第46話『君の総てが知りたくて』

――貧民街、某廃協会。


 アンバーとヒルフェの逢瀬は続いていた。初めて会った日よりも頻度を増してさえいた。少しだがアンバーは彼女のコトを理解してきた。

 彼女は良く笑う。

「あはは」

 だけどその笑顔は、虚構のように思えた。何かを隠すための笑顔な気がした。

 傷を隠すように、覆うように。

 笑顔で素顔を纏っているような気がした。

「――――」

 だけど彼女の唄だけは本当だ。

 何の混じりけも無く本物だ、瑕疵もつけられない。

 純粋な想いだけがあった。

 ――其の唄には怒りの粋が集められている。

 だから心を揺さぶる。

「なあ、ヒルフェ」

「どうしたんですか?」

 歌唱中の彼女に、問いかけた。

 彼女は初めてのコトに、きょとんとしていた。

「――君は何のために歌うんだ?」

「自分のためです」

「……噓だな」

「え……?」

 啞然として聞き返す。

 アンバーは確信をもって言う。

「君の歌には余人が介在しない。だからこそ純粋で、誰しもが聴き惚れる」

「……」

 ヒルフェは怯えたように後退った。

 核心に近付いている。

 アンバーは話を続ける。

「誰かを想うことはとても素敵な事だけど、それはありふれたことだ。誰かを想うことは皆してる。特別には成りえない」

「……っ」

「歌は自分の発露だ。何かを感じて、それを伝えるために歌う。敢えて言葉ではなく、歌で伝えることに意味がある」

 ヒルフェは怯えた。自分の中を晒されているようで、怖かった。

 覗かないで。覗かないで。

 ワタシを見ないで。

 汚れたワタシを見ないで。

「君の歌から感じたのは〝怒り〟だ」

「なんで……」

「あれだけ特等席で聴いたんだ、わかるよ」

 笑ってみせた。安心してもらえるように。

 別に敵対したいわけでは無い。

「怯えないでくれ。知りたいだけなんだよ。ヒルフェのコトを知りたいんだ」

「……っ、来ないで」

 一歩ずつ近寄っていく。彼女は後ずさりを続けて、壁にぶつかってしまう。

 彼女の肩を掴む。

 彼女の瞳を覗き込む。

「なあヒルフェ、君は何に怒っているんだ……‼」

「……っ⁉」

 瞳の中に燃ゆるのは瞋恚。

「ワタシは全部に怒っている」

 吐露する。初めて肺の中から吐き出す感情。

 驚くほど低く鳴る声音だった。

「……そうか」

「あなたにだって怒っている! あの男にも、伽藍のワタシは怒っている」

 あの日から……肉腫を埋め込まれた日から、この身の中身は零れ続けている。

 透けていく中身から、怒りが混入していった。

 怒りによって中身が多く零れだしていく。怒りが多くを占めていく。

「当然の権利だよ。この世界で、怒っていない人なんて居ない」

「……っ」

 この世界に誰だって笑いたいときに笑って、泣きたいとき泣く。憤ることがあれば、怒鳴るし、悲しいコトが有れば気分が沈む。

「隠す必要なんてどこにもない」

「そうやって……っ! 優しくしないで‼」

 優しくしないで、伽藍のワタシには重すぎる。

 ひび割れてしまう。

 硝子のワタシが壊れしまう。

「ワタシにはそんな資格無いの……‼」

「優しくされる権利なんてどこにも配られてないさ、俺がそうしたいから、優しくしている」

 止めて。そんな人間じゃない。あなたは知らない。

「そんな人間じゃない、ワタシは違うの‼」

「俺の眼にはそう映る」

「……っ、違うの……」

 ヒルフェの心に這いよる優しさは、潮騒のように揺れている。

 彼女の心をとかすように、甘やかに迫ってくる。

「ワタシ……汚されているんですよ……?」

 ポロポロ涙が零れ墜ちた。その場で崩れ落ちるように膝を付いた。

 アンバーは驚いたような顔をした。

「あの男に何度も、何度も体を触れてるんですよ……?」

「……っ」

「まだおなかに、あの男の名残りがある……‼」

 触れた感触も、吹きかけられた吐息も、あの悪臭も全部ある。

 アンバーさんが触れていい女じゃない――っ‼

「へ――?」

「すまない。俺には君を慰める言葉は無い」

 壮絶すぎる過去を持つであろう少女に、掛けてあげられる言葉が無くて、其れでも体は止まっておくなんて無理だった。

 だからアンバーは力一杯、彼女を抱きしめた。

 汚れているなんて噓だと思った。

 だって彼女は花のように優しい匂いをしていたから。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君にアイたい [ノーネーム] @1111000011110011110

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ