4


「ユーヤ、起きろ」

「? なん――」

「静かにしろ」


 彼の声は、低く抑えられている。

 瞼を擦りながら体を起こす。

 窓の外はすでに夜、寝入っていたようだ。

 彼は寝る前と同じで窓の傍にいて、外を見つめている。

 その視線は注意深く外に注がれている。


「ゆっくりと、隠れるようにして窓の外を覗いてみろ」


 恐る恐る外を覗く。


「……」


 何だ……?

 外の通りを人影が歩いている。

 暗くてよく見えない。

 雲の隙間に月の光が差すと、暗闇にその姿が浮かび上がる。


「ヒッ」


 思わず小さな悲鳴を上げる。

 片腕の無い骸骨。

 頭蓋骨からまばらに長い髪が生えていて痛々しい。

 腰に長い布切れのようなものがある。

 恐らくそれはスカートで、生前は女性かも知れない。

 片足を引きずりながら誰もいない夜の村をゆっくりと歩いている。


「……」


 言葉を失ってしまう。

 この世に居てはいけないもの。

 見てはいけないもの。

 許されない存在。

 そんな言葉が頭をよぎる。


「あ、あの、カーブルトさん。あいつを倒さなくていいんですか?」

「倒す?」

「そうです!こう、ゲームとか小説とかそうじゃないですか?!

 死者は人を襲うから、だ、だから、倒さなくちゃいけないんじゃないんですか?」

「俺にあいつを倒してこいと?」

「い、いや、まあ。そういう訳じゃないんですけど……

 普通は誰かが倒さなくちゃいけないんじゃないんですか?」

「別にやり過ごせばいいだろ?」

「だってあいつらは、魔王軍の魔物なんですよね?

 人を襲うんだし。ここで倒さないんですか?」

「あの死者は通りをぶらついているだけで、家屋に入って来る訳じゃなさそうだ。

 無理に表に出て倒した所で、他の死者に気付かれる可能性もある。

 それに遺骨が残って、俺達が倒したという痕跡が残っちまう。


 暗闇で周囲の敵の数が分からない以上、無理に手出しは出来ない。

 だから一人二人の死者は、見つけてもやり過ごすのが人々の習わしらしい」


「た、確かに」


 確かに壁の外は敵地。

 できるだけ隠れ、戦いを避けて帰るのが最善か。

 命がけのかくれんぼだ。

 どこかに居なくなってくれるなら、それに越したことはない。


「聞いた話だが、死霊術士に命令されていない野放しの死者は、自分が死んだ事が分からなくて生前と似たような行動を取ることがあるらしい。

 あの女性はまだ、自分が死んだことに気が付いていないのかもな」

「……」


 自分が死んだ事も気づかず、続けるのだろうか。

 それこそ、永遠に?

 救いが無さすぎる。


「確かにここで倒しちまうってのは一理ある。

 一体一体はそれほど脅威ではないからな。だが俺達がそれを止める義務はない」

「……そうか、そうですよね」


 よくよく考えてみれば、俺達はただの旅人だ。

 一晩ここで無事に過ごせればいい。

 あの死者を倒すのはこの土地の人々の義務だ。

 ただ通りかかった自分達が、どうして危険を冒す必要がある。


「そうだ、俺達は本来、あれを倒す義務はない。

 だからお前はここで待っていろ」

「……は? ちょっと、え?!」


 彼はおもむろに立ち上がり、腰元の剣に手をかけて部屋を出て行った。

 思わず呆然としてしまう。

 理解が追い付かない……

 慌てて後をついていく。


 彼を追って通りに出る。

 彼はどんどんと死者に近づいていく。

 気が付いた死者は、呻き声と共に彼に飛び掛かった。


 危ないって!

 乗るなカーブルト!戻れ!


「フンッ」


 彼はさっと身をかわすと、曲剣を振るって横から斬りつける。

 死者が地面に倒れ込む。

 彼はその上からさらに剣で骨を叩き割る。

 そして死者は動かなくなった。


 彼は剣の刀身を布で拭って鞘に仕舞い込んだ。

 恐る恐る声をかける。


「あ、アンタ、正気か?

 自分で言っている事とやっている事がまるで違うぞ?」

「何だ、ついて来てたのか?」


 彼が振り返った。

 人骨を砕いて殺したにも関わらず、表情は平然としている。


「無惨に殺され、死後も体を弄ばれる。

 だったら、俺が終わりにしてやりたかった」

「そ、そうですか……確かに、その気持ちは分からなくないけど……」


 それなら、ちゃんと説明してから部屋を出ればいいのに。

 まったく、冷や冷やさせやがって……

 危うく膝が笑いだす所だったぜ。


「悪いな、俺はこういう性分なんだ。考えるより先に手が出ちまう。

 ……彼女の死体を埋葬したい。遺骨を集めるのを手伝ってくれるか?」

「わ、分かりました」


 ・

 ・

 ・


 その後、時間をかけて二人で骨を集め、近くに掘った穴に埋葬をする。

 落ちていた古ぼけたスコップのようなもので、地面に穴を掘る。

 遺骨を手に取るという作業は気が進まない。

 少し戸惑いながらも骨をつかみ、穴に移していく。


 ……こんなに呆気ないのか


 彼女の骨は黒ずみ、すり減り、脆かった。

 軽く、簡単に持ち運ぶ事が出来た。

 恐らく、少し力を入れれば折る事もできるだろう。

 人の命がこうも軽く、そして言いようもない寂しさを感じる。


「う!」


 腐臭が鼻をつき、思わずえずきそうになる。

 ちらりと彼の方を見ると、匂いは気にせず遺骨を丁寧に扱っていた。

 慣れているのだろうか。


 二人で手分けして土をかぶせ、遺骨を埋め終える。

 作業が終わるころには、息が乱れていた。

 穴を掘って埋めるのは、思った以上に重労働だ。

 彼はどこからか持って来た一輪の花を墓の前に置いた。


「一神教の神父は呼べないから、俺達で墓を作った。

 粗末な出来だが勘弁してくれ」


 そう言って彼は目をつぶった。

 俺は何を言えばいいか分からず、とりあえず手を合わせた。

 目をつぶりながら、胸の奥に虚しさがふつふつと湧き上がってくる。


 ……人は、こんなに呆気ないのか。


 日本にいた時、人の命は尊重される物だと学んだし、実際そう思っていた。

 だけど、この世界では、違う。

 変わらなくてはいけない。

 自分も、この世界に合わせて。

 そうしないと、次に埋葬されるのは自分の方になるかも知れない。


「よし、戻るか」

「え、ええ」


 そう言って、彼は家屋へと戻って行った。

 先を歩く彼の背中を見ながら考える。


「……」


 この男は理性や損得勘定より、その時の感情で動くタイプ。

 何をするか予測できない。

 巻き込まれる可能性もある。

 思ったより、危険かも知れない。


 ・

 ・

 ・


 翌日、俺たちは旅を再開した。


「……」


 あくびをかみ殺して、目をこすりながら歩き続ける。

 あの後、何とか寝付けたは良いものの、夢でうなされてあまり熟睡できなかった。

 あの黒い森の獣は、夢の中まで追ってきていた。

 逃げ続けていたら、嫌な寝汗と共に朝になっていた。


 自分はとうにあの森の中で力尽きていて、今は夢……なんてないよね?

 大丈夫だよね?


「……」


 不安になって毛布をさする。

 彼からもらった貴重な毛布は、肩に掛けている。

 これがあれば、寒い夜もそれなりに過ごしやすい。


 隣をちらりと見ると、彼は口元に何かの葉を咥えながら歩いている。

 彼は自分が目を覚ました時には、既に出立の荷造りをしていた。

 一晩中椅子に座っていたようだ。

 いつ寝ていたのだろうか。


「椅子の上でも寝れたんですか?」

「俺位になれば熟睡できる。

 少なくとも揺れが無い分あの船旅よりはマシだ」

「それは……すごいですね」


 座りながら寝れるのか。

 戦国時代の侍か?


「まあ、眠くない訳じゃないけどな。

 そういう時はこれだ」


 彼は腰元から一枚の葉を差し出した。

 口に含んでいる葉と同じ物のようだ。


「咥えてみろ」

「は、はい」


 世の中には葉巻煙草と呼ばれる物もある。

 これもおそらくその類か。

 ぱくっと葉を口に入れる。


「?! おえ”え”ェェェェ」


 刺すような刺激。

 強い酸味が一瞬で広がり口内を蹂躙する。


「何もえずく事は無いだろ」

「ゲホッ ゲホッ 何でずがごれ?! 毒?!」

「これは目覚まし草と言って、冒険者の眠気覚ましには必須の道具だ。

 これに慣れない内は一人前の旅人とは言えないなあ。

 実際に目が覚めただろ?」

「……ゲホッゲホッ おがげざまでッ」


 唇もじんじんと痛む。

 口内の感覚は、痛みを通り越して感覚が麻痺してきた。


「ちなみに、普通は葉の端から少しずつ齧るもんだ。

 一度に口に入れるとひどいことになるぞ」


 食べた後に言うか?普通。

 恨みを込めた目で睨みつける。

 文句を口に出す前に、彼はさっと水を差しだしてきた。


「何笑っでんですが」

「ハハハ、いや、すまん。俺にもそんな時期があったかなと思ってな。

 お前には道中、食材になりそうな動物や植物らしきものがないか見ていて欲しい。

 道案内は俺がするから、食料の調達は頼む」

「……分がりまじだ」


 言い返えそうにも、口内が麻痺してうまく言葉が出てこない。

 はぐらさかれた気がするが、その位なら聞いてやろう。

 世話になっている身ではあるしな。


 しかし、旅人は皆この味覚の暴力に耐えているのか。

 とてもじゃないが自分は旅人にはなれないな。


 ・

 ・

 ・


 そこからの旅路は難航した。

 長らく人の往来の無かった土地のせいだろう。

 どこも雑草が生い茂っていて、道はどんどん細くなり、途切れ途切れになっていく。


 道を見失って遭難しかける度、彼と手分けして道らしき場所を探す有様だ。

 それでも、彼が一度通った道のため何とか進めている。


 もし運よく彼に出会わず、自分一人だったら確実に遭難していた自信がある。

 ついているのか、いないのか……


 この世界に理不尽に転移してから、あの黒い森で酷い目にあった。

 唯一の幸運は、目の前の彼に拾ってもらった事か。

 彼が居なければあの黒い森を抜け出せたとして、土地勘も何もない引きこもりは行き倒れていただろう。


「……」


 道中、ふと辺りを見渡す。

 そこは黒い森のような頭上に葉の天蓋がある閉塞感のある森ではない。

 青々とした葉、木々の間は開かれていて、暖かな陽光が降り注いでいる。

 時折吹く風が心地よい。


「……」


 不思議と見入ってしまう。

 あの腐った匂いのする閉塞感のある狭い家と正反対の場所。

 森林浴というのも悪くない。

 例えるなら、何年もの懲役をようやく終えてシャバに出た気分だ。

 俺は自由なったのだ。

 気分はショーシャンクスだ。


 問題があるとすれば、獣や死者がいる危険な場所という事だ。

 おまけに家無し職無し一文無し

 ……そう考えると辛くなってきた。

 もう一度牢屋に戻るか……


「ユーヤ、こっちに来い」

「食べられるものでも見つけたんですか?」


 近づいて見ると、彼の目の前にあったのは植物だった。

 茎の太さが雑草とは違って太く、歯ごたえがありそうだ。

 途中で不思議な形にねじれているのは気に掛かる。

 ただ、はっきりとしたみずみずしい色だ。

 食べてもよさそうな色をしていると思う。

 多分。


「この辺りの植生には詳しくないが、俺のカンだと8、9割はイケると思うぞ?」

「8、9割って……毒の可能性が1割でもあるなら止めておいた方がいいんじゃないですか?」

「だが、残りの食料が心許ないな……」

「……」


 そう言われてハッとする。

 彼は元々一人で旅をしていていた。

 元々、一人分の食料しか用意していなかった。

 しかし、そこで自分と言う想わぬ食い扶持を抱えてしまった。

 そう考えると心苦しい。


 少なくとも彼は無償で食料を分けてくれて、文句の一つも言わない。

 なら、自分にできる事は経験豊富な彼を信じる事位か。


「そう言うのなら、僕は賛成です」

「ま、煮れば大抵の植物は食べられるようになるだろ。

 ダメだったらその時はその時だ」


 ・

 ・

 ・


「……ん?」


 すれ違いざま、近くの木の幹に何か妙な痕跡があるのに気が付いた。

 近寄って見ると、それは何やら爪痕のようだ。

 その近くには黒く長い毛が数本付着している。


「カーブルトさん、これ」


 そう言って確認してもらう。


「この黒く長い毛……影の獣かな」

「影の獣って、前に話していた?」

「そうだ。呪詛によって生まれた、闇の中にしか生息できず、朝になると消える生き物。

 そいつらの体毛は女性の毛のように長い」


 女性の黒髪……確かにそう見えなくもない。

 そう思うと気味が悪いな。

 しかし、朝になると消える……そんな事があるのだろうか。


「こうして痕跡を残すのなら、普通の動物と似たような生息なんでしょうか」

「実の所、こいつらの生息はよく分かっていないらしい。

 大方詩人達の誇張も含まれているんだろうな。

 ただ、こいつらは恐ろしく夜目が効くのか、暗闇で人を襲う事に長けているのは確かだ。

 他にも、最初は暗闇の中にしか存在できないが、人の血肉を食らう内に実体を持つようになるとか」


 前に襲われたあの黒い獣の姿がよぎる。


「獣と言えば、カーブルトさんと出会う前のあの森の中で妙な獣を見ました」

「話してみろ」

「暗闇で姿はよく見えなかったけど、野犬か狼みたいでした。

 腰位の高さで、初めて見た時は大きくて肉付きがいいように見えたんですが、

 実際に取っ組み合ってみると見せかけでした。

 体の大半は長い体毛で、実際の体はやせ細っていました」

「そりゃ、恐らく影の獣だろうな。」


 やっぱりか。


「しかしよく無事だったな。群れでいる事も多い生き物だぞ。」


 そう言われ、背筋に冷たいものが走る。

 一匹相手でもかなり怖かった。

 今でも夢でうなされる位だ。

 二匹相手だったら……それこそ助からなかったかも。


「僕が出会ったときは、一匹でした。」

「運が良かったな。

 それで、そいつをどうやって倒したんだ?」

「鼻先にかじりつきました」


 それを聞いて彼は、一瞬怪訝そうな顔をする。

 そしてすぐに笑い出す。


「アーハハ、そんな方法もあるんだな。

 人を食らう獣も、自分自身が食われると思わなかった訳だ」

「こっちは必死だったんですよ。

 笑わなくてもいいでしょう」

「スマンスマン。

 俺も何度か暗闇でそれらしい獣に遭遇した事がある。

 確かに野犬のような外見をしているものが大半だな。

 聞く所によると、中には目が一つしか無かったり、頭が二つあったりする個体もいるそうだ」

「……そうなんですか」


 暗闇で単眼の獣と遭遇なんてしたら、漏らすかも知れない。


「……そういえば、影の獣の肉は食べた事がないな」


 彼がそんな事を呟いた。

 想像したくも無かった。


 ・

 ・

 ・


 歩いている内に日が沈んでいく。

 道から少し外れた森の中で、目立たないように夜を過ごそうという話になった。


 本当は彼が道中で見つけた山菜を元にシチューを御馳走してくれるとの話だった。

 しかし獣の痕跡がある以上、火を焚いて料理を行う事は危険。

 残念なことに今夜も味気ない保存食を頂く事になった。

 彼は今日も遅くまで起きていて、辺りを警戒している。

 自分の方は疲れが来てしまい、先に寝てしまった。


 ・

 ・

 ・


 翌日。

 朝日で目が覚め、再び歩き始める。

 そこからはまた飛び飛びの道を探したり、見失って道を戻ったりの繰り返しだ。

 途中で木の根元に生えているキノコを何度か見つける。

 それを彼に見せたものの、毒のあるキノコだと言われることもあった。

 最終的には、小ぶりなキノコ2つの成果に収まった。


「このまだら模様に似たキノコを食べた事があるが、次の日丸一日リバースが止まらなかった」

「口から吐き続けたって事ですか?」

「正確には上の口と下の口からだな」

「……気を付けます」


 近くには病院は愚か人里もない。

 こんな所で食中毒になったら……

 気を付けないとな。


 昼頃になると川が見えた。

 水分の補給と水浴びをした。


 ・

 ・

 ・


 あー さっぱりする。

 数日分の汚れが体から取れた。

 気分が良い。


 彼は二人共体を洗っている最中に襲われては危険と言うため、片方が水浴びをしている間、もう片方は近くで監視役をする事になった。

 先にカーブルトは水浴びを終えたので、今は自分の番だ。


 しかし、寒い。

 思わず身震いする。

 寒い季節に川に入っているため、寒さが身に染みる。

 風邪をひかないか心配だ。

 汚れを落としたらさっさと上がろう。


 温かい湯船につかって体の芯まで温まりたいものだ。

 元々は数日に一度シャワーを浴びる生活だった。

 今になって思えば、普段からもっと風呂を味わっておけばよかった。



 ・

 ・

 ・


 川から上がると、彼は何か意味ありげに水面を見ていた。


「どうしたんですか?」

「俺の故郷だと水は貴重で高価だ。

 これだけの水があれば、喉の渇きで争う事も無くなるだろうに」


 そう言えば、砂漠の国だっけ。

 しかし、そんなに水が貴重なのだろうか。

 日本に住んでいた頃は毎日使っていたので、ピンとこない感覚だ。


「これ程豊かな土地があるのに異形共のせいで放棄せざるを得ないとは……

 何とももったいない話だ。

 いや、俺達としてはそっちの方が有難いか」

「どうしてですか?」

「土地には所有者がいるし、川には水利権がある。

 俺は気の赴くままにここまで旅をして来た。

 もしここに人が住んでいて、知らずに入ってしまったら問答無用で襲われていたかも知れない」

「ま、まさか、ハハハ」


 私有地に入ったぐらいで襲われるなんて……

 無いよな?


「笑いごとじゃないぞ。

 少なくともこんな戦時中にひと様の土地の食べ物を勝手に採取するのは重罪だからな。

 その点は魔王軍様様だ」


 そう言われ、チラッと採取したきのこや山菜を見る。

 少し罪悪感が……。


「ま、どうせ俺達が食べなきゃ腐らせるだけだ。

 有難く頂くとしよう」


 そう言うと彼は荷物袋から古びた鍋を取り出した。

 今日の夕食は期待できそうだ。


「それじゃ、ユーヤは薪を集めて来てくれ。

 適度に乾燥した物を頼む」

「分かりました」

「もし、何かあれば一人で戦おうとはするな。

 逃げてこい。

 野生の獣は、背を向けて急に逃げ出すと追って来るから注意しろよ」

「はい、気をつけます」


 ここ数日の旅路の中で、獣と戦った時の傷も癒え始めている。

 足の傷も治り始め、そこそこの速さで走れるようになった。

 薬が効いたらしい。


「あんまり遠くに行きすぎるなよ」

「分かりましたよ、そんな子ども扱いしないでください」


 しつこい注意に思わず苦笑してしまう。

 姿はあれだが、本当の年齢は彼と同じかそれ以上なのに。


 ・

 ・

 ・


 ふぅ……そろそろいいか


 あまり遠くに行かないよう意識ながら、使えそうな物を探す。

 脇に抱えた枝はそこそこの量になった。

 そろそろ戻ってもいいだろう。


「ふぅ」


 近くの木の根元に座る。

 だいぶ動き回った。

 戻る前に少し休んでいこう。


 そこでふと考える。

 俺はこんなに素直な人間だったか?


 今は彼の言う事をほいほい聞いてしまっている。

 ただ、日本にいた頃は自分で言うのも何だが、もっとひねくれていた。

 人の言う事を素直に聞ける人間じゃなかった。


 それでも彼の言う事に従うのは、この危険な世界で駄々をこねている場合じゃないからだ。

 獣と戦った時の事や、遺骨を埋めた時の事は、否応にも危機を感じさせた。


 それ以外にも、彼の不思議な雰囲気にあてられたのも理由の一つかも知れない。

 無償で俺を助け、食べ物を分けてくれる。

 こうも世話になってばかりだと居心地が悪い位だ。


 そして自分の信念一つで、海をも渡ってきた。

 恐ろしい行動力。

 行動力の化身だ。

 どうやったらあんな風に生きられるんだ?

 もし彼を怒らそうものなら、文字通り地獄の果てまで追ってきても可笑しくない。


「……」


 ふと、木々の間から空を見上げると、雲一つない晴天が見える。

 その空はどこまでも続いていて透き通っている。

 シャバの空気は最高だ。

 まだ体は痛むものの、体を動かして旅をする事自体は悪くない。

 やっぱり人は太陽に当たらないと駄目だな。


 日本に帰る事を考えるより、この世界で暮らす事を考えてみるか。

 出来ないことよりも、まず出来そうな所から考えていかないとな。


 ・

 ・

 ・


「お、沢山取れたな」


 鍋にはもう蓋がされている。

 彼は薪を受け取るとそれを鍋の下に差し込む。

 それが終わると、彼は2つの石のようなものを取り出し、ぶつけ合わせる。

 すると何度か火花が飛んで薪に火が着いた。


「着いたな」

「おお」


 サバイバル技術に関心していると。


「何だ?火打石を使う所を見るのは初めてか?

 いや、記憶が飛んでいるんだったな。よければ今度はユーヤがやってみるか?」

「はい、やってみます」

「何、簡単だよ。今度教えてやろう」


 ・

 ・

 ・


 長い間食材を煮込んでいる間に、気が付くと辺りは暗くなっている。

 太陽が降りてしまい、その分空気が冷え込んでいく。

 気温が安定していないのか、夜は寒かったり、寒くなかったりだ。

 残念ながら今日は前者。

 俺は毛布を体に巻きながら、火の傍で彼の声を待った。


「そろそろ、いい頃かな」

「!」


 ようやくか。

 完成したようだ。

 待ってたぜェ……この瞬間をよォ。


「それで、今回のメニューの内容だが―――」


 彼は自慢げに料理について説明し始める。

 行商人から購入した玉ねぎ。道中の旅人から分けて貰った脂。

 市場で上手く値切れた動物の肉、道中見つけた何とかという香草。

 襲ってきた海賊から逆に分捕った岩塩に、風味付けにこの国のワイン。

 その他にも幾つかの調味料を入れているようだ。

 戦士や船乗りの印象があったが、趣味は手料理なのか。


「結構凝ってるんですね」

「船上での楽しみなんて限られてる。

 食材の魚は取れるから、色々試していたら自然と上手くなった」


 木製の腕とスプーンを渡され、腕の中にシチューが並々と注がれる。

 シチューと言えば白色のイメージがあったが、今回は色々煮込んでいるせいか茶色かった。

 シチューのルーを使ってないのだし当たり前か。


「……」


 食べる前に香りを嗅いでみる。

 食欲のそそられる匂いが鼻をくすぐる。

 色々な食材が長く煮込まれて溶けあい、食欲を刺激させられる匂いだ。

 思わず口角が上がる。

 これは味も期待できそうだ。


 思えばここ数日、まともな食べ物を口にせず歩き続けていた。

 それに、人の手料理を食べるのは何年ぶりだろう。

 ここ数年は通販で調達した安物やカップ麺で食い繋いできた。


「香りを楽しむのもいいが、早く食べないと覚めちまうぞ」


 鍋を挟んで反対側から、茶化すような声が飛んでくる。

 香りを十分に楽しんだ後、スプーンですくって口に入れる。


「おっほ」


 思わず声が漏れる。

 まろやかな舌触り。

 次いで、しっかりとした肉の歯ごたえと、長い時間煮込まれて柔らかくなった野菜の旨味。

 それに加えて、異国のスパイスや調味料が、初めての味わいを優しく教えてくれる。

 色々な食材が溶け合い、深みのある、温かい味わい。

 一口食べるごとに、長旅で疲れた体に力がみなぎってくる。


「……ふぅ」


 スープが胃の中に落ちて、その温かさが寒い夜に染みる。

 心も体も、満たされるような味だ。


「あっふ、あっふ」


 急いで食べてしまい、口の中がやけどしそうだ。

 足元の水筒を手に取って、シチューを急いで胃に流し込む。


「カーブルトさん、本当においしいですね!」


 彼は自分とは対照的に、落ち着いて味わっていた。


「俺は料理人じゃないが、そう言われて悪い気はしないな」

「店を開いたら、絶対通いますよ」

「そうか?国が平和になったら料理屋でも開いてみるかな。

 そういう将来も悪くない」


 その後、おたまを取ってシチューをおかわりしようとすると


「いいのかユーヤ、一割で食中毒だぞ」


 彼がにやりと笑いながら言った。

 そういえば、あの植物も入れたんだっけ。


「こんなにおいしい物が食べられるなら、本望ですよ」

「……そうか、なら好きなだけ食べるといい。ほら」


 そう言って彼は腕にシチューをそそいでくれる。

 美味しい料理を食べて興奮しているせいか、普段よりも会話が進む。


「ここに来るまで色々な困難があったと思うんですけど、

 どんな冒険をされたんですか?」


「いいのか?俺が冒険の話を始めたら、一晩が過ぎちまうぞ」


 そう言って彼はここに来るまでの旅路の話をしてくれた。

 造船技術が未発達なジャフアルドで船や船員を手配するための苦労。

 そもそも船が何かという所から説明しなければいけなかったらしい。

 出資者との折衝や苦労話。個性豊かな船員たち。

 危険な旅路になるのは分かっていたので、癖はあるが腕に自慢のある人々を選んだようだ。


 何とか船を出してみると、次々にやって来る海賊、私掠船、悪天候、船の故障。

 ロープを伝って、攻め込んできた相手の船に乗り込み、肩に矢を受けながら海賊たちと戦った話。

 別の船に追い付かれた時には船員の大半が負傷していたが、全員が船上に立って大声で叫び、さも健康で戦意が高いというふうに見せかけて、何とか追い払った話。

 いろいろな修羅場を面白おかしく話してくれる。


「そんなこんなで、とうとう港が見えてきた頃に船底に穴が開いちまった。

 長旅でガタが来たんだろうな。

 すぐに床から水が溢れて来た。

 船員の半分はバケツを持って水を掬い出す有様だ」


 えぇ……

 沈没一歩手前ですやん。


「……すごいですね。そんな方法でも何とかなったんですか」

「正直もうだめかと思った。

 やってみれば何とかなるもんだな。ハハハ!」


 そう言って彼は豪快に笑った。

 思わずつられて笑ってしまう。


「何とかアルティリアについたと思ったら、不法入国罪で最下層の地下牢送りだ。

 他の囚人たちを煽って集団脱獄を試みたこともあった。」

「うまくいったんですか?」

「ああ。じゃなきゃここにいるはずもないだろ?」


 そう言って彼はにやりと笑った。

 冗談なのか本当なのかは、分からなかった。


「言われてみるとそうですね。

 冒険と言えば、この前冒険者と言う単語が出てきましたが、冒険者について教えてもらっていいですか?」


 今の内に、少しでもこの世界の情報を取り入れておこう。


「一言で言うのは難しいな」


 彼は少し悩みながら言った。


「連中は冒険者ギルドに所属していて、そこで色々な依頼を受けられる。

 荷物の護衛や異形の討伐、傭兵や探索、色々な荒事の依頼を受ける連中だ。

 俺の故郷には冒険者ギルドは無かったから詳しい事は知らない。

 なにせ何もない砂漠と荒地だからな」


 冒険者。

 ゲーム等で聞く単語だ。

 自由に生きるには定番の職業とも言える。


「なんだ、冒険者に興味があるのか?」

「ええ、まあ」

「なりたいと思うのは自由だが、冒険者は完全な実力主義だ。

 誰でも比較的容易に登録できる分、個人で責任を負う仕事だ。

 トラブルや怪我は日常茶飯事、死人も珍しくない。」

「……あまりおすすめは出来ませんか?」

「ああ、酒場の飲んだくれが言ってたっけな。

 ギルドの連中は依頼の仲介しかしないくせに、ひどいマージンを取ってやがるって」

「……」


 この世界も日本と同じで現実は厳しいらしい。

 漫画のような特別な能力があれば別なのだろうが……

 自分にはそれらしいものは何もない。

 かと言って、引きこもりの自分にできる仕事が他にあるのだろうか。

 ……うーん、気が重くなってきた。


「……俺のおすすめとしては、そうだな。

 まずは冒険者ギルド自体を使用する事には賛成だな」

「えっ どうしてですか」


 さっきと言っている事が違う。


「ユーヤ、お前は記憶喪失の上、身分証もなく、文字も読めない。

 そういう奴がつけるのは冒険者位だ。

 身元証も必要なく、力仕事だから特別な能力は必要ない」

「……」


 ぐうの音も出ない正論。

 そこまできっぱり言わなくてもいいじゃん……


「冒険者以外の仕事はどうですか?」

「どの都市も魔王軍から逃げてきた村々の住民や流民がなだれ込んでいる。

 そのせいで求人倍率が酷い事になっている。

 その点、力仕事で危険な冒険者の仕事はあまり人気がない。

 しかしこの物騒な世の中じゃ護衛などの依頼が多いから仕事自体は沢山あるらしい。

 つまり狙い目だ」


 そんなのもう、選択肢が冒険者しかないじゃん……


「かと言ってずっと冒険者をやっていくのは難しいだろう。

 危険な仕事だしな。

 商隊の護衛等で依頼者の信頼を得てから、依頼者に直接雇用して貰う方針がいいと思う。

 そのための縁繋ぎとして最初は冒険者を利用するべきかもな。

 最初は色々な仕事を受けてみて、自分に合ったものを探してみるのもいいだろう」


 日本風に言えば、最初は契約社員として入社する、

 その内正社員に切り替えて貰うといった感じだろうか。

 今回の旅自体は、危険だが確かに楽しい部分もある。

 旅商人の護衛は悪い仕事ではないかも知れない。


「うーん、商隊に入って町々を旅するのも悪くないかも知れないですね」

「そうだろうな。有名な大聖堂や、壮大な自然の景色は本当に素晴らしい。

 それを一目見るだけでも、危険を覚悟して冒険をする価値がある」


 彼がそう言うと重みがある。


「しかし、仕事か……」


 仕事。

 その単語を聞くだけで拒否反応が出る。

 正直、気が進まない。


 今まで何年も仕事が嫌で、そもそも社会に出るのも嫌で逃げ続けてきた。

 それを急に、はいやりますという気持ちにはなれない。

 しかし、仕事をしないと野垂れるだけか。


「カーブルトさん、僕に仕事が出来ると思いますか?

 それ程人と喋れる訳じゃないし、体力も、特殊な技能も無いのに。

 ……いや、すみません。忘れてください」


 思わず弱気な発言をしてしまった。

 慌てて謝る。


「……ユーヤ、人の価値なんて人それぞれだ」

「えっ?」

「俺は様々な難に見舞われた故郷で、沢山の人を見てきた。

 どんな人間ともうまく商談を纏める商人。

 特別な技術がある名うての加工師。

 体が大きくて喧嘩に強い傭兵。

 沢山の人間と出会ったが、その中でも真に信頼できる人間は一握りだけだった」


「それは……どうしてですか?」

「何の資源もなく人口も少ない俺の国は、何度も事件が起きた。

 豊かな隣国が攻め込んできた時の戦い。

 酷い不作によってただでさえ少ない食料の備蓄が空になった時。

 力ある大国にそそのかされて幾度も反旗を翻す連中。

 その度に人々は勝ち馬に乗ろうとした」

「……」

「人というのは、重大な決断を迫られた時に試される時が来る。

 その時に損得抜きにして共に戦ってくれた仲間達。

 彼等は皆信頼できる友人だった。

 

 窮地に追いやられた時に見せる顔が本当の顔だとは言うつもりはない。

 それでも人の一面である事は確かだ。

 そこで得られた信頼は、どんな能力にも代えがたいものだと思っている」

「……」


 確かに自分は能力では劣っているかも知れない。

 だったら、せめて人と人との信頼を大切にしないといけないな。


 ……しかし、真に信頼できる人間は一握りだけだったという事は、彼はその分人に裏切られてきたのだろうか。

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