7


「ハァッ……ハァッ……」


 闇夜の中、僅かに差し込む月明かりだけが頼り。

 北に向かってひたすらに走り続ける。

 落馬した時の不快感はまだ残っている。

 打ちつけた左足も痛い。

 何度も転びそうになる。


 体中が痛い。

 胸も苦しい。

 もしあそに残っても、自分に何ができる?

 そうだ。自分の判断は正しかった。

 今まで彼の言う通りにして、間違った事があったか?

 彼の事だ。上手く逃げおおせるはずだ。

 脳内で彼の声がよぎる。


『……そうか、なら好きなだけ食べるといい。ほら』

『ハハハ、いや、すまん。俺にもそんな時期があったかなと思ってな』

『無惨に殺され、死後も体を弄ばれる。だったら、俺が終わりにしてやりたかった』

『正直もうだめかと思った。やってみれば何とかなるもんだな』


 記憶が走馬灯のように脳内を巡る。

 本当に色々な事があった。

 世話になりっぱなしだった。

 みっともなく逃げ出した俺に対して、彼は最後まで自分を曲げなかった。


 ああ、どうすれば。

 今から戻って立ち向かうか、あの二人の仮面に?

 でも、自分一人が行ってどうなる?

 すぐに切り捨てられて終わりだ。


 ……それでも、ここで逃げたところでどうなるのだろう。

 何かから目を背け、負い目を背負って生きていくのはもううんざりだ。

 いくら時が経てども、時間は傷跡を癒してはくれない。

 家に籠もった日が続くほど、外の世界への不安と恐怖は増していった。

 それを知っていて、どうして再び負い目を作ろうとする?


『何だよ、それほど?人に言えない過去なんて誰でもあるだろ?俺の犯罪自慢に比べればお前のがよっぽど上等だ』


「うぅ……あああ」


 震える膝を必死で抑える。

 急激に喉がひりつき、顔や服に嫌な汗が流れていく。


 これから自分は文字通り殺し合いをする。

 相手は経験のある兵士で武器を持っている。

 あの剣で切られたらどれだけ痛いか、苦しいか。

 想像するだけで足が竦む。

 でも、心に刺さった剣は、今行動しなければ一生抜けない。


「うう……あああ……」


 なんて馬鹿な行為だ。

 武装した兵士二人に、折り畳みナイフ程度の刃物で挑むという愚行、暴挙。

 本当に自分は何て救いようのない馬鹿なのか。


 しかし、ダメだ。

 自分のような無価値な人間はともかく、彼のような人々に希望を与えられるような人物は、ここで死んではダメなのだ。


 ・

 ・

 ・


 来た道を引き返し、木の陰から様子を伺う。

 火打石でつけた火がまだ残っている。

 視界は確保できる。


 ああ……

 彼は木に背を預け、その根元に座り込んでいる。

 渡した長剣は届かない所に転がっている。

 座り込む彼の前に、剣を持った二人の仮面が囲んでいる。


 負けてしまった。

 でも、まだ生きている。

 早く、早くしないと。


 木陰に隠れるように移動する。

 馬から投げ出される直前、木に叩きつけられて消えた鉄仮面がいた。

 その鉄仮面も長剣を持っていた。

 回収して武器にしたい。

 確か、この辺りに……


 地面に倒れて、呻いている馬がいた。

 足が折れていて動けないようだ。

 鉄仮面も傍に投げ出され、うつ伏せになっている。

 静かに長剣を拾い上げる。


 ・

 ・

 ・


 等間隔に3本の木が並んでいる。

 木々の間は数メートルの距離。

 その先に、木を背に座るカーブルトと二人の仮面の背中が見える。

 幸いにも、仮面達の背後にいる状態。


 全てに劣る自分が、どうやって仮面を倒す?

 あるとすれば……このまま背後から近づき、意識外の一撃を与える事か。

 我ながら卑怯な方法だ。


 でも、何としても二人で生きて帰りたい。

 この方法でいこう。

 まずは3本の内、1本目の木を目指す。

 気づかれないよう、足音を抑えてゆっくりと進み始める。


 ……よし


 背を低くして進み、1本目の木の陰まで到着。

 傍で燃える火のパチパチという音が、足音を消してくれている。

 仮面達の意識は、目の前のカーブルトに注がれたままだ。


 次は2二本目だ。

 木の陰から前方の様子を伺う。

 ここから仮面達の背後までは、もう10メートルもない。

 ……今行く。


 細心の注意を払い、進み出す。

 2本目の木に到着。

 仮面達との間にある木は残り一本。

 仮面達との距離は凡そ6メートル程度。


 ここまでくればもう後戻りできない。

 見つかれば切り捨てられる距離。

 あと一息だ。


「すぅ……」


 ゆっくりと呼吸を整えて―――


「がッ」

「!」


 木の陰から様子を見ると、銅仮面がカーブルトの右腕を切り付けていた。

 剣先から血がしたたり落ちる。

 思わず木の影から一歩踏み出す。


 一気に駆け寄って、後ろから一撃を……

 ……いや、落ち着つけ。

 相手は圧倒的に格上。

 ここで見つかったら終わる。

 失敗は、許されない。

 十分に近づくまで、堪えないと。


 最後の木まで進み始める。

 目がチカチカする。

 一歩進む度に、生死の境が曖昧になっていく。


 最後の木まで到達。

 仮面達の背中まであと3メートルも無い。

 剣を持つ腕が震える。

 やるぞ、やってやる!


 仮面の騎士は二人とも甲冑を着ている。

 背中の鎧をへこませる位だと決定打にはなり得ない。

 それなら、足や利き腕、装甲の関節部分を狙った方がいいだろうか。


 最後の木から身を乗り出す。

 仮面達の背中まであと数歩。

 障害物は何もない。


 カーブルトが一瞬こちらを見て驚いたが、すぐに表情を元に戻す。

 その傷ですぐに気が回るなんて……やっぱりすごいな。

 カーブルトは急に声を上げ始めた。


「ハハハ、二人がかりで怪我人をなぶり殺すのか?いい趣味してるな」

「……貴様は卑劣な方法で我々の同胞に危害を加えた。

 獣に見せる慈悲など無い」


 残り4歩

 カーブルトが注意を引き付けてくれている。


「そりゃよかった。

 腐った死体が騎士道云々というものだから、思わず笑い転げそうだったんだ」

「貴様ッ」


 鉄仮面が剣をカーブルトに向ける。

 残り3歩

 鉄仮面の膝の裏、鎧の繋目を狙って剣を引く。

 足を傷つければ、動けなくなるはずだ。

 鉄仮面の男の背が、その鎧の傷跡まで見えて来る。


「……貴様ッ!」

「!」


 振り返った銅仮面が自分の姿に気が付く。

 目の前の鉄仮面も身じろぎする。

 見つかった、まず――


 その時、大音響が響く。

 太鼓のような爆音が一瞬にして耳を打ち、頭の中に鋭い針が刺さるような痛みが走る。

 視界が歪み、強い耳鳴りがする。


「……!」


 視界の隅に、手を後ろに回したカーブルトが見えた。

 背中で音響玉を破裂させたのか。

 騎士たちも同様に驚き、動きが鈍る。

 今だ、今しかない。


 斜めから銅仮面の男が迫る。

 ほんの数歩の距離、あと数秒で自分は斬られる。

 その前に、せめて目の前の男だけでも!

 時間がゆっくりと流れ始める。


 残り2歩


 俺は剣を振り上げて、大きく振りかぶる。

 鉄仮面は横目にこちらを見た。

 視孔からは僅かに驚きを感じ取れる。

 しかし、体の軸や剣先はまだカーブルトの方に向けられている。

 迷っている。


 残り1歩


 振り向きざま、鉄仮面の切っ先が迫る。

 だが、もう遅い。

 こちらの方が早い。


 そのまま大きく振りかぶった剣を、鉄仮面の頭部に叩きつける。

 生々しい感触が手に伝わる。

 鉄仮面がゆっくりと崩れ落ちる。


「死ねッ」

「ッ」


 いつの間にか、眼前に銅仮面の剣。

 剣先は正確に首筋に迫る。

 あ、これ、終わっ――


「ッラァ!」


 眼前に迫っていた銅仮面が急に横に飛ぶ。

 見れば、カーブルトが銅仮面を突き飛ばしている。

 彼はそのまま鉄仮面が落とした剣を拾い上げて、銅仮面と対峙した。


 ・

 ・

 ・


 火の傍で俺たち二人は銅仮面と対峙した。

 これで二対一だ。

 にも関わらず、銅仮面は逃げ出そうとせず剣を構えたままだ。

 よほど腕に自信があるのか。


 銅仮面は全身に鎧を着こんでいる。

 そのせいで、狙える場所が限られている。

 一筋縄ではいかなそうだ。


「……」

「……」

「……」


 俺たちは睨み合い、無言で対峙する。


「……なあ、もうここらで手打ちにしないか?」


 カーブルトが静寂を破る。


「このまま戦えばどちらかが死ぬだろう。

 恐らくそれは接戦で、勝った方も深い手傷を負うかもしれない」

「……そいつは、ただの従者ではないのか?」


 銅仮面が俺を見た。


「そうだ。

 最初から一度逃げ出したふりをしてずっと茂みで隙を伺っていた。

 見事な計画だろ?」


 ハッタリだ。

 しかし、銅仮面の男の手は微かに震えている。

 怒っている。


「お前達は太陽の下では満足に行動できない。

 つまり、お前は日が昇る前に負傷者三人を抱えて本拠地に戻らないといけないはずだ。

 それとも、そこに転がっている奴等を日の光にくべてもいいなら受けて立つ」

「家名を捨て、肉体を捨て、復讐のために蘇った我々が命を惜しむとでも?」

「しかし戦士としての在り方までは捨ててないようだな。

 それさえ捨てちまえば、本当にただのバケモンになっちまうからか?」

「……」


 先ほど、銅仮面は「卑劣な方法で我々の同胞に危害を加えた。」と恨み言を吐いていた。

 彼らにも仲間意識のようなものがあるようだ。


「……貴様等の顔、覚えたぞ」

「ッ」


 その言葉には強い怒気があった。

 何年も追ってきそうな気迫と執念。

 思わず気後れしてしまう。


「再戦ならいつでも受け付けるぞ、俺は南方大陸に帰るからいつでも来てくれ」

「……」


 銅仮面は何も答えない。

 内心冷や汗をかきながら見守っていたものの、どうやら話は纏まったようだ。

 背を向けず、ゆっくりと後ずさる。

 距離が確保できると、カーブルトと共に一気に振り返って走り出した。


 ・

 ・

 ・


 俺たちは森を走り続ける。


「ッ」


 無理に動かした左足に、一瞬刺すような痛みが走る。

 馬から転倒した時に打ち付けた場所だ。

 もう走る事だけで精一杯だ。


 しかし、内心にはふつふつと達成感が沸き上がって来る。

 武装した怪物二人から、彼を取り返した。

 本当に奇跡。

 一生分の運を使い果たした気分だ。

 当分宝くじは買えないな。


「戻って来やがって馬鹿野郎……」

「す、すみません」

「……いや、助かったぜ」


 そう言って彼はにやりと笑った。


 ・

 ・

 ・


 その後も森の中をしばらく進み続ける。


「……?」


 隣で歩くカーブルトの足音が消える。

 どうやら走るのを止めて、木にもたれかかっているようだ。


「どうし……」


 暗闇ではっきりとは見えないが、彼の右腕の部分が妙にぬらぬらとしている。

 ……出血!

 銅仮面に切られたときの傷。

 それがまだ止まって無い。

 血が流れ続けている。

 道具は……ああ、何で!


 薬草等が入っている大きな荷物袋は既に無い。

 彼が馬に乗って、自分を救出する時には既に無かった。

 馬に二人乗りする以上、大きな荷物は持てないと判断した彼が暗闇に捨ててきたのだろう。


「今、布で止血を」


 自分の身にまとう服を脱ぎ、引きちぎろうとする。


「その程度で、何とかなる、傷じゃないな……

 この傷は深い」


 彼は苦し気な声で言った。


「そんな……」


 折角助けたと思ったのに。

 このまま死んでしまうなんて……絶対に嫌だ。


「それよりも、いい方法が、ある」


 彼は左腕でポーチの中から何かを取り出した。

 火打石だ。


「これは?」

「着火できるか?」


 ここ数日の間に、着火の方法は教わっていた。

 時間はかかるものの、火を着ける事自体には何度か成功している。


「でも……」


 こんな夜中に火をつけるのは危険だ。

 仮面達に見つかるかも知れない。


「いいから、やってくれ」

「はい、分かりました」


 近くにあった燃えやすい枝などを手探りで集め、一か所に纏める。

 そして何度か火花が飛び、ようやく火が着いた事を確認。

 周囲には、今の所異形の気配は無い。


「カーブルト、これからどうす……ッ」


 振り返って彼の方を見ると、火に照らされて傷が見える。

 右腕から血が流れ出し、それが胸部や腹部まで染みている。


「俺の剣を取ってくれ」


 困惑しつつも剣を手渡す。

 どうするつもりだ?


「剣先を、火にくべてくれ……俺がいいと言うまでだ」


 剣先を火の中に差し込む。

 それから少しの間、その状態を維持する。

 カーブルトが口を開く。


「これから、高熱の剣先を、押し当てて傷口を焼く。」

「……は?」

「お前には、押し当てる役をやってもらいたい」

「……」


 あまりの内容に絶句してしまう。

 傷口に高熱の鉄を押し当てるなんて、出来るはずが無い。

 ましてや恩人の彼に。

 こちらの困惑を見て取ったのか、カーブルトは続けて言った。


「お前だからこそ、頼めるんだ」


 彼の目が俺を見据える。

 覚悟した目だ。


「……それしか、方法はないんですね?」

「そうだ」

「……分かりました」


 長い間火は着けていられない。

 傷を塞がないと彼は死ぬ。

 選択肢は、無い。

 俺はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 彼は口に布を噛んだ。

 声を上げないため、歯を食いしばるつもりのようだ。


「……」


 剣先にほのかに熱の色が移った頃。

 それを火から取り出して傷口に向ける。


「……行きますよ」

「……」


 彼は小さく頷いた。

 指先の震えを抑え、剣を近づける。

 そして、傷口に押し付ける。


「ッ!……ッ!……」


 彼は耐えた。

 歯を強く食いしばり、恐ろしい形相。

 見ていられなくなり、思わず目を反らす。


 ・

 ・

 ・


 焼灼が終わった。

 傷口を残り少ない水で洗い流し、最後に布を巻く。

 火を消し、周囲に何もいない事を確認する。


「……よく、やった」


 彼はやつれている。


「……僕が周囲の様子を見ているので、先に寝て体を休めてください」


 人の肉を焼く生々しい感覚はまだ手に残っている。

 すぐに眠れる気分にはなれない。


「……成長したな」

「そりゃ、いろいろ経験しましたから」


 思えば、いつも夜の番は彼がやってくれていた。

 一日ぐらいは頑張らないとな。

 彼は寝息を立てている。

 俺は目覚まし草をかじり、目をこする。

 草の味は、いつの間にか気にならなくなっていた。

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