1章

第2話 願い

 目的の場所に着く頃には、辺りはすっかり、夜の暗闇に支配されていた。冷たい風が吹いているが、私に温度の影響はそこまで大きくは出ない。いつも通り、黒のスーツを着たまま山を登りきった。

 私が住んでいる城の近くにある、山の頂上。そこで、私は闇を目の前にしていた。


「エニア・ラングハルクよ。よくぞ力を示した。貴様の願いをひとつだけ叶えてやろう」


 そう、目の前には闇があった。人の数倍はでかい半径を持った、球状の闇だ。それが喋っている。どこから声が出ているのかは不明だ。

 闇は普段は下界に降りてこないので、久しぶりに相対する。吸血鬼にしか存在が見えないと聞いたことがあるが、そうでなければ、簡単に人々に発見されて大騒ぎになっているだろう。


 ようやく、ここまで来た。これで願いを叶えてもらえる。


「では、私に家族を持たせてくれないか」


「家族? それがお前の願いか」


 願いの内容を意外に感じたのか、闇に聞き返された。だが、願いに偽りはない。

 基本的に、吸血鬼は孤独に活動をする。例外として、私の両親のように結婚をして子を成す者たちも中にはいるが、どうにも、それは向いていないと自覚がある。しかし、訳あって姉弟や姉妹といったものへの憧れを捨てきれない気持ちもある。だから、叶えて貰いたいのだ。


「ああ。だが、伴侶が欲しいわけではない。弟か、妹か……姉弟姉妹と呼べる者が欲しい」


「聞き間違いではないようだな。では、選ぶがいい。姉か、兄か、弟か、妹か、どれでも好きな立ち位置の者を1人だけ産み出そう」


 流石に、1人だけか。よもや複数人でも叶えてもらえるのかと淡い期待もあったが、そこまで上手い話はない。


「では、そうだな……弟にする」


「分かった。貴様の体の情報を元に産み出そう。髪の毛を1本、我に飲ませろ」


 言われたとおりに、髪の毛を1本だけ闇に差し出すと、その表面にトプンと波紋を広げながら、吸収されていった。すると、まるで水中から空気の泡が出てくるときのように、闇自身がボコボコと変形し続けた。

 少しすると、それは収まり、闇の真下から人の腕が生えてくる。それは、まるで実体があるかのように闇を掴んで、落とし穴から地上に出てくるかのような要領で姿を現し、大地に降り立った。


 肌は日焼けしたかのように浅黒く、黒髪は長すぎず、短すぎず。だが、ちょっとガサツそうな印象を受ける髪型だった。身長は、私の方がちょっと高いから、ほぼ6フィート(約182cm)よりちょっと低めといったところか。簡素だが、服も着ている。緑のジャケットに、内側は白い服、それとグレーのズボンだった。


「私から産まれたにしては、あまり似ていないのだな。黒めだ」


「貴様と我の子だ。我の影響も受けている。そこは許せ」


 私自身は、白のロングヘアに白人の肌色なので、弟の肌色と髪色は真逆と言って良い。闇の影響が強すぎる。瞳の色も、私は赤なのに弟は黒だ。少し、不服である。

 だが、念願の家族だった。念願の家族が目の前に現れた。自分に似てはいなくとも、髪の毛を渡して創ってもらった以上、血の繋がりはあると言っていいはずだ。そう思うと、妙な高揚感を覚えた。


「ええっと、喋ってもいいのか? 姉さん」


「もちろん。姉さん--いい響きだ」


「心の声が漏れていないか?」


「ああ」


「認めるのか……」


 最初からいきなり、若干呆れられてしまったようだが、産まれたばかりだというのに意思疎通はかなり問題なくできるようだと理解できた。そう考えると、闇はかなり配慮して願いを叶えてくれていると思えた。ずいぶんと、優しいな。


「ところで、俺は何と名乗ればいいんだ?」


「む。そうか、名前か」


 流石に名前は付属していないらしい。となれば、弟の名前を自分で考える必要がある。産まれた者に自分で決めさせる訳にもいかない。


「なら、そうだな。ベルナディールでどうだ? ベルナディール・ラングハルクがお前の名前だ」


「分かった、いいよ。何か由来でもあるのか?」


「いや、今思いついただけだ。普段はベルと名乗るといい」


 咄嗟だったが、受け入れてもらえて良かった。弟の名付け親というのは、少し妙な気はするが、そんな家庭もあるかもしれない。


「願いは叶えた。我はそろそろ立ち去らせてもらうぞ」


「ああ。ありがとう、闇よ」


 タイミングを見計らってくれたのか、名前を付け終えた頃に闇は声をかけてくれた。そして、それを最後に闇は収縮していく。やがて、そこには始めから何も無かったかのように、闇は消えていった。

 

「ベルよ、寒くはないか?」


「ああ、大丈夫だよ。吸血鬼は気温には人間よりは強いんだっけ」


「そうだ。だから、あまり服装に拘る理由もないのだが、好みはあるだろう? そのうち、服を選びに行こう。それから--」


「エニア様ー! 終わりましたか?」


 会話を続けようとしていたら、後ろから声が聞こえてきた。やってきたのは、炎だ。人の顔のサイズほどの炎が、ふよふよと飛行しながら、傍までやってくる。それを見て、思わず何度も瞬きをした。


「……どういうことだ、バーク。何でここにいる?」


「エニア様が、直接帰って来ずに、山に登っていくのが見えたので。ああ、勝ったんだなと思い、後を付けて闇様との会話が終わるのを待っていやした。「ありがとう」と聞こえたので、登ってきやした。へい」


「城で待っていろと言ったではないか」


「だって、エニア様ったらお疲れになってもそう言わないじゃあないですか。いざってことがあったら、心配で心配で」


 もう少し、ベルとの会話を楽しみたかったというのに、空気の読めない奴だ! 悪態を付きそうになったが、我慢した。ベルの目の前で、いきなり態度が悪いところを見せたくはなかった。


「姉さん、その炎は?」


「召使いのバークだ。城で帰りを待っていろと言ったのだが、紹介が早めになったな」


「お初にお目にかかります。バークと申しやす。よろしくお願いいたしやす。はい」


「……変わった口調なんだな」


 ベルは、じっとバークの方を見つめながら言った。当然と言うべきか、珍しがっているようだ。


「気に障るなら、直させるぞ」


「気には障らないよ。それに、姉さんだってそれを許してるんでしょ?」


「ああ。これでも、幼いときからの付き合いだからな。今更だ」


 そういえば、バークにはあまり不用意に昔のことを話さないようにと言っておかなければならない。良い話も悪い話も全部知っているから、ベルの聞き方次第では口を滑らせてしまうだろう。姉としての威厳が危ない。


 そんな心配を余所に、バークがベルの方に少し寄った。


「ところで、闇様との話はエニア様の言葉をお聞きして何となく理解はしているんですが、ベル様とお呼びすればよろしいですかい?」


「ああ」


「これはこれは。受け入れられて良かったですね、エニア様」


「あのな……。それにしても、闇に様付けはいらないぞ。400年ほど前にも、闇とは話をしたが、喋り方に遠慮はいらないと言われたことがある。他の吸血鬼の前でなら、付けた方がいいと思う」


「そう言われましても。吸血鬼じゃない私じゃあ話すらできやしやせんし、敬語がいらないと言われても礼儀を払う大切さってあるじゃありやせんか」


 それを聞いて、わざとらしく眉をピクリと動かす。


「ほう。私のことは大切に敬っていないと?」


「違いやすよ!? いじめないで!?」


「あっははは!」


「……む」


 ベルが急に、少し笑ったのでびっくりした。やり取りが面白かったのだろうか。少し、気を抜きすぎた気がする。

 咳払いしたくなったが、止めた。恥の上塗りになりそうだ。代わりに、ベルの方へと歩み寄る。


「それでは、よろしくな。弟よ」


「こちらこそ。よろしく、姉さん」


 できる限りの笑顔で、弟を温かく迎える。握手をしたとき、確かに、弟の体温を感じられた。


 そして、この後は、バークには口止めをしてから、下山を始めた。

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