能力の開花と異邦の剣


 俺は疲れた体を引きずって宿に急ぐ。

 辺りは薄暗くなり、軒先に明かりが灯り始める。


 街角には荒くれものや、娼婦が見え始めた。

 娼婦がこちらを見て笑みを投げかけてくる。

 俺は慌てて目線を反らす。

 慣れない目線だ……


 大通りを伝って宿に帰る道もある。

 が、疲れたので早く宿に戻りたい。

 少し危険だが、近道になる小道を通るか。

 そう考え、路地に足を踏み入れる。


 灯りのない小道は、暗い。

 時々、足元の段差で転びそうになる。

 薄暗闇に目をこらすと、浮浪者たちが数人、小道で膝を抱えている。


 ……進みづらいな。

 かと言って、戻るのも面倒だ。


「……」


 その内の一人と目が会った。

 暗闇のせいだろうか、目には生気がほとんど見えない。

 昔の自分もこんな風だったのか?

 そう思うと、感情がわき上がって来る。


 ――もう、そこには戻るものか。


 足早に小道を通り過ぎる。

 どこかで、人が泣き叫ぶような声がする。

 やせ細った少女が街頭で客を取ろうとしている。

 俺は思わず目を反らす。


 夜の街は、この世界は暗かった。


 ・

 ・

 ・


 小道を足早で通り抜け、何とか宿に到着。

 食堂に入ると、既に何人かが夕食を取っている。

 女将と娘が忙しそうに食事を運んでいる。


「すみません、夕食をお願いします」

「あいよッ」


 俺は隅の席に腰かける。

 ふぅ……しかし疲れた。

 食事をとったら、さっさと寝よう。


 そうだ。

 モーニングコールの件。聞いてみるか。

 遅刻は避けないとな。


 しかし、あの職場で二か月か……

 初日から、冒険者とにらみ合うような場面があった。

 一歩間違えていたら、互いに武器を抜いていたかも知れない。

 二か月後の契約更新以前に、五体満足でいられるのか。


 同僚も癖がある。

 上手くやっていけるか分からない。


 かといって、辞める事も難しい。

 辞めれば、先ほどの浮浪者の仲間入りだ。

 経験が積めそうな仕事はこれ位しかない。


 あの暗い部屋に何年もいた頃と比べれば、まだまし。

 まだ、前に進んでいると思える。


「夕食置くよ」


 女将が来た。


「ありがとうございます。

 すみません、この店って朝に起こしてくれるようなサービスはありますか?」


 女将は吐き捨てるように言った。


「無いよ。暇な子供にでも頼むんだね」


 そう言って女将はどこかに行ってしまう。

 憤りよりも、不思議と感心してしまう。


 女将はぶれないな……

 金を落とす客にもへりくだる事なく、我を通している。


 俺は仕方なく、最後の望みを呼び寄せる。

 女将の娘だ。

 舐め腐っている部分はあるものの、もう彼女位しか頼れない。


「すみません。ちょっと来てもらってもいいですか」

「あいよ。何ですかァー?」


 娘は気だるげに近寄ってくる。


「すみません。ちょっと頼みたい事がありまして……

 そういえば、お名前は?」

「マガリです」


 曲がり?変な名前してるな。

 どうりで性格が曲が……いや、偏見はよくないな、うん。


「実はマガリちゃんに頼みたい事があります。

 一の鐘よりも早く起こして欲しいんです。頼めますか?」

「……いいけど、いくらですか?」


 いいのか?

 まあ、お金は欲しいよな。


「それじゃあ、一日につき小銅貨2枚でどうですか?」


 毎朝、部屋をノックするだけで200円。

 一か月もすれば、そこそこの額だ。

 子供の小遣いとして、悪くないはずだ。


「足りない、小銅貨5枚にして」


 倍以上?!

 今でさえ、週に二日も休めば残るのは小銅貨15枚程度。

 加えて、毎日銅貨五枚も払うなら、

 最低でも週に六日の出勤が必要になる。


「……ま、マガリちゃん。

 200円もあれば駄菓子も買い放題ですよ?」

「仕事するには早起きが必要でしょ?

 寝坊したいなら別にいいけど」

「仕事を始めたとは、一言も」

「お客さんから聞いたよ。東門にアンタがいたって」


 地獄耳か?


「あとアンタ、言い方がちょっと気に食わないんだよね。

 子供に言い聞かせるように聞こえるっていうか」


 ……そうか。

 同年代なのに、必要以上によそよそしかったかも知れない。

 しかし、こっちは客なのによく堂々と言えるな。

 女将譲りの気質か?


「分かったよ、敬語はやめよう。

 それじゃあ3枚で手を打って……」

「マガリ、料理できたぞ!」

「はーい、今行く。

 払えないなら寝坊して仕事首になるかもね。

 まあ、頑張って」


 マガリは笑って厨房に戻っていく。


 ……初めてですよ。

 私をここまでコケにしたお嬢さんは。

 俺は泣く泣く、小銅貨5枚を差し出す。


「これで何とか」


 俺は頭を下げる。


「……まいどー」


 マガリは受け取ると、そっけなく厨房に戻って行く。


「はあ……」


 痛い出費だ。

 だが、仕方がない。

 今はお金より経験が必要だ。

 ……週休一日で、頑張ろう。


 ・

 ・

 ・


 俺は部屋に戻り、ドアの鍵を閉める。

 防具を脱ぎ捨ててベッドに倒れ込む。

 ベッドの上で、深く息を吐く。


「フー」


 一人になったとたん、眠気が襲ってくる。

 一日中、気を張り詰めていたせいだろうか。


 汗のせいで少し不快感がある。

 一瞬、体を洗おうかとも思ったが、疲労感が上回る。


「……」


 俺は仰向けになって天井を眺める。

 脳内に今日の出来事がよぎる。


 冒険者ギルドで手放した銀貨、耳の痛い正論。

 面接をクリアするも、すぐに始まる重労働。

 隠そうともしない軽視、無気力な目。


 荒くれもの達、夜の街の景色、浮浪者達。

 不愛想な女将、足元を見るのが得意な子供。

 そしてそんな連中の顔色をうかがう自分。


 ……どいつもこいつも、うんざりだ。

 ……よいしょっと


 俺はベッドから立ち上がる。

 窓辺から外を覗く。

 通りには怪しげな蝋燭の光が点々と続いている。

 その周囲で、騒がしく動き回る人々の影が見える。


 見ると、人だかりができている。

 言い争いの声も聞こえる。

 喧嘩でもしているのか。


「……」


 窓辺から離れて、椅子にゆっくりと腰かける。

 今、この町で俺の安らげる場所はここだけだ。


『なあ、ユーヤ』


 声が聞こえた。

 カーブルトの声だ。


『お前は……』


 あの時、彼は言った。


『お前が連中の後ろから現れた時、俺は驚いた

 だが、もっと驚いたのは……

 あの時、お前の姿は、妙に透けて見えたんだ』


「……」


 一か八か。

 手のひらに意識を集中させ始める。


「……」


 少ししても、何の変化も無い。

 思い過ごしか。

 さっさと寝よ――


「……!」


 指先が、わずかに透けている。

 それは少しずつ浸透していく。

 数分かけて、手首までほとんど半透明になる。


「おお……」


 本当に。

 本当に、出来た……


 透明化。

 自分のみが与えられた力。


 あの時、俺は誰にも気付かれたくないと思った。

 気付かれずに、背後から夜の騎士に攻撃する必要があった。

 だから、この能力が?


 しかし……あまりにも地味。

 透明人間。

 色々な物語では、主役からほど遠い。

 数合わせや当て馬のような印象だ。


「……」


 更に念じると、手首から徐々に広がっていく。

 しばらく経った頃には、全身が透けていた。

 服は透明化されないようだ。

 仕方なく、その場で脱ぎ捨てる。


「……」


 自分の体を見回してみる。

 完全に透明になり、背景と同化している。


「……」


 部屋の中じゃつまらないな。

 俺は窓を開け、屋根に乗り出す。


 うっ。


 肌寒い風が全裸にあたる。

 思わず身震いする。


 そこから屋根を上がり、一歩ずつ上の方に上っていく。

 屋根の一番高い所に登り、そばにある煙突に手をついた。


「おお……」


 屋根からは、近くにある無数の建物や明かりが一望できる。

 丘陵を見上げると、中心の砦や、上街の建物が無数の光を灯している。


 下を見ると、人だかりが見える。

 人だかりの中心で、二人の男が殴り合いの喧嘩をしている。

 周囲の見物客がはやし立てている。


 その時、片方の男が顔面を殴られ、よろめいた。

 俺は声を上げる。


「おーい!そこの野蛮人諸君!

 争いなんて良くないよ!

 ラブアンドピース!」

「……だれが野蛮人だ!」

「どこだ!出てこいゴラァ!」

「お前が言ったのか?!」

「お、俺じゃねえ!」


 俺の姿は見つからない。

 代わりに、周囲の人と言い争いを始める。


「ああ……」


 空の夜空を見上げる。

 全身で感じる風が心地よい。


 屋根の頂点という、本来非常に目立つ場所で、

 全裸でいる事の解放感。高揚感。


 俺は弱くて、ちっぽけな底辺冒険者だ。

 色々な人に頭を下げないと生きてはいけない。

 この都市のボトムズ筆頭。


 しかし、この瞬間だけは、この都市で誰よりも自由なのだ。


 ・

 ・

 ・


 翌朝。

 乱暴に部屋のドアが叩かれる。

 マガリの甲高い声が響く。


「お客さーん、起きてくださーい!」

「ああ、うん……」


 今朝の空気は冷えている。

 まだベッドから出たくない。

 仕方なく、眠気を我慢して立ち上がる。


 ・

 ・

 ・


「朝食お願いします」

「あいよ」


 女将に朝食代を手渡す。


「先に体を洗ってくるので、食事の用意だけお願いします。」

「……昨日も水を浴びてたね」


 女将がじろりとにらむ。

 何か失礼な事をしただろうか。


「は、はい」

「潔癖症なのかい?貴族の坊ちゃんじゃあるまいし」


 そうか。

 毎日体を洗うのは、珍しいのかもしれない。


「ええ、昨日汗をかいたので、体を洗ってスッキリしたいんですよ」

「……そう、まあ門の検査の仕事は大変だからねぇ」


 女将はそう呟く。

 親子そろっての地獄耳か?


「……ま、井戸は好きに使ってもらって構わないけど、

 水は貴重なんだ。大切に使っておくれよ」

「はい、ありがとうございます」


 ・

 ・

 ・


 俺は手早く体を洗い、自室に戻る。

 防具を着込み、一階に降りて、朝食に手を付ける。


 暖かいスープを飲む。

 寒い朝には有難い。


 ・

 ・

 ・


 俺は早足で門に急ぐ。


「!」


 門まであと少しという所で、一の鐘が打ち鳴らされる。

 俺は全速力で駆ける。


「ハァ……ハァ……」


 門の周囲には、既に出市者らしき人達が待っている。

 籠を持った男達や、冒険者らしき人々が見える。


 兵舎の裏に向かうと、既に門兵達が集まっている。

 何人かは雑談している。


「ユーヤ、こっちですよ。まだ大丈夫です」

「ど、どうも」


 そう言ったのは文明人のジラールだ。

 今日も防具ではなく私服だ。


「初っ端から大丈夫か?

 ちゃんとやっていけるのかよ」


 トマスからの冷やかしが飛ぶ。

 続いてフォルがせせ笑う。


「……よし、皆揃っているな!」


 前方にいたエルドが声を発する。


「整列しろ!これより朝礼を始める!」


 言い終わるや否や、門兵達が素早く整列する。

 俺も慌てて、二列目の端に並ぶ。


「本日の伝達事項!

 昨日は外部西門で商隊といざこざがあった。

 商品を検査中に破損させてしまった事が原因だ。

 荷物の検査には注意しろ!


 それと内部北門でも事件があった。

 通行者の身分証について矛盾点があり、

 指摘した所、抵抗したため捕縛したとの事だ。

 偽造やなりすましには注意しろ。


 以上だ!何かここで話しておきたい事は?」


 割と物騒だ。

 荷物の破損は、俺も気を付けないとな。

 弁償になっても、払う金がない。


「……」


 誰も発言しない。

 エルドが再び話し出す。


「一部の者は既に知っているだろうが、昨日から新入りが入った。

 これから徐々になれさせていくつもりだ」


 その後、エルドは今日の壁上監視役や格子役。

 荷物検査役を割り振る。

 もちろん俺は昨日と同じ、重労働の荷物検査役だ。


「以上だ。開門準備をするぞ!

 壁上監視役は旗を!

 格子役も急げ!

 その他は扉と吊り橋の開門作業だ!」

「「「はい!」」」

「は、はい」


 俺は扉の開門作業を手伝えばいいのか。


 まずは数人がかりで扉の巨大な閂を外す。

 次に、協力して重い扉を少しずつ開いていく。

 扉を押す度に、内部で金属がこすれる不快な音がする。


 俺たちは数分かけて何とか扉を開ける。

 そこには落とし格子が2つあった。

 格子は、キリキリという音を上げて少しずつ吊り上げられている。


 少し待つと、完全に二つの落とし格子が上がり切る。

 俺たちは格子の下を通り、二つ目の扉を同じようにして開いていく。

 重い扉を押すたび、腕に疲れがたまる。


 最後に、数人で重い鎖を下ろしていき、堀の上に跳ね橋を下ろす。

 どすんという音と共に、地面に橋が下ろされる。


 跳ね橋を下ろすと、開門を待っている入市者達が見える。

 皆早起きだな。


 疲れた……

 まだ開門が完了しただけだが、

 この時点で既に残りHPは20/100だ。

 エリ〇サーはどこだ?


 ・

 ・

 ・


 早速、本日の業務が始まった。

 都市から出ていく人々を横目に見つつ、入市者を迎える。

 最初の入市者は、二台程度の荷馬車だ。

 入市者達は、窓口小屋でジラールと話し始める。


 馬車からは妙な匂いがする。

 何の匂いだっけな、これ。


 俺は今日の検査役の面々をちらりと見る。

 朝礼でロジェと呼ばれていた男。

 今日の検査監視役だ。


 年は30~40代位。

 ブラウンの瞳。薄く髭がある。

 髪は雑に撫で付けているのか、

 所々跳ねたオールバックのような髪型。


 良く言えば渋い。

 悪く言えばヤの付く職業だ。


 次は朝礼でベルナールと呼ばれていた男だ。

 今日の荷物検査役の一人だ。

 正規兵、細身、色白。

 年齢は俺と同じで15、6位だろう。

 門兵の中では、一番若いかもしれない。


 彼はブロンと同じかそれ以上に、目に生気がない。

 うつむき気味に、無気力で退屈そうな顔をしている。


 最後にランドンと呼ばれていた男だ。

 年齢は30代の半ばだろうか。

 瞳はジラールと同じ夕焼け色だ。


 正規兵。少し腹は出ている。

 顔立ちは優しそうだ。

 3人の中では、一番話しかけやすそうだ。

 早速、ランドンに声をかける。


「すみません」

「ん、何だい?」

「この荷馬車、開門前からすでに到着していましたよね。

 壁外で夜を過ごしたんでしょうか。

 それだと大分危険な行動ですよね?」

「確かにそれは危険な行為だね。

 よほど急いでいる人たち以外はやらないよ」


 ランドンは荷馬車の方を見る。


「これは恐らく早朝。

 それこそ日が差し込み始めると同時に出発したんだろうね。

 生鮮食品や、急を要する時に使われる運び方だ」

「そうなんですか?」

「ああ、その証拠にほら、何か生臭いだろう」


 この妙な匂いは生臭さか。


「これは魚の匂いみたいだから、近くにある川で獲れた魚だろうね」


 腐りやすい魚なんかは、急いで運んでくるという事か。


 その後、エルドから正式に荷物検査を言い渡される。

 早速荷台に入ると、細長の木箱が所せましと並んでいる。

 ざっと、50は軽く超えているだろう。


「………ま、まさか、これを全部?」


 恐る恐るランドンに確認する。


「まあ、生物だしざっとした確認にはなるだろうけど、

 箱の中身を見ずに通すわけにはいかないね。

 普段、取引のない商人のようだし」

「……」


 仕方なく、俺とランドンとベルナールで協力し、

 一箱ずつ荷物を運び出す。


「さっさと運べ。後がつかえてんだ。

 ぼさっとするなよ、新入り!」

「は、はい!」


 途中、検査監督役のロジェから怒声が飛ぶ。

 顔も相まって、完全に反社のそれだ。


 時間をかけて木箱を検査台まで運び出すと、

 次に箱の内容の検査に移る。

 俺とランドンが木箱の中身を確認し、

 確認が終わった物をベルナールが荷台に積み直す流れになった。


 早速一つ目の箱を開けると、

 ますやうなぎのような川魚が、氷と共に詰められている。


「……川魚も、年々小ぶりになっていく気がするな」


 隣のランドンが小さく呟く。


「そうなんですか?」

「まあ……どこも食料不足だし仕方ない。

 数少ない都市に、沢山の人々が住んでいるからね。

 食べていくのだけで精一杯だ」

「……」

「だからどの都市も、収穫期になる前から魚を獲ってしまう。

 そうしないと他の都市や密猟者に奪われるからね。

 乱獲していく内、魚の数も大きさも小さくなっていく」


 そう言ってランドンは黙々と作業を始めた。


 ・

 ・

 ・


 木箱の中身をチェックする作業が始まった。

 隣のランドンを見ると、氷水の中にさっと手を滑らせて、魚の間を確認している。


 そこまでやるのか……

 仕方ない、俺もやるか。


「ッ……」


 手を入れると、冷たさに驚く。

 ただでさえ、寒い朝方なのに……


「新入り、さっさとしろ」

「は、はい……」


 躊躇していると、後ろからロジェの威圧するような低い声が飛んでくる。

 俺は慌てて作業を始める。

 仕方なく覚悟を決め、その後は黙々と検査を続ける。


 氷の中に手を滑らすは数秒。

 一つの箱の検査にかかる時間は、長くて数十秒。

 しかし、それを20、30と行っていく内に、手の感覚が鈍くなってくる。

 次第に、痛みすら感じ始める。


 耐えかねて、手を少しでも休ませれば、

 容赦ない叱りが飛んでくる。


「おい、早く検査を終わらせてくれ!

 魚が痛んじまうだろ!」


 荷主がそう言って急かしてくる。

 じゃあお前も手伝えよ……


「今やってるだろ!少し待ってろ!

 とっとと終わらせろ、新入り!」

「ヒェッ」


 ロジェの罵声が飛ぶ。

 こ、怖えええ。

 勘弁してくださいよ若頭……


「後ろもつかえてんだぞ!」

「……は、はい。すみません」


 俺は両手の悲鳴を押し殺し、

 氷水に手を潜らせた。


 ・

 ・

 ・


 生魚の検査が終わった。

 馬車は門の中に入っていく。


 両手は最早痛みを通り越し、感覚が麻痺している。

 このまま、指がぽろっと取れないか不安だ。

 籠手を装着して少しでも温めておこう。


 しかし、魚か。

 しばらくは魚料理も見たくないな。


 その後も、旅人や冒険者の荷物検査等を行い、

 がむしゃらに朝のラッシュを捌いていく。

 気が付けば、列はあと数人まで減っている。


 ようやく、終わりが見えてきた。

 あと少しだ。

 俺は寝ぼけ眼をこする。


「それでは次の方、どうぞ」

「……!」


 入ってきた冒険者たちを見て、俺は少し目が覚める。


 その4人は、全員が褐色の流民だった。

 と言っても流民の冒険者自体は珍しくはない。

 都市の働き口が少ないせいか、

 流民系の冒険者は何度か見ている。


 ただ、今回の4人は、全員が若い。

 恐らく15~7才程度。


 更に、全員が体中に浅い傷を負っている。

 が、彼等の目つきは鋭い。

 一切の弱みを見せず、堂々としている。


 彼等は慣れた手つきで装備を取り外し、

 次々と検査台の上に置いていく。

 先頭の男が検査台に置いた、カイトシールドの音が大きく響く。

 乱雑に書類やカードを置いていき、ジラールが確認する。


 ジラールの表情はいつもと変わらないが、

 少しだけ緊張しているようにも見える。

 それは横にいるランドンも同じで、

 居心地が悪そうに身じろぎしている。


「パーティ名は異邦の剣。あなたはリーダーのゴルカさんですね」

「……ああ」


 先頭の、筋肉質の男は不愛想に答える。

 高い身長にがっしりとした体。

 威圧感のある体つき。


 彼はジラールから目を離さず、睨んでいるようにも見える。

 周囲の空気が、張り詰めていくのを感じる。


「……身体検査を」

「は、はい」


 俺は緊張しつつも身体検査を行う。

 検査台には、使い込まれた装備が並べられている。

 検査が終わると、ゴルカとジラールは再びやりとりを続ける。


「都市を出立したのは何時からになりますか?」

「おとといの正午だ」

「どこかに立ち寄って、宿を取ったのですか?」

「壁外で野営しただけだ」


 それを聞いたランドンは一瞬表情を崩し、ロジェが口笛を吹く。


 壁外で野営……野宿?!

 あんな危険な場所で夜を?

 何泊もした自分が言うのもあれだが、まともじゃない。


 まだ二日目だが、それでも門で複数のパーティを見ている。

 その全員が、日帰りか宿を取っている。

 その中でも最年少であろう彼等が、野営?


「……それで、荷物の中身は」

「アンタらも良く知っている物だ。

 野営する目的なんて、そうそうあるものじゃないだろう」

「……」


 それを聞いたジラールが、何かを察したように黙り込む。


「……確認しろ。見るだけで良い」


 ロジェが低い声で言う。


「悪いが頼めるかな?」

「え? ええ」


 俺はランドンに頼まれる。


 何だ?

 何をそんなに警戒してる?

 俺は検査台に置かれた麻袋を手に取り、中を覗き込む。


「……ッ」


 麻袋の中のそれと目があった。

 白濁した眼。黒く長い体毛。

 捻じれて歪み、裂けた口元。

 人間に似た歯。

 見開かれた3つ目の眼。

 影の獣と呼ばれた異形の、頭部だけがそこにある。


「ヒッ」


 俺は思わず、麻袋を落とす。

 同時に、異邦の剣の何人かがせせら笑う声がする。


「だ、大丈夫かい、ユーヤくん」


 ランドンが肩を貸してくれる。


「け、獣が……3つの目をした獣が……」

「分かった、分かったから」


 肩を借りて、何とか立ち上がる。


「卑肉喰らいが……」


 ロジェが忌々し気に呟いた。



 ・

 ・

 ・


 その後、間もなくして昼休憩になる。

 と言っても、節約をしたいので昼食は抜きだ。


 先ほど起きた出来事のせいで、どうも落ち着かない。

 仕方なく街中をぶらぶらし、頃合いを見て門に戻る。


 そこには既にランドンやロジェが戻っている。

 が、最年少のベルナールがいない。


「あれ、ベルナールさんは?」

「彼はまだ戻ってないね。

 いつも昼休憩は遅刻して戻ってくるんだ」


 ランドンは困ったように言った。


「はあ……?」


 そんな事が許されるのか?

 しかもランドンの口ぶりから、遅刻はいつもの事らしい。

 どういう事だ?


 ・

 ・

 ・


 結局、ベルナールが戻らないまま午後の勤務が始まった。

 午後は人の行き来がまばらになる。

 率直に言って、暇だ。


 今日の見張りは俺とランドン。

 時間は静かに過ぎていく。


「……」


 俺はじっと景色を眺める。

 陽気に降り注ぐ太陽。

 広がるのは豊かな自然。

 が、夜になれば、たちまち恐ろしい世界になる。


 異形たちが支配する、闇の世界だ。

 だから人々は満足に食料も取れない。

 しかし、このせまい都市にこもり続けた所で、

 人々に未来はあるのだろうか?


「さっきは大変だったね」


 ランドンが話しかけてくる。


「……本当に驚きました」


 夜の世界の化け物が、急に真昼間に、

 しかも首だけになっているとは。


「ひょっとして、袋の中身を知らなかったのかい?」

「ええ、そもそも異邦の剣と会ったのも初めてです」

「そうなのかい?

 彼等は、年齢の割に名が売れてる方だと思うけど」


 ギクッ。

 有名なのか、あいつら。


「あはは、そう言えば聞いたような気が……」


 常識外れを指摘され、慌ててそう答える。

 ……そういえば、防具屋の店主も異邦の剣について話していたっけ。

 同年代では腕の立つ方だとか。


「あの人たちは、あの異形の肉を食べるんですか?」

「彼等の風習として、それが許されるらしい。

 君は、食べないのかい?」

「……」


 正直、あれを食べると想像するのは気分が悪い。

 そして、門兵達から見ても、明らかに忌避していた。

 ここは同僚の感覚に合わせておいた方がいいな。


「う、うーん。そうですね。

 あれを食べるのは、ちょっと気が進まないですね」

「……そうだろうね。悪い。変な事を聞いたね」

「いえ」


 少しの間気まずい空気が流れる。

 俺は聞きたかった事を質問する。


「ロジェさんが言ってた、卑肉喰らいって何ですか?」

「あの言葉か。

 聞こえない程度の声だったとは言え、

 目の前でよくもあんな事が言える……」

「……」


「この辺りじゃ、異形の肉を卑肉と呼ぶんだ。

 人を喰らう恐ろしい異形の肉。

 一度口にしてしまえば、異形と同族に成り下がる


 本来、そんなものを食べる人間はいないよ。

 前に、そういう噂が立っただけで、

 引っ越しをしなければならなかった人を見た」

「それは……」


 今は戦時中で、食糧難の時代だ。

 飢え死にする位なら、口にしてもいいのではと思う。

 それでも、最低限のモラルというものは存在するのだろう。


「でも、流民たちはあえてそれを口にする。

 彼等には、独自の風習と価値観があるようだ」

「……」


 俺は脳内で回答を考える。

 デリケートな話題だ。


 回答によっては、周囲の評判を下げる事になるかも知れない

 ただでさえ、新参かつ異邦人として浮いているのに。


 確かに肉類、魚類の価格は高い。

 流民たちも中々手が出ないだろう。


 肉は良質なたんぱく質があり、健康な体を作るのに欠かせない。

 卑肉で栄養分が取れるなら、食事は理にかなっている。

 と、個人的には思う。


 しかし、ここは未開な中世時代。

 たんぱく質なんて概念があるかも怪しい。


 俺が何を言っても、既に広まっている常識をくつがえせはしない。

 かえって、常識に異を唱える変人として見られるのが関の山。

 ……つまり、最初から言うべき答えは決まっていた。


「それは、何とも恐ろしい話ですね……」


 俺は適当に話を合わせる。

 これが正解のはずだ。


「そうだろう?だから卑肉喰らいは酷い言葉でね。

 王国系にそんな事を言えば、それこそ事件になる」

「だから皆さんは、あの異邦の剣を恐れていたんですね。

 ようやく僕も分かりました」

「……まあ、異邦の剣に関しては、理由はそれだけじゃないけどね」


 ランドンは言い辛そうに顔をひそめる。


「まだ何かあるんですか?」

「異邦の剣は前科のあるパーティでね。

 前に外部南門を通った時に、問題を起こしたんだ」

「問題、ですか?」


「うん。

 聞いた話だと南門を通過する時に、門兵と揉めたらしい。

 そのまま武器を抜いて戦いになった」


 えぇ……

 そんな事をしでかしたのか。

 日本で言うなら、公務員たる税関職員に凶器を向けるようなものだろうか。

 先ほど、緊張した空気が漂っていたのも頷ける。


「それで、どうなったんですか?」

「8人いた門兵側は全員倒され、大けがをした人もいたらしい」


 門兵側が負けるのか……


「それは……恐ろしいですね。

 でもそんな事をして、罰は無かったのですか?」


 どこにでもいるような、社会的地位の低い冒険者。

 それが公権力に武器を向けた。

 相応の罰は、さけられないはずだ。


「そこがまた不思議な話なんだ。

 本来、何年も牢屋に放り込まれてもおかしくない。

 それが実際には、多少の罰金はあったらしいけど、それだけだ。


 恐らく、門側に何か不手際があったのか、

 色々噂はあるけど、詳しい話は闇の中さ」


 そう言ってランドンは肩をすくめる。


「……妙な話ですね」


 門側の不手際。

 横領に精を出すような、トマスのような門兵もいる。

 そんな感じで、門兵の方に問題があった?

 その結果、処罰もあやふやな形で終わったという事なのか?


「あ」


 ランドンと共に振り返る。

 そこには、ようやく昼休憩から戻ってきたベルナールがいる。

 が、ベルナールは何も言わず、壁に背をもたれて座り込んだ。


 おいおいベルナール君。

 それはちょっと、世間が許してくれゃすぇんよ。


 ちらっとランドンの方を見る。

 ランドンは悩んではいるものの、口頭での注意はしないようだ。


「……まあ、今はそれ程忙しくもないか」


 そう言ってランドンはため息を吐いた。


「注意しないんですか?」

「……彼は家族が上街に勤めるお偉いさんでね」


 ……コネ就職か。

 そりゃ注意し辛いよな。

 ただでさえ中世時代。

 触らぬ神に何とやらだ。

 ランドンも気苦労が多いな。


「まあ。ユーヤくんは真面目そうでよかった。

 これからよろしく」


 フレンドリーで良い人じゃないか。

 文句なしの文明人だ。


「こちらこそ、経験が浅く色々お手数おかけする事になるかと思いますが、

 よろしくお願いします」

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