第42話『夜のサーカス』

 ――この世界に名をつけるならば、矢張「喜劇」だろう。

 皆往々にして所帯を持ち、それなりの幸せをかみしめて、幸せの絶頂に酔いしれる。而してそれが罠なのだ。それは世界が芥の如き人間に仕組んだ巧妙な罠なのだ。

 この世界は砂上に屹立った淡い楼閣でしかなく、楼閣それは幸せの質量に耐えられないように設計されている。

 故に皆はこう思う。

 ――時よ、出来れば止まってくれ。

 叶うならこの時を永遠に――。

 と。

 このにとっての幸せは、正しくこの時だ。

「嗚呼、美しい……」

 天上で燃える帝都を見下ろす白髪の少女。それは余りに美しく、心揺さぶる。

 ――この日からビクトルの耳鳴りが止まなくなった。

 砂塵が舞うような音。

 瓦礫が落ちるような音。

 それが愉快で仕方ない。

「この世界に置いて、お前だけが俺に色を魅せさせる……‼」

 あの天使を肴にした酒は何と甘露なのだろう。

 褪せていた退屈な世界に、熱を与えてくれる。

 彼女を組み伏して、あの笑みを穢す時を想像するだけで自然と醜悪な笑みが出来た。股間のモノも熱く屹立する。

「おい、アイツを呼べ‼」

「はい」

 黒服が一人の少女を連れてくる。齢は十三程の少女だ。

 彼女と奥の部屋に入ると半刻ほどして、ビクトル一人が出てくる。良いが若干冷めた彼は、ボトルをもう一本空け、くふ~と呼気を吐き出した。

「そうだなぁ、孤児院でも立てるかぁ~?」

 資金はたらふく手に入れた。天使様様であった。

「あんたはどう思う?」

真人わたしは関与しないよ。好きにすればいい」

 対面して座る黒いローブを被った男に問いかけた。彼はくぐもった声で応じた。

「それよりも、是を使うと好い」

「……? 是は?」

 ローブを被った男……‶覚者〟はテーブルに黒い肉の種子を置いた。

「それは‶獄炎竜〟を殺して、血液を凝固させた肉腫さ。その肉腫にはある魔法をかけてある。決行はそうだね、十年後といった所か」

「おいおい。随分焦らすな!」

「物事には順序がある、必要な手順だよ。……しかし、うん。今思えば、孤児院いいかもしれない」

「なんだ、あんたにも肉欲があったのか?」

 下卑た笑いを見せるビクトル。

「……生憎と肉欲それは捨てたさ。そうではなく、この肉腫を使うには適合者が必要なのだよ。孤児院ならば、適合者を集めやすいだろう」

「……なるほどね。まあ精々これからの十年を愉しむさ」

「そうするといい。それと、保険としてこれも持っておくと好い」

「……? こいつは?」

 ‶覚者〟がテーブルの上に置いたのは、キューブ状の魔法具だった。

「必要ないなら捨てると好い、出番が無いに越したことはないさ」

「いいや、有難く頂いておくとする。何せ病気以外は貰えるものもらう主義でね」

「それではな、強欲なる人の子よ」

「ああ」

 ‶覚者〟がふわりと消える。それと同時に轟音が聞こえた。

 帝都を見ると、炎は消え去り――どころか街並みが消えていた。

 あれこそ、皇帝、及び皇帝候補にのみ使用可能な超越魔法具〝夜城〟。

 あの権威が欲しい。

 あの権益が欲しい。

 あの権力が欲しい。

「すべてが欲しいのさ。俺は生まれた時から乾き飢えてんだよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る