第6話『妖精の森』
「……お師様」
「如何したんだい?」
眠気眼のアンナが尋ねるように声を出す。
「何か良く分からないけど、変な感じがする」
幼く自身の違和を伝える術を持たないアンナ。そんな彼女の頭をマーリンが撫でる。
「そうだね、私も感じたよ。屹度もう、彼らとお茶を飲む機会はない」
マーリンが所感を述べる。アンナが眼に涙を貯める。
「悲しいのかい?」
「うん」
「どうして?」
「だって、会えないのは寂しい」
アンナの涙を拭ってあげる。優しい少女だと誇らしく思う。
「別れは誰にでも訪れる。その悲しみを大切にしなさい……、決して慣れてはいけないよ」
そう言うマーリンの顔は悲し気だった。その顔をアンナは生涯忘れることは無い。稚い彼女の小さな胸に深く刻まれた。
――妖精の森を一人の少女が駆け抜ける。彼女の名はアンナ。齢五歳だ。彼女が木々の間を抜けるたびに、怪しき光が愉し気に明滅する。
「そうだね」「そうだよ」「そうに違いない」「そのはずさ」
光の正体は妖精と呼ばれる種族だ。彼らは悪戯好きの一族。そして不変の一族だ。彼らは産まれた時から、拳よりも小さい姿で
「――僕らの〝
「妖精さんだ!」
目を輝かせて指さすアンナ。
「お師様、お師様! 妖精さんだよ⁉」
「そうだね、あまり近付いてはいけないよ」
「どうして?」
「君は愛されているからね」
妖精たちはアンナの周りを飛び交っている。「マーリンだ」「臆病者のマーリンだ」「卑怯者のマーリンだ」「愚か者のマーリンだ」「半端物のマーリンだ」
妖精たちはマーリンを嘲笑う。それが気に食わなくて、アンナが怒ってみせる。
「お師様を莫迦にしないで‼」
「ごめんね僕らの可愛い〝愛子〟」「ごめんね」「ごめんよー」「ごめんー」
笑いながら謝罪する妖精たちに未だぷりぷり怒っている少女を賢者が宥めた。
「アンナそろそろよしなさい」
「でも――!」
「それよりもほら、見てみなさい村だよ」
指さす先を見た。其処には開けた土地があって、牛や馬が放し飼いされていた。小さいが幾つかの畑があって、大人も子供も働いていた。
人口二、三十人のそこそこの集落があった。
「これはこれは、賢者様何様で御座いましょう」
にこにことした老婆がマーリン訪ねた。彼女はこの村の村長だ。
「いえ、何か問題は無いかと見に来ただけですよ」
「妖精様と賢者様のおかげで、不自由なく過ごせています」
「それは何よりです」
アンナは詰まらなそうに土弄りをする。見かねたマーリンが村で遊ぶように言った。彼女は嬉しそうに笑い、走って去っていく。マーリンは肩をすくめた。
「あの、今のお嬢様は?」
「内弟子だよ……自慢のね」
アンナは牧草地を駆け抜ける。太陽が燦々と降り注ぎ、吹き抜ける風に自慢の金髪を押さえつけられる。其れにも負けず、少女は駆ける。
彼女を意にも返さずもしゃもしゃ牧草を食む家畜共。すべてが平和そのものだった。
「――あら? 初めて見るわね……貴方はどなた?」
若い黒髪の妊婦がアンナに声を掛けた。彼女は気持ちのいい笑顔をしていた。褐色の肌と合わせて生命力あふれる印象をあたえる。
「わたしねアンナ!」
「アンナ……? 何処かの村の子供かしら」
「お姉さんは?」
「私はビオラよ」
言いながらビオラは牛から搾乳する。この村の乳牛は品質が良く、アルプ大陸でもよく流通している。この村の乳牛は力が強く、また温厚で牧草の栄養変換率が極めて高いコトが、高い評価を得ているのだ。
「貴方はどこから来たの?」
「わたしはね森から来たの!」
「森? 妖精様の森のコト?」
「そう!」
あの森には賢者様しか住んでいない筈だ。妖精様は気まぐれで、悪戯好きだ。半端なモノがあの森に住めば痛い目にあうのは必至である。
「貴方、賢者様の娘かなにか?」
「えっとね、わたしはお師様の弟子!」
「賢者様の弟子⁉ 小さいのに凄いのね」
アンナが驚きの発言をした。ビオラは驚きながらも作業の手は止めていなかった。
「ビオラさんのお腹はどうして大きいの? お菓子食べすぎちゃった?」
不思議そうに尋ねるアンナ。可愛らしい質問に思わず笑みがこぼれた。
「ふふ。違うわ、此処にはね命が宿っているの」
自分のお腹を撫でるビオラ。愛おしそうに撫でる。
「命?」
「そうよ。掛け替えのない、尊いもの……皆こうして産まれてくるの」
「なんか……すごい」
「そうよ、凄いのよ」
アンナとビオラの語らいを遠くの隅で見ている集団があった。それは妖精だ。本来、妖精たちは森から出ることは無いが、如何やらアンナに
まとまりのない言葉を吐き出す。
それから妖精たちは怪しい光を放ちながら、家畜の周りを飛び回った。すると家畜たちの眼が狂気の色に染まっていく。赤く充血し、興奮状態となった。
異変はすぐさま村人たちが気付いた。
「おい! 家畜が興奮しているぞ⁉」「女子供を逃がせ!」
ビオラもすぐ異変に気付き「逃げるわよ!」アンナを連れて逃げようとしたが、猛烈な腹痛がビオラの脚を止めた。痛みのあまり膝を付く。
「どうしたの⁉」
「大丈夫……ただの陣痛だから……それよりも早く――」
ビオラは我知らずのうちに言葉を失っていた。其れは家畜たちが、鯨波の如く横並びになって走ってきていたからだ。もはや逃げ道は無かった。彼女はとっさに、アンナを抱きしめる形で庇う。
蹄音を響かせながら迫ってくる。ビオラの手が震えた。
「――やめて‼」
アンナが叫んだ。瞬間、彼女から美しいプラチナの光が沸き起こる。ビオラを包み、さらに立ち上って家畜共の足を止めて萎縮させた。
アンナが脅威を悟って無意識にビオラを守るために、魔力を熾したのだ。
家畜たちが散るようにして逃げて行った。
「助かったの……?」
何が起こったか解らないビオラ。村人たちも「奇跡だ」「そうに違いない」と騒いでいた。其処にマーリンが駆けつける。
「アンナ……」
「賢者様⁉ ってアンナちゃんどうしたの!」
マーリンに驚くのも束の間、ビオラは腕の中に居たアンナの意識が無いコトにようやく気が付いた。
「大丈夫、初めて魔力を熾したショックで意識を失っただけだよ……それよりも、護ろうとしてくれたんだね、師として礼をいわねば」
マーリンは恭しく礼をした。
「――ありがとう」
「そんな恐れ多いです! 私何も出来てないですし! 何が起きたのかもさっぱりで!」
「……原因については、こちらで対処しよう。どうやら私の落ち度のようだ」
侮っていた。アンナの〝愛子〟としての素質を。
ここまで妖精を誘引するとは……。
なんにせよ彼らが近づかないように、結界を張る必要がある。
幸い、死人や怪我人は出ていないようだが、これからもマーリンはアンナを村の人々と交流させるつもりだ、その度に妖精の気まぐれに村の人々を付き合わせるわけにはいかない。早急に対応する必要があった。
「――君のコトも含めてね」
気持ちよさそうに寝息を立てる直弟子を見ながら、マーリンはため息をついた。
目を覚ますとそれは見知った天上だった。アンナは何時ものように伸びをして、布団から這い出た。何かおいしそうな匂いがして、お腹がくうくうなった。
弾くように扉を開けて、すぐさまマーリンの姿を見つける。
「お師様ごはん⁉」
「……そうだよ」
マーリンは何時もの微笑で出迎えた。
「座りなさい」
「うん」
テーブルの上にはシカ肉のステーキや、山菜のサラダなど何故か豪華だった。
「なんか今日豪華だね!」
「話さないといけないことがあるからね、美味しいものでも無いと」
マーリンはステーキを切り分けて、小皿に移す。サラダも取り分け、アンナの前に運んだ。
「……、まず、村でのことを何処まで憶えている?」
「……? えっと、ビオラさんとお話ししてたら、動物さんたちが急に怒り出して、必死に守ろうってお腹に力を入れた眠たくなって……あれ? よく憶えてないや」
「そうか」
鹿肉にフォークを突き刺し口に運ぶ。むしゃむしゃ食べる。
「――アンナ、君はね……魔力を熾したんだ」
「……?」
「このことの危険性を私はまだ君に伝えていない。其れは、君が魔力を扱えるようになるには、まだ幾年の時間が必要になると思っていたからに他ならない」
「どういうこと?」
「通常魔力を扱えるようになるのは、第二次成長期の時だ。君のような例は極めて稀となる」
其れは魔力を知覚できないためだと言われている。多感な時期に魔力を無暗に使い、悲劇を起こしたという例は後を絶たない。
「……それで、どうして危険かというと――魔力は自身の〝運命〟の前借だからだ」
「……?」
「これは一般には知られていないコトだが、生物は魔力を使うごとに――
「魔力? っていうのを使ったら死んじゃうってこと⁉」
マーリンは静かに宜いを返した。
「勿論一度や二度で死に至るようなことは無いが、多用すれば確実に体を蝕む」
妖精が不変といわれるのはそのためだったりする。彼等は生まれ乍らにして魔力を発露し続けている。その為に短命なのだ。だが彼等は単為生殖で増える。同一のように見えて、違う個体であることが多いが、魔力の秘密について知っているものは少ない。
何時しか、彼らが不変などと呼ばれるようになったのだ。
「故に君にはこれから、訓練して魔力の扱いについて覚えてもらう。先の様な事に為らないように」
「……いいの?」
「扱い方を知らぬままの方が危ういし、何より今回は功を奏した結果になったが、もしかしたら君がビオラ嬢を傷つける結果になったかもしれない……そうなったら嫌だろう?」
「うん……!」
力強く頷いた。マーリンは優しく微笑んで、彼女の頭を撫でた。
アンナはこそばゆくて、でも嬉しくて、言葉にできない幸福を胸の中で弾かせた。
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