第17話『虹色の城』
日が暮れて、夜の帳をあまりにささやかに焦がす焚き火。気色の悪いことに、夜になろうと空の虹色は消えなかった。暗いのに虹色だと分かる。
ロアは本当に気色の悪い感覚だと悪態をつく。
アンナが重たい瞼を開ける。ロアは何も言わず、空を眺めている。
アンナは手のひらを開閉して、身体の調子を確かめる。身体が少し軽くなっている。
万全とは言えないが、回復に向かっているのは間違いない。
「ごめんなさい、わたし眠ってた」
「限界が来たのだろう。何せ無理の重ね着だった」
「……そうだね」
精神的にも身体的にも、本当に無理を繰り返した。
グリンガルドに追われ、怪物に追われ、其れからロアに救われた。
救われた後は無理な行軍だ。齢十六の身体には厳しかった。
「どれだけ、わたしが眠ってから経った?」
「一刻無いくらいだ」
ロアは言いながら火に薪をくべる。
「……、もう少し休んでおけ……夜が明けたら敵を討つ」
「……!」
アンナは彼の横に座って、暖をとった。
彼の横顔を盗み見た。
純白の髪に、怜悧な切れ長の瞳。
初めて見る同年代の男性の顔は、とても美しかった。
「ねえ、あなたの
「唐突だな、如何したんだ?」
「気になっただけだよ」
ロアは少し迷ってから口を開いた。
「そうだな、お前には少し想像しずらいかもしれないが、見渡す限りの煉瓦の建物、街中を満たす陽気な音楽、路を満たす雑多な通行人。煩雑だが愉しい場所だよ」
「えと煉瓦?」
「煉瓦は粘土とか頁岩を直方体の型に入れて焼いた建材だよ」
「そうなんだ」
イマイチわかってなさそうなアンナ。
「……今度は俺から質問いいか?」
「どうぞ!」
「なら甘えて……、お前やりたいこととかないのか?」
「……?」
不思議そうに首を傾ける。
「例えばそうだな、教師になりたいとか、詩人になりたいとか、楽師になりたいとか……何でもいい、何かないか?」
「……どうだろう? よくわからない」
この質問は何なんだろう? どこか気づかうような意思を感じる。
「いや、全部終わった後、何も無かったら苦しいと思ってな」
「……?」
「この世で何をしてでも為したいと願うモノを達成したとき、人は真っ白になることがあるんだ。何をしていいか解らないってな」
彼なりに心配してくれているのだろう。突発的にめちゃくちゃなことをする彼だが、思った以上に優しいらしい。
「あなたはしたい事あるの?」
「あるよ、幾つも。沢山逃してきたからな、今は拾いなおしてる最中だよ」
哀愁漂うその横顔はとても悲しかった。
何かに後悔している人の顔だ。
アンナは無性に、彼を抱きしめたくなった。だけどそんなこと出来る訳が無い。手を伸ばそうとして、諦めてもう一度を何度も繰り返した。
「それで、どうだ? 何かあるか?」
「え⁉ うーん」
もどかし気に手を動かしていると、彼が声を掛けてきた。
思わずきょどってしまう。
彼に言われて、少し深く考えて見た。
「――お母さんに会ってみたい」
拾い子たる彼女は母を知らない。だから一目でいい。見てみたい。娘として扱ってほしいとは言わない。もしアンナを捨てた母が今幸せなら、其処に割って入る気なんて毛頭ない。ただ遠目で一度、顔をみたい。叶うなら、言葉を交わしたい。
「そうか……」
二人の間に少しの静寂が舞い降りた。
一つの焚き火と、二人の男女、不気味な夜空。
この三つが驚くほど調和していた。
アンナは自分の膝に顔を埋めてみた。すると胸の律動が明瞭に聞こえた。いつもよりも速く打つその音色は、きっと疲労のせいじゃない。
この心の揺らめきを表せる言葉はまだアンナの中には存在しなかった。
「「…………っ⁉」」
刹那の幽寂を断ち切ったのは、轟音と凄まじい揺れだった。
経っていられない程の揺れと、耳を劈く大轟音。
二人は我知らずのうちに耳を塞いだ。
その直後、妖精の森の中心に、極大の城が生まれた。絵具で装飾されたような不細工な虹色の城。あれが魔法的意味を持つ何かであることは間違いなかった。
恐らく、この結界の中枢を担う何か……いや、グリンガルドの目的に直結した何かだ。
「……計画変更だ! 猶予がなくなった! 立てアンナ! グリンガルドを討滅する‼」
「うん!」
ロアは焚き火の火を消して走り出す、アンナもロアの背を追って走った。
ヒリヒリと肌で感じる血戦の予感に汗をかきながら、アンナは決意を新たにした――。
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