憂鬱な朝
翌日。
重く響く鐘の音。
俺は目を覚ます。
「……ッ」
伸びをしようとすると体の各所に痛みが走る。
そうだ、全治数週間なんだった。
俺は窓辺を見た。
窓辺には、本来、気分が良くなるような朝日が差し込んでいる。
が、俺の気分は憂鬱なままだった。
昨日の夜に死を決意した事。
そしてそれを無理やり無かった事にされた。
本当にあれでよかったのか、今からでも遅くないのではないか。
ベッドの上で悶々と悩み続ける。
いや……
くよくよ考えていてもしょうがないか。
いつまでも、ここにいる訳にもいかない。
滞在費だってかかる。
太陽は昇った。とりあえずはできる事をしよう。
考えるのは、太陽が沈んでからでも出来るはずだ。
その後、体の各所を動かして調子を確認していると、
昨日のカロルを含めた数人の修道士がやってきた。
その内、壮年の修道士に鎧の装着を手伝ってもらう。
ついでに、道も尋ねる。
壮年の修道士は丁寧に教えてくれた。
距離的には、この場所は宿より門の方が近いようだ。
……門にも顔を出しておくか。
一度宿に帰ってから門に顔を出すのでは、二度手間だ。
病状の報告や、今後の雇用について確認しなければならない。
満足に体の動かせない俺を、雇い続けてくれるだろうか。
貴族に目を付けられた俺を厄介払いしたいと言うならば、
今後の事を色々と考えなければいけない。
……何も言わずに夕食をすっぽかしてしまった。
宿に帰ったら、また女将に小言を言われるだろうな。
ああ、もう既に気分が重い。
どこにも、行きたくない。
ベットで、じっとしていたい。
「いいですか、ユーヤさん。
今回は特例として祈祷費は頂きませんが、
ちゃんと週に二度はいらしてくださいね?
術後の経過観察は必要です」
カロルに念を押される。
「はあ……」
こっちは、祈祷なんて頼んでなかったけどな。
週に二度も休んでしまっては、その分給与がいただけない。
週休二日だと、貯金を切り崩さねばならない。
それに、こんな怪我で転職なんて難しい。
悩ましいな。
・
・
・
俺は病院を出た。
……うッ。
歩いているだけでも、傷が痛む。
そのため、自然と普段よりもゆっくりと歩く。
包帯の隙間から風が入り、患部を撫でると不快な痛みが響く。
昨日の倦怠感も、まだある。
すれ違う人々から、視線が集まっているのを感じる。
内部は治癒の祈祷を受けたものの、外傷はそのままだ。
そのため、顔中に包帯を巻いている。
人々は、半死半生の病人が病院を抜け出してきたのかと思っているだろう。
注目を集めてしまうのも仕方ないか。
外部東門の近くまで到着する。
もう目と鼻の前だ。
「……」
心臓が高鳴る。
俺は不意に立ち止まる。
あの景色がフラッシュバックする。
俺が殴られている間、ただ立ち尽くして動こうともしなかった連中。
一瞬、道を引き返したい衝動に駆られる。
「……」
正直、このタイミングで首になるのは困る。
が、首になっても悔やむまい。
もう連中を信用するのは難しい。
そもそも、こっちは何も悪い事をしていない。
非があるとしたら向こうだ。
首なら首で、手続きや宿の引き払いも必要だ。
うだうだと悩んでいる余裕はない。
当たって砕けろの気持ちで行くか。
それだけ聞いて、とっとと行ってしまおう。
いつものように、窓口小屋の横に立っているエルドを見つける。
対応がひと段落着いた所で、声をかける。
「ド、ドモ……」
「……」
エルドはこちらを見て、動きを止める。
「……ユーヤか?」
「ええ、まあ」
「その体は……」
「ユーヤ、帰って来たんですか?!」
歯切れが悪いエルドの言葉をさえぎり、ジラールが顔を出す。
「……ぁ」
ジラールが、全身包帯男を見て絶句する。
何だよ。
そのわざとらしい態度は。
目の前で傍観していたのは、お前たちだろ?
……まあいい。
聞くべきことだけ聞いて、さっさと立ち去ろう。
「エルドさん。一つお聞きしたい事があります。
僕の勤務の継続についてです。
次女様に目をつけられ、大けがもした僕を、
この門に置いておく事は出来ますか?」
「……」
我ながら、ぶっきらぼうな言い方になってしまう。
正直、続けようが首になろうが、どちらでもいい。
「……その件に関しては家宰と話して、お前の雇用の継続を伝えてある」
……意外だ。
次女の不興を買ってもいいのか?
「また次女様が来たらどうするんですか?
それにこの体じゃまともに働けない」
「次女様やその取り巻きたちが来たら影に隠れてもらう。
体に関しては、しばらくは壁上監視等をやってもらう予定だ」
「……悪い事をしていないのに、まるで罪人のように影に隠れろと?」
「それが俺達の立場だ」
「……」
「……動き回れるという事は、治癒の祈祷を受けたのか?」
「はい……私の場合は重症なので、祈祷を何度かに分けて行うそうです。
それと対価として週に二度、教会に行くことを約束させられました。
なので、週に二度はお休みをいただきます」
「それはいいが……そんな対価は初めて聞いたな」
「普通は対価が必要ですよね」
エルドとジラールは不思議がった。
「ひょっとして、祈祷を行ったのはシスター・リディアか?」
「……ええ」
その狂信者の名前が出るだけで、気分が悪くなる。
顔が包帯で隠れていなければ、歪んだ表情が見えていただろう。
「人が良いとは聞いていたが」
あの女、単に人が良いというよりかは、鋼の意思の塊のように思える。
そうでなければ、勝手に人の生き死にを左右するような行動は取れないだろう。
「とりあえずは、3日程度は療養して----」
「おい、あれ……」
「ッ」
そこにいたのはトマスとフォルだ。
つくづく、顔中に包帯をしていてよかった。
包帯の下の表情は、盛大に引きつっている。
「「……」」
二人ともハロウィン仮装ばりの包帯男を見て言葉を失っているらしい。
「…ドモ」
「……」
二人は押し黙ったままだった。
普段は何かと小言を飛ばしてくるトマスも、言葉が出ないようだ。
単に、上司のエルドの前では猫を被っているだけだろうが。
先に口を開いたのは、フォルだ。
「い、いや~、見ない内に何と言うか、ハハッ」
フォルはあからさまに目が泳ぎ、表情もひきつっている。
無理に話さなくてもいいのに……
謝罪の一言でも言うつもりだろうか?
「見ない内に随分と格好が変わったなあ?
中身は本当にあのユーヤか?
別の誰かが入ってるんじゃねえだろうな?」
「……」
フォルは引きつった笑い顔でそう言った。
俺は、気付いたら拳を握りしめていた。
「うおっ」
「ッ!」
フォルめがけて殴りつけようとする。
が、無理に動かした腕に痛みが走る。
そして拳はへなへなと空振りした。
「い、いたた」
「え、何?何だ?」
俺とフォルは互い右往左往した。
我ながら間が悪い。
情けない。
「あー、ユーヤは今病み上がりのようだ。
今日は帰らせて三日ほど休ませようと思う」
「そ、それがいいですよ。ユーヤもほら、大丈夫?」
エルドとジラールがそう言って、場を収めようとする。
「……ぅ」
「ユーヤ、大丈夫?」
ジラールがそう言って、俺の手に肩を置いた。
「……触るなッ」
「!」
俺はその手を払いのけると、逃げるようにその場を後にした。
・
・
・
宿屋についた。
後遺症のせいで、ただ歩くだけでも痛みと疲れを感じる。
「……」
俺は宿屋を見上げる。
地獄耳の女将とマガリの事だ。
次女にリンチされた件については、きっと知っているだろう。
問題は、貴族に目を付けられた俺をこれからも置いてくれるかだ。
宿の評判にかかわると言うなら、この宿を去るしかない。
しかし、他に受け入れてくれる宿が見つかるだろうか……
「……」
考えても仕方ない。
暗い気持ちになりつつも、宿の玄関を開ける。
宿の中は物静かだ。
朝食の時間帯を過ぎたせいか。
微かに食器を運ぶような音が聞こえるのみだ。
「……ぅ」
我ながら、何が怖いのか。
俺は中々前に進めず、その場で立ちすくんでしまう。
「……!」
食堂の方から足音がする。
反射的に、二階に上がる通路の影に隠れる。
足音からするとマガリのようだ。
女将はもっとドスドスという足音だ。
「あ……」
結果、廊下の曲がり角で、俺はマガリと出くわした。
包帯男を見たマガリは、顔を盛大に引きつらせて後ずさる。
「……ヒッ」
「あ、いや……」
「……ひょっとして、ユーヤ?」
「はい、何かすみません」
「この馬鹿ッ、ややこしい真似してるんじゃないわよッ」
「イタイッ」
そう言ってマガリは俺の肩を強く叩いた。
傷に響く!
「おとーさん!馬鹿が帰ってきたよ~!」
そう言ってマガリは怒りながら食堂の方へ戻っていく。
そこにはマガリの父親、料理人の大将がいた。
料理をしている後ろ姿は何度か見ていたが、
こうして対面するのは初めてだ。
大将は俺を見るとキッチンから近づいてきた。
「……座ってくれ」
「……」
俺と大将とマガリは、食堂の隅に腰かけた。
「あんたの事は、マガリや妻から聞いてる。
うちの滞在客らしいな。
……そして、昨日の事も人づてに聞いた」
「……はい」
「……何と言うか、その、災難だったな」
「いえ……」
「この馬鹿、包帯姿であたしの事脅かしたのよ!
腰が抜けるかと思ったじゃない!」
「い、いや、ごめん……」
「何だ、脅かそうとしたのか?
思ったより元気そうじゃないか」
「あれは……」
偶然だ、と言いかけて止めた。
こんな事は会話の無駄だ。
さっさと本題に入ってしまう。
「お聞きしたいことがあります。
私は今後もこの宿に宿泊する事ができますか?」
「「……」」
大将とマガリは口をつぐむ。
マガリもまだ15,6程度の年齢だが、
この世界では大人と見なされる年齢だ。
貴族に目を付けられた外国人をこの宿に置いておくことで
どのような不利益があるか、薄々察しているのだろう。
「……正直に言えば、悩む部分ではある」
やっぱりか。
そうだろうな。
「ただ、俺個人の意見で言えば、このままで構わないと思っている」
「……」
意外だ。
「……良いんですか?」
「俺は料理人、人を食事で楽しませるのが仕事だ。人の心は捨ててない」
「ですが」
「マガリ、お前はどう思う?」
「うーん、まあ、あたしも良いかな。
何だかんだいって、お駄賃も貰ってるし。
でもいつも疲れた顔で、雰囲気も暗いのは直して欲しい」
「……」
普通に前半の言葉だけで良かったじゃん。
病人に今かける言葉か?
それが……
「マガリ……
もちろん、ここでは結論は出せない。
買い出しに行っている妻とも考えないとな。
正直。翌日に帰って来るとは思わなかった。病院で何かあったのか?」
「治療費がなくて、戻ってきました」
「……そうか、なら仕方ないな。
とりあえず部屋でゆっくりしてくれ。
どちらにしろ、すぐに出ていけとは言わん」
「……分かりました」
本来なら喜ぶべき場面なのだろうが、妙に喜べない。
リンチされてからずっとそうだ。
感情の起伏が、以前にも増してとぼしくなっている気がする。
話が終わり、俺は食堂を出て階段を上がる。
「ユーヤ!」
マガリが後ろから声をかける。
「おかえり!」
「……うん」
俺は沈んだ表情でその場を後にした。
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