絵空語篇
第5話『死せるあなたに想いを連ねて』
――
イーリス大陸とその他の大陸を分ける巨大な海である。この海は、非常に御し難く、また機嫌の悪い日が多い。航路を定める事さえ難しく、故に大陸外の国交は皆無といえた。
そんな荒れた海を子船一つで踏破しようと試みる無謀者一人、たしなめる少女一人。
「やはり危険です! 戻りましょう」
「そう怯えるな! 俺は一回ここを通ってきてるんだぜ⁉」
少女が必死に訴えるが、男は笑って見せた。
普通に少女は焦っていた。何故なら、嵐が直撃していていつ海の藻屑になるか気が気でないからだ。
普通のモノならば、強い雨と強風に晒され、沈没して終わりだろう。
だが彼らは違った。
「ガルガリ様いい加減にしてください!」
「なに、任せろ。只の里帰りだルリエ」
男の名はガルガリ、嘗て「魔王」を討った「勇者一行」のメンバー。「聖賢」の名を冠す男。
流石に、常時魔法で雨風を凌ぎ続けるのはガルガリをしても難行であると、ルリエは思っていた。だが結果は彼女の心配を一笑に付すものと相成る。
――彼は事もなげに、確かに外津海を攻略してみせた。
――アルプ大陸。
イーリス大陸から遠く離れたこの地は、未だ幻想が生き残る地。
妖精が空に舞っている。怪しく、誘うように。
ルリエが怪しく煌めく妖精を手に取ろうと伸ばす。
「やめておけ、
「……、あまり子ども扱いしないでください」
不満そうに言うルリエ。
ガルガリが肩をすくめた。
月光が妖精の森を貫いている。ルリエにはここは最早おとぎの国だ。
しばらく歩いたところで、簡素な木造住宅が現れる。
「ガルガリ様……?」
「あそこが目的地だ」
言っては何だが、地味だ。山小屋のような印象だ。
ガルガリはルリエの内心を察して笑っている。
「あの爺さんはちと質素でな、見た目のコトは勘弁してやってくれ」
「……何も言ってません」
家の扉がひとりでに開いた。中から少女が飛び出してくる。
金髪の幼女だ。元気よく、ガルガリの下迄駆け寄る。
「お客様ですか⁉」
「おう! 爺さん……マーリンは居るか?」
「居ますよ! お師様‼」
「……、何ですか?」
ガルガリの周りを駆け回った後、ルリエの傍に駆け寄る。
「綺麗です!」
「……ありがとうございます」
子供の賛美が嬉しいのか笑顔を見せるルリエ。ガルガリがそれを見てにやけている。
「何ですか?」
「何でもないぜ?」
これ以上何を言っても揶揄われるだけだと思い、顔をそむける。
「――随分楽しそうだね」
「――!」
「まあな、爺さんも相変わらず若々しいな」
いきなり背後に現れる
「流石に驚いてはくれないね」
「まあ流石に場数が違うからな」
親し気に話す二人。ルリエがガルガリの袖を摘む。
「安心しな、この
青年が、胸に手を中てて、恭しく礼をする。
「――初めまして、御嬢さん。〝妖精の森〟を預かる賢人を務めるマーリンです。積もる話もあるだろう、続きの談笑は家でしよう」
マーリンはそう言うと「御茶でも出すよ、粗茶だけどね」と笑ってみせた。
木製のテーブルの上にお茶請けと、人数分の紅茶が置かれている。アンナとルリエがお茶請けを摘んでいた。ガルガリはアンナを見てからマーリンに瞥見を向ける。
「爺さんその年で子供をこさえるとは元気溌剌だな、秘訣を聞かせろよ」
「君ほどではないさ」
「ぬかせよ」
旧交を温める。この地で彼の薫陶を戴いてからどれ程経っただろうか。マーリンからガルガリの得たモノは多い。彼がいなければ、今のガルガリは聖賢などと呼ばれてはいないだろう。
「それで――そこの嬢ちゃんは、
「ああ……森の奥地で拾ったよ」
「それで今はアンタが育てていると。胸糞悪いな、相変わらず妖精共は……自分達で取り換えた子供を飽きたの一言で棄てる」
「由々しき問題であることに違いはない。だが、彼らの本質が我らと遠くかけ離れているのは分かっているだろう? 価値観の相違に憤っていても仕方あるまい」
「生憎、アンタと違って俺はまだ年老いてはいないんでね」
達観したマーリンの言葉を切って捨てるガルガリ。そんな彼にマーリンは微笑む。
「君のそういう所は本当に羨ましいよ、私は捨ててしまった」
「捨てたなら拾いなおせばいいだろ?」
「……、それを行うには私は老いすぎた、残りの生を導とするだけさ」
青年に見える彼の実年齢は、ガルガリでさえ知らないが、聞くに三世紀以上は生きているらしい。聖賢などと呼ばれているガルガリをして、彼ほどの知識を持つ者は居ないと断言できる。
「――時に、彼女は君の養子かな?」
「いいや。嫁だ」
「違います!」
ふざけたガルガリの言葉を顔紅くしたルリエが否定する。大きな声を出したせいか、アンナが目をぱちくりしている。
「然るに、君の要件は彼女に関するコトかな?」
「正当だ」
「失礼するね」
マーリンは静かに詠唱を唱えた。すると光球がいくつか飛んで、ルリエの周りで光を放った。ルリエは驚いて目を瞑った。
「――成程、彼女は呪われている様だ、しかもかなり特殊な
「ああ、俺はルリエの解呪の手段を探している」
ルリエは服の裾を強く握っていた。流石に十数年の付き合い、更には法王プトレマイオスから賜った秘薬のおかげで、呪いの痛みは何とか堪えられているが、それでも痛いモノは痛かった。
「爺さん、『魔族』について知っているか?」
「――――?」
「アンタは
「それで私を訪ねてきたと……残念だが、心当たりがない。初めて見る呪いだよ」
ガルガリは落胆して肩を落とした。それからすぐ立ち上がった。
「もう行くのかい?」
「ああ、あまり時間が無いんだ」
「――そうか、気をつけていくと好い」
「そうするよ」
ガルガリとルリエはそうしてマーリンに別れを告げた。ほんの数十分余りの会話であったが、収穫はあった。一つはマーリンですら知りえない呪いがルリエを苦しめているというコト。そしてもう一つは――。
ガルガリは確信の下行動を開始した。
「どうにもきな臭くなってきた、早めにナハトたちに逢いに行った方がよさそうだな」
「……、そうですね」
胸の内を這いまわる苦痛に眉を歪めながら、ルリエはそう応える。
ガルガリの横顔には長くともにいるルリエだからこそ気づける焦りが浮かんでいた。それを嬉しく思う自分をしかりつける。
それはいけないコトだ。赦されないコトだ。喜ぶべきではない。
そう心に糊塗する。
夜空を見上げた。
どうして、妖精の森の月はああも耀ているのだろうか。あれではまるで、ルリエを祝福しているようではないか。
ルリエは初めて見る森の夜空を憎々しく睨めあげた。
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