6


 翌日も同じように旅を続ける。

 日の光と共に目覚め、歩き始める。

 道中山菜を見つけては、食べられそうか彼と相談する。


 昼間は川沿いで汗を流す。

 驚いたことに、彼が川で魚を掴み取った。

 兄貴ィ!やっぱり兄貴ィはすげーや!

 昼は新鮮な焼き魚。

 美味しさの余り、すぐに食べ終えてしまった。

 もっと味わえばよかった。


 歩いているうちに、日が沈み夜の帳が降りる。

 彼が言うには、もう少し歩けば身を隠しやすい林があると言う。

 そこに到着するまで夜道を歩き続ける事になった。


「……」

「?」


 先導していた彼が急に立ち止まる。

 彼は目前に広がる暗闇をじっと見つめている。


「前にも言ったが、戦いの経験のないお前は役に立たない。

 何かあれば一人でも逃げ出せよ」


 彼の声は低く、真剣な声色。


「それは、どういう……」


 視界の隅、前方の暗闇の中で何かが光る。


「!」


 それは闇の中から、ゆっくりと姿を現した。

 高さは地上から2メートル程。

 闇夜の中に、僅かな月光に反射して不気味な鉄仮面が空中に浮かび上がる。


「……ッ」


 絶句して後ずさる。

 彼から貰ったナイフを取り出し、強く握りしめる。

 二メートルの高さに浮かぶ仮面。

 自分一人なら半狂乱になって逃げだしていた自信がある。


 周囲は開けた場所。

 近くに逃げ込めそうな場所はない。

 いや、逃げ込めたとして、自分一人だとこの暗闇の中で遭難する可能性もある。

 そうなれば土地勘が無い自分にとっては死活問題。


 何とか見逃して貰えないか?

 それがダメだったら戦いになる!

 でも、カーブルトを置いていくのか?

 そうだ、逃げるのはまだ――


「チッ」

「あっあっ」


 暗闇に浮いた鉄仮面が右に更に一つ浮かび上がる。

 左にさらに一つ、そして振り返ると後ろにもさらに一つ浮かび上がった。


 囲まれた……まずい!


 前後左右に佇む4つの仮面が、ゆっくりと距離を詰めて来る。

 当初二メートル近くあって宙に浮いているように見えたが、それは馬に乗っていたからだった。

 馬は首が無かったり、全身の数か所――胴体や頭部の半分――が空洞化していた。

 死んだ馬だった。


 鉄仮面をかぶった騎士たちの装備はまばらだ。

 馬に立派な旗や装飾を施している者。

 立派に磨かれた鎧を身に着けている者。

 関節部分だけ守られた軽装の者。

 高そうな私服とマントだけを羽織っている者。

 それらの服装は所々が血と土で汚されている。


「ひっ……」


 懐のナイフを前に出してみたが、仮面達が腰に収める長剣に比べて余りに頼りない。

 まるでつまようじだ。


 仮面の造形は恐ろしかった。

 目の大きさが左右非対称。

 奇妙に分厚い鉄の唇。

 その唇は狂喜するように開かれている。

 顎には豊かな髭が彫られていて、頭部にも癖のある髪型が彫られていた。


 いびつな造形の歪んだ笑み。

 そこに鉄の無機質さと暗闇と静寂が加わり、不気味さを際立たせる。


「……」


 背中に嫌な汗が流れる。

 元の世界で真夜中にこんな仮面と出会っていたら……恐怖で白目を剝いていたかも知れない。

 他の仮面も、耳が異様に尖ったり、唇が裂けていたりする。

 目の周りに不思議な模様があり、まるで邪教の信徒だ。


「……」

「……」


 4人と2人の間に沈黙が続く。

 殺意ある8つの空洞がこちらを見ている。

 それだけで、精神がゴリゴリ削られていく。

 あの黒い視孔の中には、この世のありとあらゆる恐怖が詰まっているとさえ思えた。

 上手く息継ぎができず、呼吸が荒くなる。

 沈黙が、こんなにも苦しいなんて……


「もし、旅の人……」


 仮面の内、最初に声を発したのは月夜で黄色に反射している仮面だった。

 あの仮面だけ、鉄ではなく銅製だろうか。

 その仮面には厳つい髭と髪が描かれていて、厳父を思わせる。

 対照的に顔の部分は無機質で小さな穴が開いているだけ。

 その非対称的な歪さは暗闇の中で酷く恐ろしかった。


「今宵は冷えますな?」


 くぐもったその声は、初老に達する頃だろうか。

 心なしか、獲物を見つけて喜んでいるような声にも聞こえる。


「……」


 カーブルトは言葉を発さない。


「私はこの国の真の王に仕える者、騎士のイゴールと申す。

 このような身になってから家名は捨てましたので、名乗れぬ無礼をお許し下され。

 迷惑でなければ、少々お尋ねしたい事があるのだがお時間はよろしいかな」


 夜の騎士か!


 光明が差した。

 確か夜の騎士は礼を尽くせば見逃して貰える事があると言う。

 何とか戦わずにここを切り抜けられるかも。

 だったら、ここは徹頭徹尾へりくだって―――


「俺達に断る権利があるとは思えないな」

「!」


 カーブルトの物言いに、思わず血の気が引く。

 ここで殺されてしまうかも知れないのに、何を考えて……


「要件は何だ?」

「カ、カーブルト、ここはもう少し丁寧に……」


 小声でそう伝えるが、彼は何も答えずに銅仮面とにらみ合う。


「まず、御二方の名前と出自を教えて頂きたい。よろしいかな?」

「俺はカーブルト、南方大陸の出身だ。

 こいつはユーヤ、俺の旅仲間だ。

 あんた等とこの国の争いには関係していない」

「南方人は妙な名前が多いですな……それではここには何の目的で?

 南方の方がどうしてこんな物騒な場所に?」

「……」


 確かに危険な壁外を二人で歩いているのは不自然か。

 しかし異世界から転移して来ましたと言って通じる訳がない。

 何とか言い訳を考えないと―――


「辺鄙で物騒だからこそ、わざわざ海を渡って観光に来たんだ。

 冒険はスリルと未知を求める物だろう?」

「……」


 明らかな嘘。

 彼は故郷と交易路を開くために危険を賭してこの地にたどり着いた。

 察するに正式に交易を結ぶ権限のある、そこそこの立場。

 そんな事を馬鹿正直に言える訳がない。


「こんな物騒な時代に観光ですか?しかも2人きりで?」

「そうだが……何か問題でも?」

「勇猛さは結構だが、何処ぞの盗賊や我々のような存在は怖くなかったのですか?

 聞いたところ金目当ての冒険者でもない。

 冒険という幼稚な響きだけで危険を冒せるものですか?」


 ……そうか

 カーブルトはあえて「観光に来た」と言った。

「冒険者」というこの国の組織に所属する一員ではなく、あくまで南方大陸からきた観光客という事を明言するため。

 そうした方が、確かに見逃して貰えそうだ。


「俺は南方大陸の荒れ地の出身だ。

 だからここでの景色、とりわけ豊かな自然の景色が新鮮だと感じた。

 アンタだって若い頃は英雄譚や冒険譚に思いを馳せ、まだ見ぬ大陸や国々を見て回りたいと一度は思ったはずだ」

「ヒ、ヒェ……」


 思わず情けない声が出る。

 カーブルトは恐ろしい銅仮面に堂々と返している。

 本当に度胸がある。

 しかし……頼むからもう少し下手に出て欲しい。

 見ているこっちのほうが持たない。

 ここに一人、戦闘の素人がいるという事を忘れてないですよね?

 仮面達の視孔から覗く目線が、一層厳しさを増した気がする。


「随分と回る舌をお持ちのお方だ。

 冒険に来た観光客というより商人のようだな」

「そりゃ、こんな物騒な時代だぞ?

 各地の酒場で色んな情報を仕入れて、入市する際は門番にこびへつらわなきゃいけない。

 俺たちみたいな異邦人はただでさえ警戒される。

 物を買うときや宿に泊まる時には一層に気を遣う。

 そしてその話術は、今こうして弁明するのにも役立っている訳だ」

「……それで、これからどちらに向かうおつもりで?」

「俺達は最寄りのカヴェルナに向かう。

 そこ以外行く場所なんてここらには無いだろう?

 いや、実際には無かったというべきか……

 ともかく、あなた方の許可をいただけるなら、すぐにもカヴェルナに向かうつもりだ」

「……」


 カーブルトは「実際には無かった」と言った。

 本当は沢山の町があったがお前たちが破壊し尽くしたせいで今では全て無くなってしまった。

 そんな怒りを込めた皮肉のようにも聞こえる。


「減らず口を……」

「……」

「ひっ」


 しびれを切らした他の鉄仮面が、剣に手をかけ、馬を進めて一歩前に出ようとする。

 カーブルトは無言で睨み返す。

 俺は思わず小さい悲鳴を上げてしまう。


「よせ」


 それを見ていた銅仮面が鉄仮面を制する。

 俺はちらりとカーブルトを見た。

 あまり相手を挑発するような物言いは不味い。

 もう少し抑えてくれ……頼む!

 お願い!

 そう思っていると、カーブルトが耳打ちした。


「いいかユーヤ、弱みを見せるとつけこまれるぞ。

 背筋を張って、堂々としていろ」


 カーブルトは早口でそう言うと、向きを変えてさっと目の前の銅仮面に向き合った。


「他意がない事は分かった」


 銅仮面は続けて言った。


「話を戻そう。お二人はどういう関係で?

 日焼けした緑目の南方人と黒目黒髪の流民系。

 豪胆と小胆。色黒と色白。

 どうも接点がないように見えるが、何がお二人を引き合わせたのか」


「こいつはカヴェルナに住んでる流民の冒険者崩れだ。

 主に荷物運びとして手伝ってもらう予定だった。

 今は怪我をしていて代わりに俺が荷物持ちをしてる。そうだろ?」


「え、ええ、その通りです」


 銅仮面がこちらを見た。

 その視孔から覗く暗い闇を正面から見返す勇気がなく、目線を反らした。

 仮面達の視孔は本当に黒一色だ。

 本来存在する目玉のようなものがないように見える。

 それか、とうに腐り落ちてしまったのだろうか。


「滑稽な……」

「卑屈な流民か……まあ珍しい事でもないな」


 銅仮面は続けて言った。


「どうやら疑いは杞憂だったようだな。

 カーブルト、貴公のその立ち振る舞いを認め、尊重しよう。

 よくも我々に堂々と対応できる物だ。

 余程の場数を踏んできたのか?」

「……それほどでもない」

「土地も人の心も荒れ果てたこの時代で、お前のような男は減ってしまった。

 騎士道が尊ばれる良き時代は終わった。

 今では僭主と異教徒と流民共の住まう閉ざされた都市が点々とあるだけだ。

 もはや国というものなど―――」

「そうか、とりあえず俺たちは先を急ぐ」


 カーブルトはそう言って話を遮り、先に進む。

 その前に鉄仮面達が立ち塞がった。


「?」


 銅仮面が言った。


「最後に一つだけ質問させてくれ」

「……何だ」

「貴公は、我々の真なる王国とその偉大なる公に敬意を払い、折あらば我が主上に

 拝謁し忠誠を誓う栄光に浴する事を良しとするか?」

「……」

「?」


 何やら難しい言葉だ。

 最初は何を言われているのか分からなかったが、よく考えてみる。


 ああ、そうか……

 要は連中を率いる者、魔王だか不死公だかに敬意を払い、もし機会があれば挨拶して配下に入る事を約束しろという事か。


 でも、こんな質問……まずいかも。

 これは踏み絵か?

 偽っている相手を誘い出す為の。

 自分のような信念も何もないへったくれなら、適当に「そうします」等と返事をして先に進むだけだ。


 でも、カーブルトは違う。

 彼には帰るべき場所と人々がいて、そのために海さえ渡ってきた。

 そんな彼に対して、いくつもの村々を滅ぼすような存在に敬意を払えと、その上忠誠を誓えというのは神経を逆なでするような……まずい。


「……」


 カーブルトは沈黙を続けている。


「……」


 心臓の音が煩い、体中から汗が噴き出し始める。

 前にいるカーブルは振り向かない。

 どんな顔をしているのか、怖くて見たくない。

 彼の一言で、自分の身は次の瞬間四方から切り裂かれているかも知れない。


 カーブルト、堪えてくれ。

 頼む!

 頼む!


 あんたがどれ程凄い人物なのか、直情的なのか、それは今までの旅路でよく分かった。

 その上で耐えてほしい。

 どうか、どうか―――


「……あ、ああ、……そうだな。

 も、もし機会があれば、そうさせてもらうよ」


 彼は顔を俯きながら、取り繕うような口調でそう言った。

 感情を抑えていることがすぐに分かる。


「……」


 その不自然な態度を見て、不意に思う。

 もし自分という足手まといがこの場にいなかったら、彼はどうしていただろう。

 そしてゆっくりと先に進み、仮面達の包囲から抜ける。


「!?」


 唐突に肩を引っ張られる。

 見れば鉄仮面の一人が自分の肩に手を掛けていた。

 鉄仮面は銅仮面に向かって言う。


「我々にはノルマが課されています。

 来る日までにできるだけ集めて来いと。違いますか?」

「……そうだな、兵力の調達も必要だな」

「は?え?」


 一転して不穏な空気が場を包み出す。

 馬がいななき、近づいて距離を詰めて来る。

 少し考えこんでから、銅仮面は言った。


「貴公は兎も角、貴様のような冒険者崩れの流民が都市に戻ってどうなる。

 スラムの掘っ立て小屋に戻ってその場しのぎの仕事をするか、それもいつかは限界が来て犯罪に手を染める。

 職もない故に誇りもない」

「ず、随分と壁の中の事情に詳しいんですね?」


 ひきつった顔で反論する。


「我々はこの国の不正を正す騎士なのだ。

 簒奪者共の治める都市の事はよく知っていても不思議ではあるまい?

 お前のような奴は我々が有効に使い、死後は死者として役立たせてやろう」

「ゆ、有給は出ますか?」

「ああ、悠久の間働かせてやろう。死ぬまでも、死んでからも」

「ッ やめろ!離せッ」


 脳裏に、あの街の女の死者がよぎる。

 恐怖が沸き上がる。

 仮面はすぐに腰の剣に手をかけた。


「ひっ、や、やめてください。殺さないで」

「先ほど有効に使うといった。殺しはしない」


 有効に使う。

 ありふれたはずの言葉が、絶望的な響きを伴う。

 ぼろ雑巾のように使い捨てられて、最後は満足に食事も取れずに衰弱していき、死者になってからもこき使われる自分の姿がよぎる。


「おい、俺の……」


 カーブルトの言葉を遮って銅仮面が言った。


「カーブルト、貴公には申し訳ない。

 代わりにこれからカヴェルナの門までは我らの同胞が多く集まっていようが、通行の安全は保障しよう」

「俺の従者だと言ったはずだ」

「……自分の命より、この流民を選ぶのか?」

「……」


 カーブルトに救いを求めるような目を向けるが、彼は押し黙った。

 その表情は暗闇に隠れて見えなかった。


 ……いや、それもそうか。


 カーブルトは故郷のため命を懸けて海を渡って、ここまでやってきた。

 こんな場所で命を落としてしまっていいはずがない。

 それに対して何も持たない自分が死んだ所で誰が困る?

 誰が悲しむ?


 そもそも、先ほどカーブルトは既に自分を救ってくれた。

 怒りの感情を押し殺して、連中の言葉を受け入れてくれた。

 その上彼に命を差し出せとどの口が言える?

 出会ってから今まで散々彼の好意に甘えてきて、その上一緒に死んでくれと言えるのか?


 俺は精一杯彼に微笑んだ。

 行ってくれ。

 あんたは、故郷に帰らないと。

 意思が伝わったのか、カーブルトは続けた。


「……せめて、殺すときは楽にしてやってくれないか?」

「善処しよう」

「……」

「道案内してやれ。行け」


 銅仮面が指示し、鉄仮面が一人カーブルトの傍に近づいていく。


「……」


 諦めて項垂れる。

 これでいいのだ。

 これで本来あの黒い森で死ぬはずだった男が死ぬ。

 必要とされるカーブルトは無事に故郷に戻れる。

 これが一番丸く収まるじゃないか。


 自分に何度もそう言い聞かせる。

 カーブルトは去り際に一度振り返った。

 俺は無言で微笑む。

 彼はそれを見ると、そのまま鉄仮面と共に先へ進んで行った。

 そして暗闇に姿を消した。

 これでいいんだ。

 これで……


 傍にいた鉄仮面の一人が馬から降りた。

 縄のようなものを自分の手に巻き付けようとする。

 諦めて、両手を合わせて差し出す。


 またあの暗い牢獄に戻って死んだように過ごすだけだ。

 生きているかも死んでいるかも分からないようなあの部屋で、それでも生きてきた。

 あの時だって何とかなったんだから、きっと今回も何とかなる。


 でも……戻りたくない。

 膝が笑いだす。

 折角やり直す機会をくれたのに、これで終わりなのか?

 こんなにあっけなく、唐突に?


 両手に縄が巻かれていく。

 ああ、そうか

 思い出した。いつから忘れていたんだろう。

 世界は理不尽で、不平等だ。

 だから俺は自分の部屋から出なくなったんだ。

 俺は諦めて、静かに目をつぶった。


 ・

 ・

 ・


「何だ?!」

「貴様ッ」


 馬のいななく声。力強い蹄の音。

 はっと顔を剥ける。

 見れば炎の剣が暗闇に走り、縄をかけようとしている鉄仮面の腕に切り付けている。


「どうして……」


 カーブルトは死んだ馬に跨っている。

 自分をつかみ上げてその後ろに乗せる。

 彼の手元の曲剣は油でも塗ったのか燃え盛っている。

 曲剣を振り回す度に、火の粉が周囲に飛び散る。


「さっきの答えだが、やっぱり訂正させて貰う!」

「何?!」

「お前らの馬鹿なお頭に言っとけ!

 死んだんだから潔く諦めて、とっとと成仏しろってな!

 このタコ!」

「貴様ァ!」


 騎士達は、火を怖がる馬を上手く操れず苦戦している。

 その間にカーブルトは馬の横腹を蹴り上げ、駆け抜ける。


「どうして?」

「ハーハハハ!名演技だっただろ?

 奴ら、奴ら完全に俺が諦めたと思ってやがった!

 腕っぷしはともかく、口先はこちらの方が上手だったようだな!」


 罪悪感と嬉しさが入り混じる。


「……すまない」

「気にするな。あまり話している時間はないが、これから方針を伝える」


 すぐに真剣な口調に戻ると、カーブルトは続ける。


「連中の話から察するに、ここから先は連中の仲間が多くいるようだ。

 他の仲間達と連携を取る前にあの残り3人をここで叩きたい。

 そうしないと、街に着く前に袋叩きになるかも知れん」


 そう言ってカーブルトは長剣を一つ差し出した。

 恐らく鉄仮面の一人から奪ったもの。

 受け取ると同時に、予想以上の重みに驚く。

 こんなに重いのか……

 馬上という事もあり、バランスを取りづらい。


「来たぞッ 掴まれ」

「!」


 左右を見れば、二人の騎士が並走している。

 そう簡単には、逃がしてもらえないか。

 カーブルトの掲げた炎の剣によって、暗闇にその輪郭が浮かび上がる。


 騎士の体の半分は夜の闇に溶け込んでいる。

 今にも闇夜の中に姿をくらましてしまいそうだ。

 不気味な仮面と掲げた刀身だけが、獲物を追い詰めるように炎を反射している。


「!」


 右に並走する騎士が距離を詰めてくる。


「我らが主を侮辱した罪!その重みを知れ!」

「何を!」

「う、うわああ」


 カーブルトの炎の曲剣と、騎士の長剣が暗闇で何度もぶつかり合う。

 鋭い剣戟の音と共に、火の粉が散る。

 その度に馬が身じろぎして、振り落とされそうになる。


「ユーヤ、左だ!」

「礼儀を解さない、異邦人共!」

「う、うおおおお」


 怒声と共に左から騎士が迫る

 俺は声を上げて剣を振るう。

 剣がぶつかる度に強い振動が伝わり、思わず手から落としてしまいそうになる。


「あっ、うおっ」


 今の所、戦いは防戦一方。

 カーブルトはともかく、俺は闇雲に剣を振って相手を近づけさせない事で精一杯。

 剣の腕は相手が上で、何度も相手の剣が迫って追い詰められる。

 その度にカーブルトが上手く馬を操り、減速したり左側に逸れたりしてくれる。


「―――うおッ!」

「うわあ!」


 前方の闇の中から、急に木が浮かび上がる。

 直前、無理やり馬を反らす。

 急な運動で振り落とされそうになる。

 慌ててしがみ付く。


「チッ」

「あわわ」


 先ほどまでは開けた平野にいたはずだが、気が付くと森の中にいる。

 周囲には無数の木、それを避けながらの蛇行運転。

 次の瞬間、木に激突しても可笑しくない。


 馬の勢いが早くなっている。

 地形も坂になっているのか。

 枝が体や何度も顔に当たる。


 本当に振り落とされる!

 でも止まったら追い付かれる!

 誰か助けて!


「クソッ」


 直前に浮かび上がった木を、急な方向転換で無理やり回避。

 しがみついて振り落とされない事で精一杯。

 とても剣を振り回せる状況じゃない。


「……やるか!」


 カーブルトが声を上げる。

 左側の騎士が、こんな危険な地形にも関わらず接近して来る。

 正気か!


 左側の騎士は木や枝が迫る度に上手く避け、距離を詰めて来る。

 左の騎士はとうとう近接し、カーブルトと馬上で切り結ぶ。

 炎の剣は幾度も振るう内、炎の勢いは減っていく。

 そのせいで視界は更に悪くなってくる。


 左の騎士との闘い。

 唐突に目の前に現れる障害物への警戒。

 右から接近を試みる騎士への警戒。

 馬を操る事。

 カーブルトはそれらを同時に対処している。

 対処しているものの、左側の騎士との闘いは押され気味だ。

 俺は情けない事に、馬から振り落とされずにしがみつく事で精一杯。

 何とかして彼を助けないと……

 剣を強く握る。


「!」


 左の騎士が更に馬を寄せてくる。

 もう胴体を切り付けられる程の近さだ。


「チッ」

「あっ」


 カーブルトが相手の剣の勢いに耐え切れず、曲剣を手放してしまう。

 そのまま曲剣は闇に落ちていく。


 唯一の光源を失った。

 視界が一機に悪化する。

 僅かに差し込む、月の光だけが頼り。


「勝負あった!」


 騎士が勝利を宣言し、剣を振り上げる。


「恭しく首を差し出せ!」

「うわああああああああ」


 声を上げ、無我夢中で騎士の馬を切り付ける。

 かすった程度の感触。

 浅い。


 それでも、騎士の馬は一瞬驚き、身じろぎする。

 左の騎士は攻撃を止めて手綱を握り、馬を御そうとする。

 カーブルトはそれを見て、すかさず騎士の手首を掴む。


「離せ!」

「ああ、ほらよ!」

「なん―――」


 カーブルトが手を離した瞬間、騎士は眼前に迫っていた木に衝突。

 鈍い衝突音と共に暗闇に姿を消した。


「クソッ、前が見えねえ!」

「ひ、ひいい」


 曲剣を落としてしまい、目の前がほとんど見えない。

 カーブルトは減速して馬を止めようとする。


「うおっ」

「あッ」


 急な減速に馬が驚いたのか、それとも何かに足を取られたのか。

 馬体は大きくバランスを崩す。

 体が浮いて暗闇に放り出される。


「ぐぇ!」


 そのまま地面に叩きつけられる。

 全身に強い衝撃。


「カヒュッ……」


 上手く呼吸ができない。

 地面の感触は……落ち葉と柔らかい土。

 幸いにも、柔らかい地面に落ちたのか。

 ゆっくりと深呼吸を意識する。

 眩暈を抑えて何とか立ち上がる。

 同時に、強烈な不快感と共にリバースする。


「げほっ おええ」


 口元を拭う。

 声を上げて、カーブルトが無事か確かめたい。

 でも、そうすると声で自分の居場所がばれるかも知れない。

 先に剣を……騎士が来る前に、手放した剣を探さないと。

 どこだ?どこで落とした?暗くて何も―――


 その時、近くでぼうっと火が着いた。

 見れば火の傍にはカーブルトが立っている。

 手元には火打石。


「!」


 火に反射する鈍い光を見つける。剣だ。

 すぐにそれを手に取りカーブルトの近くに向かう。


「曲剣の代わりにこれを!」

 カーブルトが長剣を受け取る。

「無事でよかった。どこか痛む所は?」

「ゲロ吐いた位です。カーブルトは何ともないんですか?」

「何ともないと言いたいところだが……

 左腕が満足に動かない。落ちた時に打ったようだ」

「そんな……それじゃ、一旦ここは逃げましょう」

「それは……難しいようだ」

「!」


 カーブルトが俺の背後を見た。

 振り返ると、暗闇から2つの影が姿を現した。


 リーダー格の銅仮面と、鉄仮面だ。

 馬から降りて剣を抜いている。

 カーブルトは即座に剣を構える。


「……」


 二人の騎士は剣を正眼に構え、無言でじりじりと距離を詰めてくる。

 当初のような、慢心や嘲るような態度は少しも見えない。

 油断は誘えない。

 方や、こちらは片腕を負傷した戦士と、武器を持たない素人。

 しかも慣れない長剣の上、左腕も満足には使えない。


「か、カーブルト……」

「……」


 カーブルトは相手から目を離さず、小声で言った。


「……前に伝えた通り、俺が戦い始めたら全力で森に入れ。

 振り返るな」

「で、でも」

「……頼む」

「僕は、僕は―――」


 遮ってカーブルトは声高々に言った。


「ここから先は戦士と戦士の戦い。

 そこに戦えない従者は不要。

 お前たちの相手は俺がする。それで良いだろ?」


 銅仮面は、低くくぐもった声で答える。


「……今だけは、見逃してやろう」

「行け、ユーヤ」

「……でも」

「行けと言っている!」

「!」


 驚き、彼の顔を見る。


 格好は落馬したときに酷く乱れていた。

 怒りと痛みを無理やり抑えたような、見たこともない表情。

 頬にも傷があり、恐ろしい形相に震えあがりそうになる。


「走れ!ユーヤ!」


 その顔は必死だった。


「ッ」


 気圧されるようにして、森に向かって走り出した。


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