第8話『別れ』
――ビオラの出産から二年と数か月がたち、村はまた収穫の時期になっていた。
アンナもまた健やかに育った。何よりマーリンを驚かせるその魔法の才は二年の年月で飛躍を遂げていた。
村人からすれば彼女もまた賢者であった。
「アンナ貴方結構バッサリ言ったわね、似合ってたのに良かったの?」
「ちょっと邪魔くさくて」
アンナは腰まであった髪を首元迄バッサリ切っていた。ビオラが心配するように言った。
「何かあったの?」
「お師様とちょっと……」
事の発端は数日前だ。彼女の秘密、妖精たちが口々に語る〝
「全く、早く仲直りしなさい」
「でも……」
ビオラは呆れて溜息をついた。
「賢者様が貴方に隠すってことは、知る必要が無いか、知ってほしくないかのどちらかでしょう? だったら今は我慢しなさい。その内賢者様から口を開くわ」
「……」
「貴方も年頃ね……」
理解は出来ていても承服しかねることはある。多感な時期ならなおのことだ。ビオラにも覚えがある。それも自分の事を知りたいという欲求は、ビオラにも共感しかねる場所に有る願望である。
アンナは、年齢を重ねたことで、自分が村の誰とも立場が違うコトを理解し始めていた。それは賢者の弟子であること。親が居ないということ。
それは言葉にし難い孤独をアンナに与えていた。
「ねーねどうしたの?」
「何でもないよオルテンシア」
オルテンシアも大きくなり、まだたどたどしいが自分の足で歩けるようになっていた。自分がマーリンの子でないコトは分かっている。髪の色が違い過ぎるし、そのあたりはマーリンの口から否定されていた。すると当然思いを馳せるものがある。
――自分の親について。
家族についてである。姉や兄は居るのだろうか、弟や妹が出来ているのだろうか。自分は必要なかったのか。ぐるぐる、ぐるぐる、考えなくていいコトが頭をめぐっていた。
マーリンに不満があるワケでは無い。有る筈が無い。
ただ知りたいのだ。だって知る権利があるはずなのだから。
出産の立ち合いをした辺りから、彼女の好奇心は強くなっている。
「――そーれで、暫く家に止めて欲しい、と?」
「う、ごめんなさい」
「まあ別に構わないけどね、あんまり長引くと後悔するわよ?」
ビオラは嘆息をついて家事に戻る。オルテンシアがアンナの袖を引っ張る。
「どうしたの?」
「あそぼー」
「いいよ、何しよっか」
こうしてビオラの家での日常が三日続きそして――。
悲劇が起きる。
其れは今秋の中でも一際熱く寝苦しい夜だった。
異変は最初にアンナが気付いた。
「なに……?」
昔からある、言語化できない所感がアンナを目覚めさせる。彼女は居てもたってもいられず、ビオラとオリバーの寝室へ向かった。
寝室では何処か苦しそうな声が聞こえてきた。
アンナは咄嗟にドアを開けた。
「アンナ……ッ⁉」
「アンナ様――⁉」
オリバーとビオラが裸で重なり合っていた。良く分からないが、二人は慌てていた。二人はすぐに布団で身体を隠した。
「二人共! 何か変!」
「いやこれはその……」
しどろもどろになって言い訳をしようとするビオラ。
「そうじゃなくて! 外何か変なの‼」
「外……?」
「お師様の結界が壊されてる‼」
「「――――ッ⁉」」
アンナが身を寄せる村付近の妖精の森。其処にはある一団が屯していた。異形の集団。そうとしか形容できない集団だ。異常で醜悪、悪意の化身のような姿かたちをした集団。
その頭目――グリンガルドがその大きな口を横に裂いて笑った。
「壓殺だァ‼」
吼えると同時に近くの成木を薙いで倒し、それを手に持った。槍投げの要領で投擲する。成木は形其のままに、矢となして射出される。
――狙い過つ事も無く、村に直撃した。成木に家が三棟ほど倒壊し、そのせいで五、六名の死傷者が出た。村はパニックと相成った。数が比較的少ない村である為、人的被害は極小に抑えられているが、このままでは……。
パニックに陥った一団に追い打ちをかける為に、グリンガルドがその異形の身体を月の光で晒しながら現れる。
「怪物だ⁉」「怪物が出たぞ⁉」
轟々と悲鳴が飛び交う。それを愉快そうに見やるグリンガルドは、後ろに控えさしていた怪物どもに号令を出した。
「殺せ‼ 見せしめだ!」
「がああ」「アア」
言葉もまともに発せぬ怪物達が、巨大な体躯を躍らせて、村人たちに襲い掛かる。それは悪夢のような光景だった。一人は、首から上をまるかじりにされて、死後首を無くした胴体をこん棒代わりに使われ、赤黒く変形した辺りで、適当に放り棄てられた。
鋭い突起のような尾に串刺しにされて悲鳴上げているモノや、足首を掴まれて何度も地面に叩きつけられているもの。必死に背を見せて逃げる男は投石によってぽっかりと胸に孔を開けられていた。子供を庇った母親は眼球を潰されて、自身の子が咀嚼される様を聞かされた。
村は最早惨憺たる有様である。数時間前まで笑顔が溢れていた村なのに……。アンナは喉から付きあがる吐き気を堪え切れなかった。
「おえええ――‼」
「アンナ! 逃げないと!」
苦しげに頷くアンナ。
――怪物の一人と目が合った。
「くるぞ!」
「逃げないと」
アンナがオルテンシアを抱き上げて走る。怪物の速力凄まじく、瞬く間に距離が詰まっていく。背後を振り返ったオリバーが、覚悟を決めた。
「逃げろビオラ――愛している。オルテンシアを任せたよ」
「オリバー‼」
「オリバーさん……!」
短く伝えて、オリバーは踵を返して怪物に向かう。時間稼ぐために囮役を買って出たのだ。
「来いバケモノ! 俺が相手だ」
喧嘩なんてした事も無いのに、勇ましく吠えるオリバー。足が止まりかけるアンナを滂沱と涙を流すビオラが手を引いて走らせる。此処で止めたら、オリバーの死は無駄になる。
――不幸中の幸いはオルテンシアが眠っていたことだ。こんな惨いさまを見せずに済んだ。
少しした後、オリバーの劈くような悲鳴が響いた。
妖精の森まで何とか三人は逃げ延びた。まだ安全とは断言できないが、取り敢えず息をつける猶予はあると思った。
――限界だった。
体力的にも精神的にも。
「ごめんなさい……わたし何も出来なくて」
一目見た瞬間に、敵わないと思い知らされた。逃げる以外の選択肢が思い浮かばなかった。何も守れなかった。
「いいの……、あんなバケモノどうしようもないわ」
「でもわたし、お師様の弟子で……っ」
「関係無いわ。貴方は子供で、私たちは大人。だったら、気に病むことなんてないの」
本当は、泣き腫らしたいはずなのに。ビオラは気丈に言って見せる。なんて強い女性なのだろうか。
「「……っ⁉」」
ガサガサ茂みが揺れる。高まる緊張。茂みから出てきたのは――。
「お師様……!」
「賢者様!」
「……、すまない。後れを取った」
マーリンの姿は血濡れであった。紫苑の髪をべっとり赤黒く染め、右腕が肘から先がなく、血の赤の後ろに肉の薄いピンク色が垣間見えていた。
「血の跡は隠匿しているが、ここも時期、ばれるだろう。早く逃げなさい」
「お師様は……っ!」
「私はこの脚だ、最早動けない」
マーリンの脚は最早原形をとどめておらず、所々白い骨が見えている。
「賢者様……」
あまりの壮絶な姿に、指物ビオラも言葉を失う。
「……、こちらにおいでアンナ、最期に――」
「最期なんて言わないで!」
「いいから」
「……っ」
アンナは頷いて彼の傍による。マーリンは優しくなでた後、クリスタルのようなペンダントをアンナにかける。
「これ……」
「誕生日プレゼント、君が産まれてきたことに最大の祝福を」
微笑むマーリン。アンナはいや、いや、と震えながら首を振った。
「ビオラ嬢、アンナを任せる」
「……! はい!」
覚悟を悟り、ビオラは出来る限り安心できるように言った。それからオルテンシアを片手抱いて、空いた手でアンナを引っ張るようにして連れ立てた。
「いや! 離してビオラさん! お師様が! お師様が――‼」
「……、」
「待ってお師様! 逝かないで!! 一緒がいいよ⁉」
泣きじゃくるアンナ。ビオラは歯を食いしばった。
「ごめんなさい! 謝るから、一緒にいてよ! 悪いことしないから! 迷惑かけないから! 一生に居ようよ! 一緒がいいよ‼」
「アンナ……」
人を捨てた筈のマーリンの胸中に温もりが広がる。彼女を育てたのは、言ってしまえば半分気まぐれで、もう半分は義務感だった。だけど高々数年の生活が、マーリンのさび付いた心を滑らかに稼働させ始めていた。愛おしい娘。そう、愛おしいだ。
「――アンナ他の誰が、何と言おうと、君は私の娘だ――許してくれるかな?」
「……嫌いなんて噓だから、一緒にいてよ
「……っ」
――お師様なんて大嫌い。
その言葉を聞いた時は、落雷に打たれたような衝撃が走ったものだ。大人気無く𠮟りつけてしまった。ああだが、我が娘よ。
愛おしい娘よ……。
この父を許してくれ。
何も嫌いで、疎ましくて、君に伝えなかった訳じゃないんだ。ただ、君を想い憂いていたからなんだ。
彼女の過ぎ去る背中を見送って、独りの賢者は笑った。
「――
空は皮肉にも満月だった。怪しく光る月光に照らされて、賢者の悲惨な五体がありありと晒される。
「なんだ、こんな所にいたのかい……!」
紫苑の髪の賢者を見下ろす異形。
「名は……グリンガルドと言ったかな?」
「ああ! そうさそれが私の名前だ!」
五メートルほどの巨躯がやや猫背気味のグリンガルド。足の発達もさることながら、その長い腕が特徴的だと、マーリンは想った。
「……もしかして、自重を支えられないのかい? 太り過ぎじゃないか?」
「乙女に向かって何て暴っ言! 赦せないなぁ~許さないなぁ~」
グリンガルドは静かに右腕をあげ、そしてそれをマーリンに向かって――。
「――死ねよクソ野郎」
振り下ろした。
ぐじゅと。肉がつぶれる音が、何度も、何度も、妖精の森に響く。
「死んだ」「死んだよ」「死んだね」「死んでしまたっね」「半端者が」「卑怯者が」「死んじゃった」
妖精たちが笑って、踊り狂う。アンナは酷く震え泣きじゃくっている。
――死んだ。
そんなことは言われなくたって、一番アンナが感じている。わかるんだ。
あの人の命がつい今消えたことが。
だから騒がないでくれ。優しく弔わせてくれ。
悲しみに溺れさせてくれ。
せめてどこか遠くに――行ってくれ。
アンナの怒りが伝わったのか妖精たちが謝罪しながら飛んでいく。「ごめんよー」「ごめんねー」「ごめんだよ」「ゆるして」「ゆるされてー」
「――どっか行って!」
飛び去っていく妖精たち。
ビオラも静かに、彼女の傍を離れた。誰も居なくなったところで、アンナは泣いた。お師様と。泣いた。泣いて、泣いて、泣き喚いて、そして立ち上がった。
ビオラの前で笑顔を見せる。
「……大丈夫なの?」
「――うん、もう大丈夫。十分泣いたから」
泣いてばかりいられない。良く分からない怪物が跋扈しているのだ。其れに、マーリンは屹度アンナが泣き続けるのを良しとしない。
立って、歩かないと。
首に掛かったペンダントを握り、強く、歩き出した。
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