの奇行が面白かったのか、くすくす笑い出す少女。

「くすくす。面白いですね」

「……それは何より」

「――お兄さん、お名前はなんて言うんですか?」

「アンバーって名乗ったけど⁉」

 真坂憶えられていないとは⁉ 彼女はそれから慌ててそうでした! と口にして自分の名前を伝えた。

「ヒルフェ・シマーです」

「ヒルフェかいい名だ」


 ――黄金劇場。

 今日、黄金劇場ではビクトル商会十周年を祝した会が行なわれていた。ビクトル・デュマ子飼いの聖歌隊を招き、豪奢なパーティーとなった。

 人の群れの中心にはやはりこの男、黒い髭を蓄え、肥え太った姿態に野心を巡らせる男。

 ――ビクトル・デュマ。

「くひ。まったく我が商才は留まることを知らぬ‼」

「全くでございます」

 一人の男が手をさすりながら相槌をうつ。

 ビクトルは豪快に肉を手に取ると、むしゃぶりつく。

「この俺様が効も成功しているというコトはやはり! 人間の本質は下賤な畜生だというコト‼ 何が欲深きは地獄に落ちるだ! ならば皆々地獄行きではないか‼ ならば墜ちよう地獄欲望によ……‼」

 かなり酔っているのか、聖典の言葉を引用して嘲笑う。さすがの取り巻きもあぜんとしていた。

 今回のパーティーは教会の者たちも呼んでいた、当然彼らは清貧を尊ぶので来なかったが、もし来ていれば、ビクトル商会と教会の全面戦争となっていただろう。

「ああ、いいぞ我が聖歌隊よ‼」

 舞台上で歌う少女たちに欲望の声援こえと目線をおくる。

 彼女達は帝都でも屈指の人気を誇る聖歌隊で、教会の認知もある。ビクトルの計画の要だ。

「くく。あのいけすかぬ皇帝もあと少しさ」

「全くでございす」

「お前それしか言わんね」

「全くでございます」

 皇帝という甘美な権力を手に入れ、果てにはこの大陸を統べて見せる。

 その為にはガニシュカは邪魔だ。

 奴は賢すぎた。

 だが、不満の日々是にて終い。

 計画は最早だれにも止められまい。

 ビクトルが、あの少女を手に入れた瞬間から。

「――嗚呼、ヒルフェお前は本当に素晴らしい……‼」

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