第7話 脱出

 縄をほどく間、少女は静かだった。実際、危害を加えるつもりはないのだが、それがちゃんと分かっているかのように、ほどかれるのを待っていてくれた。


 少し疲れたような表情をしている。涙も流し始めた。無理もないだろう。どこかで休ませなければならないが、元来た道は絶対に戻れない。


「ありがとうございます。私、アネットと申します」


「え、ああ、貴方が。ベルナディールって言います。ベルで構いません」


「では、ベル様。失礼を承知で申し上げるのですが、本当に吸血鬼なのですか?」


 恐る恐る、少し信じられなさそうな表情と声色だった。姉さんから、吸血鬼は人に好かれていないと聞いていても、ここまで疑われてしまうものなら、認識を更に濃くしないといけないなと思った。


「本当だよ。ほら」


 牙を生やして見せた。害なく牙を見せられたのは初めてなのだろう。「まあ」と言いながら見つめてくる。好奇が隠せていない。


「本当に、吸血鬼である貴方様が……あ、すみません。つい、見入ってしまって」


 涙を拭きながら謝られた。いいや、別に良いよと言おうと思ったのだが、遠くで何か扉が開くような音がした。


 まさか、他の誰かがやってきたのか。


「ねぇ、君をここに連れてきたのって、何人くらい?」


「後……4、5人くらい」


 小声で会話していたが、思わず声を上げたくなった。とてもじゃないが、その人数に対して1人で勝てるとは思えない。


 だからといって、相手がこちらに来ることをやめてくれる訳もなく。「どこだ? あいつ」という声が聞こえてくる。おそらく、さっき倒した奴を探しているのだろう。間もなく、ここに来る。


「--ここか!」


 その時だ。上から姉さんの声がして、間もなく降りてきた。


 同時に、五人の、おそらく天上人も姿を見せる。


 姉さんは、俺とアネットを一瞥した。目つきが細まる。そこからは、早かった。本当に早かった。

 

 姉さんが駆け、1人目の顔を思いきり蹴った。骨の折れる音がしてぶっ飛んだ彼は、既に気絶していることが分かった。そこから、相手が反応するよりも前に、2人目を後頭部にかかとを入れて気絶させる。


 間髪入れずに、3人目だ。またもや蹴りを入れると、1人目とは別方向に吹っ飛び、このトンネルの土壁に埋まった。4人目と5人目は、流石に反応が間に合い、姉さんに攻撃を仕掛ける。だが、それはあっけなく避けられ、2人とも顔面を鷲づかみにされた。


濁雷だくらい


 瞬間、電気が走る。黄色ではなく、紫みを帯びた黒い電気が。2人の体が痙攣し、苦しそうにしているのが姉さんの両手越しでもよく分かった。やがて、2人とも気を失い、地に落とされた。


 ここまでの光景が、1分も経たないうちに繰り広げられたのだ。


「……やっぱり、滅茶苦茶強いんだね」


「そこは問題ではない。火傷っぽい跡があるぞ。何があった?」


 倒れている6人を視界から離さないようにしつつ、屈んで、真剣に話を聞いてくれるようだ。


 なので、姉さんが通ってきた扉を見つけ、アネットを見つけ、天上人と戦ったことを話した。聞き終えてから、姉さんは息を吐く。


「頼むから、もうちょっと慎重に行動してくれ。今回は仕方ないが、お前がいなくなったことに気付いたときには、体中が冷えたかのような感覚になった。もう弟を失うのかと、怖かったぞ」


「ごめん。今度は同じ部屋の中でも、手分けしないか行動を伝えるか、何かするよ」


「それなら、いい。それで--」


 姉さんは、穏やかな目でアネットの方を見た。


「ひとまず、外に出よう。それでもいいか?」


「は、はい!」


 アネットの涙は、いつの間にか引っ込んでいた。


 5人が来た方を覗くと、思っていたより、トンネルは短めだった。曲がり角の先にはもう扉が見えていて、横穴がひとつあるくらいだった。


 アネットは、憔悴して立てそうになかったので、俺が背中と膝裏に手を回して抱え上げることにした。姉さんは、横穴を少し調べたそうだったが、アネットと俺のことを優先してか、口には出さなかった。


 扉を開けると、すぐに外へ通じていた。屋敷のすぐ裏手に出たようだ。人気はない。


 姉さんはアネットの方を見て、バツが悪そうに声をかける。


「ええと、すまない。名前は何という?」


「アネットと申します」


「そうか。アネット、いくらか話を聞きたいが、疲れているだろう? その、身よりはいないのか?」


 その問いを聞いて、アネットは俯いた。


「分かりません。みんな、殺されてしまいました。私だけ--」


「待った。なぜ君だけ生きている?」


 急に話を止められ、アネットは目を丸くする。それを見て、姉さんは目を逸らした。


「すまない。やはり、どうも会話は苦手だ」


「ああ、いえ。当然の疑問だと思います。なんで、私だけ生きているのか。多分、自分に能力があることを、私1人だけは自覚をしていたからだと思います」


「そうか。利用価値かもしれんな」


「そんな--」


「姉さん、ストレートすぎるよ……」


「--む」


 俺がちょっとだけ呆れながらそう言うと、姉さんはいったん口を噤んだ。


 アネットはおそらく、天上人の裏の顔を見たのが、相当効いている。身内を殺された上に、利用価値という面で自分が見られていたともなれば、ダメージが徐々に重く蓄積しているはずだ。不幸中の幸いというべきか、身内が殺された時から少しは時間が経っているみたいだ。


「とりあえず、村までアネットを運ぶ、ということでいい? 姉さん」


「ああ。誰か、世話をしてくれる人を探そう」


「……世話」


 その話を聞いて、ポツリと、アネットが呟いた。不安なのだろうか。


 村までの道を確認して、アネットの負担にならない速度で歩く。すると、後ろから爆発音が聞こえた。


「何!?」


 流石の姉さんも驚いたようで、振り返って駆け出すまでが早かった。俺も、同時に振り向いた。


 爆発したのは、間違いなくさっきまでいたトンネルだろうと、すぐに検討がついた。さっき通ったトンネルの扉が吹っ飛んでいくところが見えたからだ。


「やられた。証拠の隠滅のためだろうな。すっかり砂に埋もれてしまったよ」


 見て戻ってきた姉さんが、苦々しげにそう言った。


 天上人に関わる悪い噂は、吸血鬼になすりつけているのだと、昨日の話で聞いていた。だけれど、証拠隠滅のために自死か他殺か、そこまでするのは俺にとっても予想外だった。


 村の人に、どう説明したものか。考えていたら、村に着いていた。

 

「まさか、アネットお嬢様ですか? 屋敷はどうなったんです?」


 アネットのことを知っている女性が、話かけに来てくれた。帽子を降ろそうと思ったが、今は出来ないのだ。失礼を承知で、話を続ける。


「屋敷の皆さんは、殺されてしまったようです。アネット嬢だけ、こうして連れて来られたのですが」


「そんな……まさか、吸血鬼ですか?」


 不安げに聞いてくる女性への答えを、俺は示すことが出来ない。姉さんと目を合わせる。


「すみませんが、それは分かりません。何しろ、証拠が全部消えてしまったもので」


「どういうことですか?」


 さっきの爆発のことについても、女性に話した。その後、アネットに視線が向けられた。同情なのか、哀れみなのか、何なのかは分からない。


「何にしても、アネット嬢のこれからが問題です。誰か、引き取ってあげられる方をご存じないですか? 元のお屋敷で暮らさせる訳にも、いかなくて」


「うーん、それは……」


 一時的に助ける、ならまだしも、引き取る、だからか難色を示した。


「アネットお嬢様、何か当てはありませんか?」


 俺たちがした質問と、同じ質問を女性が行う。やっぱり、一度はそうなるよなぁ。


 それに対して、アネットはしばらく答えなかった。不思議に思い、顔を伺う。何か考え込んでいるふうだった。


「アネット嬢?」


「あの、私、この方たちのお世話になろうと思います」


「え!?」


 そう来るとは思ってなかったので、素で驚いた。本当にいいのか、と確認したくなる。


 女性も、思わずというふうに口を手で覆った。

 

「そんな、信頼ができる方たちなのですか?」


「はい。とっても」


 そう、自信満々に言い切られてしまった。確かに助けはしたが、ここまでとは。


「その、警察にはなんて--」


「今話されたままをお伝えして。あと、もう私のことは心配しなくても結構だとも。さぁ、行きましょう?」


 そう言って、アネットは俺と姉さんの方へ目を向けた。俺よりも早く、姉さんが結論を出す。


「分かりました、アネットお嬢様。誠心誠意、お世話させて頂きます」


 はっきり言って、俺に決定権があるかも不明だったので、助かった。家主がそう言ってくれるのなら、俺も安心してアネットの発言を受け止められる。


 それから、俺たちはアネットを連れて城に向かった。その道中で、姉さんが優しく、だがはっきりと言った。


「後悔させてやるなよ?」


「分かったよ」


 アネットは、いつの間にか眠ってしまっていた。

 

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